正直な話。
単純に“国”か“友”かを問われたら、俺は“友”を選ぶんだ。
でも、その“国”には俺の愛する人達がいっぱいいて。
“国”を裏切ったら、俺はその人達まで……だから。
俺は未だに、迷子のままだ。

遊び人と娯楽

『ユウ。』
母国語が鼓膜を揺らす。俺は身を起こした。
『何?』
『リュウさんが呼んでるぞ。』
『………そう、分かった。サンキュー』
気が沈む。憂鬱を訴える自分を振り払い、立ち上がる。
ああ、何を言われるんだろうか。

ドアをノックする。返事がくるまで数秒あった。沈黙が体を重くする。
息をするのもイヤになる。
『入っていいぞ。』
ようやく返事が来た。重苦しさを吐き出すために大きく深呼吸。ふっ、と勢いよく息を吐き出し、ドアを開けた。
『こうして二人きりで話すのは、久しぶりだな。』
兄さんは壁に寄りかかり、書類に目を落としていた。
『そう……ですね。』
『いい、いい、敬語は使うな。国にいたときと同じでいい。気楽に話せ。』
『分かったよ____兄さん。』
ハハハ、と笑って兄さんは書類を投げた。
ジャストミート、書類はゴミ箱へ収まる。
『いいの?捨てちゃって。』
『もう読んだからな。ちゃんと頭に収めた。』
『………そう。相変わらず頭いいね。』
『褒めても何も出ないぞ……久しぶりだな、ユウ。』

「市羽目」も「悠」も、当然のことながら本名じゃない。でもまあ、本名の当て字みたいなものだから完全な偽名ってワケでもない。発音は若干、違うけど。
市羽目 柳____イチハメ リュウ。俺の兄だ。
相当年が離れている。兄さんは22、俺は14。結構な差だと思う。
そのせいか、一緒に遊ぶことはほとんどなく___それゆえ喧嘩も数えるほどしかせずここまできた。だもんで俺と兄さんは多少、ぎこちない。
さらに言えば兄さんは………このテロ集団のリーダーなんだ。
そこには格差が生まれる。
『ユウ。』
『!……何?兄さん。』
『踏ん切りはついたか?』
『…………いや、その、』
『フッハハハッ、いい、いい。だろうなとは思っていた。』
笑いながら、兄さんはイスに腰掛けた。
くるり。
120°ほどイスを回転させ、机の上の書類に目を通す。兄さんは目で文字を追いながら続けた。
『お前は優しいヤツだからな、それは、人としてはとてもいいことだが俺の弟としては_____』
そこで兄さんは俺を見て、微笑しつつ言った。
『ひどく重大な、欠点だ。』
『……』
兄さんの言葉を聞き流しながら、俺は内心で皮肉を言った。
違うでしょ?弟としてなんかじゃない。
都合のいい手駒として、でしょ。
兄さんはいっつもそうだ。俺と兄さんの間にある、溝。埋まらないのはそのせいだ。
兄さんには家族という概念はない。
彼の世界にあるのは自分、敵、手駒、以上。他には何もない。
全てはミッション、果たすべきこと。兄さんはその頭脳を一番有効に使うためにそういう無機質な生き方を選んだ。一番シャープにスマートに、人生を生き抜く方法を。
なんて嫌な人なんだ。
兄さんは何が楽しくて生きてるんだろう。感情の動き自体は他の人間と変わらないから逆に分からない。
何となく____死ぬのが面倒くさいから生きている、みたいな、感じがする。
生きるということの重みや大切さを一切感じさせない人だ。薄く、柔く、しかし広く確実に漂う。そして冷たい霧のように、辺りを冷やしていく。自分の温度へと。
『____俺はな、ユウ。』
ふっ、と微笑しながら兄さんは言った。
その微笑はいつもながら魅力的でなおかつ、冷えている。
……相変わらず似てないな、俺と兄さん。まだ幼い顔つきの俺とは違い、兄さんは大人びていて、造り物めいてて、なんて言うか……それこそ柳眉という言葉の良く似合う人だ。
微笑の似合う人。微笑みではない、微笑。ひとたび彼が微笑すれば、まるでミストを浴びたみたいに空気の温度がじわりと下がる。それは裏にある企みを察して、とかじゃなくて、ただ単に綺麗だからだ。ほら、美術館とか行って本当に綺麗な物を見たときって、鳥肌立つだろ。すうっと、血の気が引くみたいに。そういう感じ。人外の者を見たような。あってはいけない物を見たような。虜にされる予感がする。
穏やかで儚げなのに冷えきった、微笑。
ああ、そっか。
この世の者ではないんだ。
妖怪でもなきゃ妖精でもない。強いて言うなら幽霊だろうか。手招きに誘われてふらふらと寄っていけば最後、気付いた時にはもう、この世ではない何か別の恐ろしい場所に落とされている。そして、自分を見下ろす兄に気付く羽目になるんだ。
『俺はな、正直国がどうなろうとそんなことはどうでもいいんだ。』
だろーね、と心の中で呟く。
「別に、日本人としても生きたって構わないしな。わが祖国が日本の植民地になったとしてもそれは俺には関係の無い話。俺はどんな状況でも巧く生きていく自信があるから。それに、日本側についた方が国際社会でずっと有利だろう。」
いきなりの日本語に少なからず驚いた。完璧な日本語。俺とは大違い。憎らしい。
「……だろうね、多分。」
何となく日本語で返す。
「__それでも俺が祖国を選んだのは……お前のためだよ、悠。」
「……へっ?」
「お前は誰とでも仲良くなれるだろ。だから日本人とも仲良く出来るだろう。でもな、お前は少し優しすぎる。どうせいらぬ気を回して、自分が敗戦国の人間であることにすら罪悪感を感じかねない。分かり切ったことだ。」
「____俺は兄さんみたいに」
「「要領よくないから。」」
「……言うと思ったよ。」
またあの冷えた微笑をして、兄さんは立ち上がった。
「俺はお前のことを一番よく知ってる。多分、お前自身よりもずっとな。お前が優しいこともそれゆえ優柔不断なことも十分理解している。けどな、俺はお前の最終的な決断を______最後の最後には祖国を、“兄”を選んでくれるだろうと」
兄さんは話しながら俺に歩み寄り、そして最後、耳元で囁いた。

