ずっと前から気になっていたことだ。
市羽目は、人を殺せるんだろうか。

Q and A

ギターのチューニングを合わせる。どうせ今日のうちに二度と弾けなくなってしまうのだから、最後に一曲ぐらい、弾いておいてやろうと思う。ものに感情なんてある訳がない。これは、俺の気持ちの問題だ。
楽しい曲を弾く気分にはなれない。ブルースを一曲弾いて、立ち上がる。
「……市羽目。」
呼びかけると、市羽目は武器の手入れを中断してこちらを向いた。
「虎、どうかした?」
「____お前、殺せるか?」
市羽目は息を詰まらせた。俯いてふいと目を反らし、眼鏡を上げる。
「殺せなくても………やるしかない、じゃん。」
ぎゅう、とライフルを握りしめる。今まで仲間だった誰かを、殺さなければならないのだ。確かにこの疑似戦争が始まって初めて再会したとき、コイツは人を殺せるんじゃないかと思った。性格も雰囲気も口調も、俺の知ってるコイツとは違ったから。でも無理してたってのは、今のコイツを見れば分かること。
コイツに耐えられるか?
「平気なのかよ。お前にできんの?そんなこと。」
聞きながら、出来るはずもないなと思った。優しすぎるコイツは、相手が殺人鬼だったとしても殺せないだろう。人の命を奪う行為そのものがコイツにとっては耐えられないことなはず。心にかかる負荷、それがコイツを壊してしまう可能性は、ありすぎるほどあるはずだ。
「できなくてもさぁ、やってもらうしかないだろ?」
和弘はモップをくるくると回しながら口を挟んだ。
「生きてかなきゃなんないんだよ、僕達。」
その為に、他の誰かを踏みにじるなんて出来ないというなら………死ぬしかない。
残念だけどこれが現実。和弘はそう締めくくった。
「そう、だけどよ……理屈じゃねえだろこういうのは。」
ふぅん、と和弘は曖昧な返事をした。まぁ結局のところ、僕らに強制権なんてないし。
「とにかく僕らは今から、人を、殺しにいくんだよ。」
そろそろ行こーか、と十緒美先輩が立ち上がる。戸羊兄妹は無言で武器を手に取った。市羽目も俯いたまま、先頭を歩く和弘についていく。
「____くそっ」
何にイラついてるのかも分からないけど、何かがとにかくもどかしくて、俺は机を蹴り飛ばした。
知らねえぞ、俺は。どうなっても。


ちっ、と思わず舌打ちする。ギターにヒビが入った。
ギターのボディを脳漿と血液の入り交じった朱色の液体が汚している。ヘッドの針金には頭皮の欠片が引っかかっていて、血で髪の毛がこびり付いていて取れない。触りたいとも思わないけど。
ノユはナイフをクルリと翻した。返り血を浴びてはいるが____殺した人数を考えれば、異常極まりない。
ノイは冷静にマガジンを取り替えて、一人一人確実に照準を合わせ撃っている。その目はいつものアイツとはまるで別人だ、翳っている。十緒美先輩もそう。いつも飄々としている十緒美先輩の瞳はドロドロしたぬめりを帯びて光っていて、人間じゃないみたいだ。SEPってのはやっぱりどこか、歪んだ組織な気がする。
「………ったく」
んで、あの化け物カップルの異常さときたら………本当にアイツ和弘なのかよ。
いつも一切表情を変えないアイツの口元が歪んでいる。ぞっとする。嫌悪感と恐ろしさ。目がイッちゃってんだよ。
御影は鬼女というか物の怪というか___寄れば食われる、そんな気がする。仲間とはいえコイツら、狂ってる。
俺はまだマトモか?
はぁっ、と短く息を吐き窓際を見れば、もう一人の親友が、震えながらうずくまっていた。
「………………………市羽目」
びく、と身体を大きく震わす。市羽目はゆっくりと顔を上げた。
「……と、虎。」
「大丈夫か、お前。一人でも人、殺したか」
黙り込んだところを見ると、まだ誰も殺せてないようだ。
「お前なぁ___」
「虎っ、後ろ!!」
和弘が短く叫んだ。背後で撃鉄が起きる音がする。
叫び声が、響いた。

選ばなきゃ。
秤に、かけなくちゃ。
俺にとって大切なのは………どちらの命?

