「愛情ってのは身勝手な感情だろ。」
座ったままぽつり、と虎は呟いた。

思い出の裏側

壁に立てかけたギターにもたれかかるような形で、虎は窓際にたたずんでいる。
僕は机に頬杖ついたまま、虎を見た。
「____いきなり何。」
「いや、だってそうだろ。」
不機嫌そうな、どこか悩んでいるような、何とも言えない表情で虎は月の光をあびている。
伏目がちの目は案外睫毛が長い。あの中二病ヤンキーでも黙っていればそれなりだ。ガンつけてなけりゃなおさら。
(なるほど。モテる訳だよ。)
虎の悩みにさほど興味のない僕は、この時間を、ただ単に虎の顔を観察し直す行為に当てることにした。
それでいい。あいつも、聞いてほしいなんて思っちゃいない。ただ吐き出したいだけだ。
静かな教室に、月の光は良く似合う。
今宵は満月だ。
虎は、ギターにコツ、と頭を当てる。
髪がさらりと流れる。虎は物憂げな表情のまま言った。
「愛してるなんてよぉ、言われたって困んだろ。」
一瞬、例の姉が浮かんだが、そういう話じゃないだろうと首を振って、返す。
「さあ?人それぞれじゃないの。嬉しい人だって居るでしょ?両思いだったらなおさらだ。」
僕が至極一般的な解答を返したら、虎は違ぇよ、と返した。
「たとえ両思いだとしてもだよ。勝手に好きになって勝手に愛して、それってよぉ____」
理不尽だ。
ため息をつくように、しかしはっきりと虎は言い切った。
「……そうかな、考えすぎじゃないの?」
虎から目を離し窓に視線を移す。
瞬間、さあっと冷たい風が吹いた。
もう春だってのにね。
さわ、さわ、僕の髪が揺れた。多分、虎の髪も。
カーテンがふわりと舞って、またふわりと収まっていく。花の蕾のようだな、なんて。思う。
虎は目を閉じた。
「分かってんだよ、考えすぎだって事ぐれぇ。でも、どうしても、俺には。」
そうとしか思えねぇ。
あーもう、とイラついた声音で虎は付け足した。
「ちくしょう。ここに閉じ込められてから、んなことばっかり考えちまう。俺は、ぐるぐる悩むのは苦手だっつーのに……ちくしょう。」
再び目を開けた虎に、僕は言ってあげた。
「大丈夫、虎がそんな風に考えてしまうのは____虎のせいじゃ、ないから。」
虎はこちらを向いた。少しキョトンとしている。
けど、すぐに察したみたいだ。表情が変わる。
「………母さんのこと、か?」
「そーそー。」
ふ、と珍しく僕は笑った。めったに笑わないことぐらいは自覚している。
虎は再び驚いた。
「何だよ……なぐさめてん、のか?」
「まーね。僕は虎の、親友だから。」
「____そうかよ、気持ち悪ぃ。でもまあ……ありがとな。」
はっ、といつものように虎は笑った。そのうち、大声を上げて笑い出した。
「ぶっは、ははっははは、あっはははっはは、はは、ははは」
「何、キモチワルイな。」
「いや、だってよお、ぶっはは!!さっきのお前の顔、お前じゃねぇみてぇでよぉ、あっはは、珍しーーーーーー!!」
「なっ、ちょっと!!人が珍しくなぐさめてやったら何その態度!?虎こそ柄にもなく『ありがとな』とか言っちゃってさ、似合わねーーーーー!!」
「っ、るせぇ!!てめえなぐさめんのかからかうのかどっちかにしやがれ!!」
「虎が先に雰囲気ブチこわしたんでしょー!?」
ひとしきり言い合って、落ち着く。
「……………あーもう、バッカみたい。」
「るせぇ、何なんだよ、ったく。」
「それ言いたいのはこっちだから。」
「は?こっちだし何言ってやがる」
「はあ?そっちこそ何言っちゃってんの?」
はあ、全く、キリがない。
どちらともなく呟いた。顔を見合わせて、笑う。
笑いながら僕は、昔のことを思い出していた。
僕には全く関係の無い、けれどひどく忌々しい、あの事件を。