『信じているよ、ユウ。』

心臓が跳ね上がる。手の平の上で踊らされ、転がされ、分かってる、そんなの分かってるのにちく、しょう
「__________じゃあな、また後で。」
見なくても兄の表情など分かる。笑ってる、絶対嗤ってる、計画通りに動き戸惑う俺が可笑しくて嗤ってる、
分かってる、のに。
パタン、と背後で静かにドアが閉まった。
「………っ、う、うあああああああああああああ」
膝から崩れ落ちるように。
「ああ、うああああああああっ、ちくしょおおおおお!!!」
あの人の発言も行動も細かい指の動きさえ、全部全部計画されてるんだ、知ってるんだ、痛いほど分かってるんだ、母国語から日本語に切り替えたのもあの一言のためだった、耳元で囁いたのも、そもそも今このタイミングで呼び出したことそれ自体も、全ては兄の計画だ全部全部全部全部分かってるのにそんなことイヤだ騙されてたまるか、騙されて、たま、るか………
でも。
でも、それでも。
「……ホント最悪だ、あの人……」
それでも、俺は。
あの一言が嬉しかった。
「イヤだ……ホンットにイヤだ。」
俺が。
分かってても騙される、騙されたがる、俺が。
「馬鹿じゃねーの、馬鹿だ、大馬鹿だ、ちくしょう。」
自分の泣く声が、他人事のように部屋に響く。
目の前にある鏡ごと、自分を割ってしまいたかった。

『______ホントに、かわいいな、ユウは。』
弟の悲痛な叫びが背中から聞こえる。面白いくらいに取り乱してる。あんな簡単な一言で。
(まあ、アレが一番言われたい一言だったってことは、分かってて言ったんだけどな。)
ぽーん、と手鏡を投げて、キャッチする。今日引き出しを探っていたら出てきたのだ。多分、真っ先に殺したここの学校の校長が持ってた私物だろう。それなりに高そうないい鏡だ。
『趣味、ひどく悪いけど。』
ごてごてだ。装飾過剰。本当に趣味が悪い。鏡の質がいいだけに残念だ、もったいない。
しばらくすると、今度はすすり泣く声が聞こえてきた。
『………しばらくの間はそっとしといてやろう。どっちに転んだっていいや、一番スマートな対応をしてみせる。それに_____ハハハッ』
俺は手鏡を放り投げた。
がしゃん。
手鏡は綺麗に割れた。
『フッハハハッ、俺のかわいいかわいい弟君は………果たしてどっちを選ぶんだろうな。もし俺を選ぶんだとしたら、』
俺は鏡を踏みつけて、いつものように、微笑した。
『ひどくひどく、がっかりだ。』

ちなみに、柳兄さんはブチこわ一の美形です。イケメソは虎。
ども、ソヨゴです。
あんまキャラだしてもアレかなあ、とは思ったんですけど、どうしても登場させたくて、コイツ。
作り出した本人だというのに、コイツの考えてることがさっぱり読めません。謎です。
柳兄さんは全体的に薄青紫というか、藤色というか、そういうイメージで作ったキャラです。冷たい霧、ってのは本当に彼を体現させた言葉で。
気に入っちゃったんでことあるごとに出てくると思いますコイツww

2010/5/29:ソヨゴ
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