誰の声だ?
一瞬、冷めた頭で死を覚悟した俺だったが……なんの異常もない。
後ろをゆっくり振り返る。そこには誰もいなかった。
何で俺は死んでないんだ?
微かに鼻をつく硝煙の匂い。俺はもう一度振り返った。
「………悠。」
教室内が静まり返る。今死んだのが、最後の一人だったようだ。
悠が震える両腕を下ろした。構えていた銃が、かた、と音を立てる。
「ありがとな、悠。」
大丈夫か?かがみこんで肩に手を置く。直に震えが伝わってくる。俺はひどく苦しくなった。
「悠、お前は悪くねぇよ。何も悪いことなんて、してねぇ。」
「俺は、俺、は……」
悠は俯いて泣き出した。
「人を、人、を、殺した。同じ国の仲間だった人を、俺……人殺しだ、人殺しだ、どうしよう。」
自信の感覚が麻痺していたことを思い知る。そうだよな、普通____こうなるよな。
「俺、俺比べたんだ。虎と、あの人、の、命を。秤にかけた、選んだんだ。そんな権利、俺にはないのに……最悪だ、俺。」
「でもお前のおかげで俺は、」
「虎には死んで欲しくなかったんだ。けど、だけど、俺は人を……人を殺したんだ。」
取り返しがつかないことを、俺は、した。もう戻れない、戻ってこれない。
ぼろぼろと、何かが切れたように悠は泣いた。いつの間に俺は、平気で人を殺せるようになったんだろうか。
「しょうがない、じゃん。先に殺そうとしたのはあっちだよ。だから泣くことないじゃんか。」
和弘が口を開いた。彼もまた、泣きそうで。
和弘はモップを投げ捨て、俺と同じように悠のそばでしゃがみこんだ。
「生きたいんだったら、代わりに殺すしかないんだよ。死んだ人達をみんなみんな背負ってたら僕らはいつか壊れちゃうよ。やめてよ、なんで泣くんだよ。僕らが悪いんじゃないでしょ、やめろよ泣くなよ、泣かないでよ。そんな風に泣かれたら、まるで、まるで僕が………」
僕が、頭おかしいみたいじゃないか。
沈黙が包む教室に、震える声が静かに響く。和弘はまだ泣いてはいないが、泣いているも同然だろう。無表情も無感情も和弘にとっては仮面に過ぎない。その仮面が、崩れ始めたということは、和弘自身が、崩れ始めている証拠。
こんな仮面、被る必要はないと思うんだけど。
「バカ、お前まで泣いてどうすんだ。」
悠から手を退ける。もう片方の手を和弘の頭に置いた。
「泣いてないよ。」
「泣いてるようなもんだろ。」
和弘は俺を見ている。俺はあえて目を反らした。ぽんぽん、と頭を撫でると、和弘は膝を抱えて顔を埋めた。
「………ごめん、和弘。ごめん。俺があんなこと言ったから………ごめんね。」
悠はもう一つの大きな銃を抱え込んだ。目が赤い。
背後から十緒美先輩の声が聞こえた。
「虎くん____私達はもうとっくに……壊れてしまったのではないかな。」
きっとそう。それは正しい。でも先輩、それだけじゃないんです。
「先輩、ちょっと黙ってて下さい。」
「っ、虎くん。」
「俺らはおかしくなってる、それは事実です。正しいです。だけど、」
俺は力をこめて言った。
「人は変わっちゃいけないんですか?」
俺は立ち上がった。
「こんな状況で壊れない方がおかしいですよ。変わらない方が異常ですよ。人は他人になれないんです。今のままでは生きてけないなら、変わるしかないじゃないですか。人は間違っちゃいけませんか?人は壊れちゃいけませんか?少なくとも立ち止まってしまったら終わりだと………俺は、思います。」
壊れたって平気だ。直せないものはない。失ったら終わりだ。戻らないものばかりだから。
俺らはまだ生きてんだよ。殺された級友とも、殺したテロリストとも、俺の母さんとも、違う。死んでしまった母さんに出来ないあらゆることが俺には可能だ。俺は絶対捨てたりしねえぞ。
投げ出してたまるか。
親友二人を見下ろす。
「化けもんだろうが人殺しだろうがどうだっていいじゃねえか。狂おうが壊れようが、俺らはまだ生きてんだよ、そこの屍とは違う。悩んでて殺されちまったら意味がねえ。今は考えんな、生きてるうちは悔やめるし、やり直すことも出来るんだ。それからなぁ、この世界には壁も垣根も境界線もありゃしねぇんだよ。あったとしても、俺は知らねえ。全部無視してぶちこわしてやる。だからてめぇら、くだんねぇこと考えんな。」
和弘と悠は、俯いたまま小さくうなずいた。悠が先に立ち上がる。和弘はまだうずくまったまま。
「和弘、帰ろう?」
悠が微笑みながら和弘に声をかけた。無言で和弘は両手を差し出す。自力で立てよ、お前は。つぶやいて手を取り引っ張り上げた。
「虎。」
「? 何だよ、悠。」
この世界には壁なんてない………そうだよね?
あぁ、とうなずく。そっか。そう呟いた悠の瞳は、考え込むような影を映していた。

悠くんは、気付いたでしょうか。

2010/10/15:ソヨゴ


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