「和弘」
名を呼ぶ声。視線を移す。
「御影。」
「はろーダーリン。何してるの?」
「……もう夜だよ、御影。」
言うと御影は、ふふ、と微笑んだ。
「でもGoodnightじゃ、眠りの挨拶になっていしまうわ。」
「…そうだね。」
御影は僕の向かいの机に腰掛けた。笑う。
「もう夜中よ、ダーリン。こんな暗くて血なまぐさい部屋で、一人で。何考えてたの?」
「大したことじゃないよ。」
というより、何も考えてなかった。
正直に答えつつ、窓の外に目を向ける。黒と言っても遜色ないような夜闇。その中にぽつぽつと、街の灯りが浮かんでいる。いつもは無機質に映る蛍光灯の光すら、今は優しい。取り残された気分になる。
すぐそこにある街の温もりは、それでいて絶対的な遠さを感じさせて、その感覚はテレビを見ているときと似ていた。目の前で繰り広げられているのに完全な他人事。現実味がない。でも、と思う。もしかして。
画面の向こうは僕らの方。
「ねぇ、ダーリン。あなた何だか寂しそうだわ。」
御影は不思議そうに小首をかしげた。僕は当たり障りのないことを言う。
「男に寂しそうとか言っちゃ駄目だよ。」
「どうして?」
「殺し文句ってヤツ。僕にはよく分からないけど。」
あなたに効かないんじゃ、意味ないわ。御影はつまらなそうに言った。僕は机に立て膝をついて、御影を眺める。
薄い月明りに照らされて、御影の顔の陰影がよく目立つ。植え付けられたみたいな長い睫毛。赤くて大きな、暗い引力の瞳。アンバランス、でもそれが御影の魅力だ。不安定、魅き込まれる。
「ダーリン、あまり見ないで。恥ずかしいわ。」
「ちっとも恥ずかしそうじゃないけど。」
「あら。案外恥ずかしいのよ?」
じゃあ仕返し。御影は小さく呟いて、僕の顔をじっと見つめた。___なるほど。
「確かに、気恥ずかしいね。」
「本当?表情、変わってないけど。」 こういう人間なんだよ、僕は。嘆息まじりに返す。御影は机から降り立って、覗き込むように僕の顔を見上げた。
「和弘、あなたの顔って………整ってるけど、整いすぎているのね。見てると何だか、不安になるわ。心許ないの。」
「そう?」
御影の手が伸びてくる。僕の左頬を包むように、御影はそっと手を置いた。
「一番は眼だわ、その眼。どこを見ているのか、分からないの。」
御影は僕の上に乗り、両手で頬を挟んで上を向かせた。目元を指が、つう、と這う。
「暗くて、どろどろしてて、ぎらぎらしてて、虚ろで。何を見ているの?和弘。あなたはいつも、何を、見ているの?」
分からない。
そう答えるしかなかった。僕はきっとこの世界を見ていない。どこか違うところを見てる。
どこを?
「和弘。私を見て、私だけを。怖いわ不安よ、私を見て。私しか要らないでしょう?他のモノなど見ないで頂戴。私は、あなたしか見ていないのよ。」
御影の瞳が切なげに歪んだ。泣きそう?君が?
「____君しか要らない、と、思うことも、あるけど。」
僕は静かに口を開いた。
「僕は両手にいっぱい持ってて、それを手放したくはないんだ。御影もそう、虎も、悠も、家族も、他のみんなも、何一つ手放したくはないんだ。僕は欲張りなんだよ。君も君以外の全ても、僕の持っているモノ全て、そのつながり、僕は握りしめていたい。抱きしめていたい、全部。」
だから二人きりには____なれそうに、ないや。
最後に一言、小さく、だけどはっきりと、僕は言い切った。
ごめんね。
「そう………私、フラれちゃったのかしら?」
微笑みが痛い。僕は心苦しくなりながら、曖昧な返事をする。
「そうかもしれないね。そうじゃないと思うけど。」
どっちつかずだわ。からかうように装った、震える声。僕は御影の髪に手を入れ、梳いた。
「僕は君を愛してる。それは確かなことだよ。他のすべてを手放さないのと同じように、僕は君のことだって手放さない。絶対。」
首の後ろに手を回し、引き寄せる。
「僕はさ、一途にはなれないんだ。君だけいればいい、とは、思えない。でも君が居なくなるなんて絶対許さない。僕はさ、わがままだからさ。僕が一番愛してるのは君だ。君を一番愛してるのは僕だ。」
ひどい人、消え入るような声で御影は言った。ひどい人だわ、和弘。
「そう、僕はひどい人だよ。でも、それでも僕は、君を」
「いいの、いいわ。言わないで、いい。」
御影は僕の唇を軽く、押さえた。しーっ。
「私はあなたの一番で唯一。そうでしょ?」
「そうだよ。」
「だったら、いいわ。私の世界は、あなたしか必要としていないけど_____」
でも。
あなたの世界の一番なら、構わない。
御影は悠然と微笑んだ。その血の匂いのする笑みに、引き寄せられる。逃げられないなぁ、と思う。逃げたくないな、と。
「手放さないでよ、和弘。」
「御影こそ。逃がしたりすんなよ?僕のこと。」
御影の小さな頭を掴むようにして、唇を合わせた。柔らかい。熱い。君の、温度。
僕がさっき殺したばかりのテロリスト達のし死屍累々が、僕らを囲うみたく横たわっている。
亡骸の海の中心で、確かに僕らは生きている。この蒼く澱んだ冷えきった海には、僕らしかいない。
僕らしかいないんだ。
舌が絡む。激しくはしなかった。確かめるように、誓い合うように、ゆっくりと。湿った息が互いから漏れる。
御影に触れる、そこから溶け込んでいくような感覚に陥る、混ざる、運命という存在は、お伽話じゃなかったんだな。
ねぇ御影。僕は君に、独り占めされる訳にはいかないよ。でも僕は君を独り占めしたい。君を愛してる、誰より。それにね、御影。
僕は今、君だけを見ている。


Necro sea blue


死体の海の蒼。Necroだけ英語じゃないとかそういうことは気にしちゃダメ。

2010/11/06:ソヨゴ


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