それはまだ俺が小三年の頃の話。
「ただいまー」
「おかえり、虎。今日は誰とも遊ばなかったの?」
「うん、めんどいし。」
ウソ。本当は母さんに早く会いたかったんだ。
「あ、母さん。これ、ポストに入ってたよ。」
「あら、ありがとう虎。」
俺は母さん宛の封筒を渡した。
母さんはにっこり微笑んで、封筒を開けて中身を見た____そして。
悲鳴を上げた。
「きっ、きゃあああああああああああああ!!!!」
封筒の中身をぶちまけて、母さんは座り込んだ。
「か、母さん!?どうしたの!?」
駆け寄り、背中に手を置く。小さく震える母さんの視線の先には。
大量の、写真。
そこには全て___母さんの姿があった。
「え………何、コレ。」
「また、だわ。」
「へ?」
「まさか住所まで知ってたなんて!!昨日は電話一昨日も電話火曜日も月曜日も土曜日も日曜日も毎日毎日!!もうイヤ!!!!」
「か、母さん何のこと?」
「ストーカーよ!!もういや、勘弁して頂戴!!!!!」
母さんは頭を抱えた。俺は何も出来ずに、ただ黙って背中をさすり続けていた。

その日を境にストーカーの嫌がらせはますます激しくなった。
電話。写真。FAX。手紙。電話の音が怖かった。ポストを覗くのが怖かった。つらつらと変態的な内容が綴られたFAXが送られてきたときは身の毛がよだった。俺ら二人は追いつめられた。
父さんを、除いて。
「だから、会社に迷惑はかけたくないんだって言ってるだろう。無視しとけ、そんなもの。」
助けて、もう嫌なの、警察に届け出させて。母さんが泣いて訴えても返ってくるのはいつも同じ答えだった。ひどい時には、標的にされるお前が悪いとまで言った。舐められてるんだ、誘ってるんじゃないのか、自分の身ぐらい自分で守れ。
ふざけんな。
何度も言おうとしたけれど、言えなかった。父さんが怖かった。それに、言えば母さんが泣いてしまうのは目に見えていた。いいのよ、平気だから、母さんがんばるから、と。

ある日のこと。
いつも以上に追いつめられて、不安定になっていた母さんは、荒れて暴れて、周りの物を壊していた。
落ち着いて、母さん。暴れる母に抱きついた俺は、
そのまま、蹴り飛ばされた。
がん、と体が柱に打ち付けられる。痛かったけどそれ以上にショックだった。思考がしばらくの間、止まった。
あの母さんが。
あの母さんが。
あの母さんが、俺を、蹴り飛ばした。
来ないで、と叫びながら。
母さんは音にハッとして、すぐに俺を抱きしめた。ごめんなさい、ごめんなさい、どうかしてるの、私。
いいんだ、と消え入るように呟きながら、俺は途方に暮れていた。
追いつめられると人はこうなる。壊れる。あの優しい母さんでも。
怖い。

そして、終わりは突然やって来た。
なんで?
ビニール袋がどさりと落ちる。一緒に食べようと約束したアイスクリームがころころと転がって車道に出る。
「___はは」
ねえ、僕達何か悪いことした?
「_____っははははは」
どうして母さんは倒れてるんだろう。
「ひゃはっはっはは」
僕らは何が悪かったの?
「ひゃははははっははははははっはっははは!!!俺を愛さないから悪いんだ!!愛し返せば、死ぬこたあなかったんだ!!馬鹿め!!!!!」
アイスクリームが車輪に轢かれて、潰れた。
ぐしゃり。


神様とやら、いるなら答えやがれ。
俺らが何したっていうんだ。
殺されるようなことしたか?
一つ、あるとするならばそれは_______『愛さなかったから』




やめろ、俺を愛したりすんじゃねえ、愛すな、愛すな、気色悪ぃ。
来るな、寄るな、愛するな。やめろ、やめろよ、やめろよ頼む、やめてくれ!!!!
愛さないでくれ!!俺はお前を愛してないから、愛せないから、愛し返してやれねぇから、だから俺を愛すのはやめてくれ!!
愛さないでくれお願いだから、死にたくない、やめてくれ、愛せないんだだから、だから、死にたくない死にたくない俺は愛し返せないんだよ、死にたくない死にたくないいやだ俺は死にたくないんだ!!!

愛さないでくれ、死にたくない!!!!!

虎の過去話。愛されるのを嫌う裏にはこんな事情があったりしました。
和弘がどこまで分かってるのかな?というのは___というより本人がどこまで自覚してるのかな?というのは、また別のお話ってことで。

2010/5/18:ソヨゴ


戻る inserted by FC2 system