「ねぇ和弘……虎のヤツ、どこいったのかな?」

友情以上依存未満。

「え?まだ帰ってきてないの?」
寝ぼけ眼をこすりながら、和弘は言った。
「俺も、もう帰ってきてると思ってたんだけど……」
「そっか……それはちょっと心配。」
市羽目、一緒に探しにいこうか。
和弘は立ち上がってモップを手にした。


「ったく、どこ行ったんだよあのバカ。」
昨夜のことだ。虎はギターも持たずに教室を出た。少し悩んでくる、と言って。
虎が悩んでいるとしたら、ここ最近の和弘の変化のことだろう。それくらいは分かる。けど、アイツが丸々一夜も悩むだろうか?
どうせ面倒くさくなって、悩みごとブチこわしにかかるに決まってる。もういい、知るか、やっちまえ。でも俺はアイツのそういうところが割りかし好きだ。単純明快。分かりやすい。少し、羨ましい。
だからつまり、一晩経っても帰って来なかったって事は……アイツの身に何かが起きたってことなんだ。
悪くすると、死んでる? いやもっと最悪なのは捕まった場合だ___兄さんは、人の心を壊す。殺されるよりずっと苦しい目に遭ってしまう。それはイヤだ、虎は、俺にとっては……大事な友達なのだから。
もう何個教室を回っただろうか。この無限にある教室を一つ一つ探すより、行きそうなところに絞った方が良さそうだな。
まずは、俺らのクラスの教室から。
そう思い、Uターンして廊下を抜ける。懐かしいクラス表示を見て、戸を開いた。
「____え?」
倒れ伏している1人の少年。その身長も、少年自身の足より少し短いズボンも、整った横顔も、俺の良く知るアイツそのもの。
でも、何で、倒れてんだ。
「っ、虎っ!!」
駆け寄って身体を揺さぶる。温かい、死んではいない。とりあえず安心する。
つん、と微かに酸の匂いが鼻を突く。傍らに目をやると、黄色い液体が大分蒸発した姿で床に貼り付いていた。胃液?
吐いたってこと?誰が?いや、普通に考えれば、虎だよな。
何があった?虎。
そのとき、虎がうっすらと目を開けた。
「あっ虎!!大丈夫か?何があったんだ?」
呼びかけると、虎はああ、と言って、俺の顔を見た……というより、俺の方を向いただけだろう。その目は俺なんか見ちゃいない。
「なぁ虎、立てる?」
尋ねると、虎は何も答えずゆっくりと俺から目を反らした。この様子じゃあ無理そうだな。
虎を背負って立ち上がる。俺と虎では身長も体重も違うから、背負いにくいことこの上なかった。
いつもだったら、俺に背負われるなんて絶対嫌がるはずなのに。
不安が頭の中を支配しようとしてくる。大げさに首を振って、不安を追い払った。
気付くと虎は、気絶したように眠っていた。俺より重いはずなのに、なぜだか虎の身体は、不自然なほどに軽かった。


寝床に帰ると、和弘がみんなに話をしているとこだった。
「市羽目! 見つかった?今、みんなに探すの手伝ってもらおうとしてたんだけど。」
「虎、僕達のクラスにいたよ。この騒ぎが始まる前の。」
「?……あ、ああ、そういうこと。」
がしがし、と和弘は自らの頭を掻いた。虎のヤツ、何に悩んでたんだろう。
お前のことだよ。言いかけて、やめる。
とりあえず寝かせてやんないと。誰に言うでもなく呟いて、虎を布団に下ろした。
「ねえ市羽目、虎、なんか顔色悪くない?」
「床に倒れてた。吐いてたみたいだ。」
「吐いてた!? 吐いたってことは、多分……」
誰かに何か言われたね、きっと。和弘は呟いた。
「? 何かって?」
戸羊さんが尋ねる。和弘は彼ではなく虎を見たまま、言った。
「虎にはさぁ、お母さんがいないんだよ。虎がまだちっちゃい時に、結構悲惨な死に方してて。死ぬところも見てたし、何よりその殺された理由が、虎のことまだ縛ってんだ___ぺらぺらしゃべっていいことじゃないし、これ以上は言わないけど。」
和弘は、虎の額に触れた。
「………熱もないし、病気とかじゃないでしょ。やっぱり何かされたんだ。」
語調も声もいつも通りだったけど、その言葉には怒りがちらりと伺えた。怒り?和弘から?
和弘、お前やっぱおかしいよ。
いつもの“頭おかしい”お前はどこ行っちまったんだよ。


数十分して、虎は目を覚ました。俺と和弘以外のみんなは、騒いでもアレだから、と言ってとなりの教室に移動していた。
「虎、大丈夫?」
和弘は起き上がった虎のそばに駆け寄って、聞く。
「………お前が心配とかすんなよ。気持ち悪ぃな。」
いくらか声は低かったが、その言い方はいつもの虎だった。もし、もし兄さんが虎を追いつめたのだとしたら、もっと後を引くのではないかと思っていたから、少し安心した。
「……ごめん。」
え? 今の誰?
一瞬混乱したが、それは和弘の声だった。わずかに戦慄が走る。ねぇ和弘、もしかしてお前、さ……
兄さんに、何か言われた?
「___悪い。ちょっと席外してくんねえか?市羽目。」
舌打ちまじりに虎は言った。俺は出来ることも見当たらないので、素直にそれに従った。


和弘は感情が無いわけじゃない。それを表に出さないだけだ。表に出さないだけの強さをもっているだけ。
実はアイツは、気性の激しいヤツだ。誰より感情が激しいから、昔は本当に馬鹿馬鹿しいことで喧嘩した。いつも思い切り笑って思い切り泣いて思い切りすねて。でもある時期を過ぎると、今度はアイツは無感情と言えるぐらい感情を表に出さなくなった。初めは何かあったのかと心配したが、しばらくして気付いた。ただ単に、和弘は一時的な逃避をしただけだった。感情をコントロールできなかったから、一切表に出さないことにしただけのことだった。
そんなアイツが、感情を隠しきれなくなった、と言うこと。
それはつまり、アイツが揺らいでいるということ。
「………虎、何かごめん。」
「は?」
「僕なんかが一緒にいるから、虎がこんな目に遭ったの、かも。」
焦燥感がうずを巻き始める。焦りが募る。ちくしょう、何があったってんだよ。
「__お前は関係ないだろ。」
「だって僕、人殺しだよ?」
「俺だって殺してるだろ!!」
「違うよ。虎はただ生きるために殺してるだけじゃん。だけど、けど、僕は……」
そういうと和弘は、俯いて、口をつぐむ。
不安と同時に苛立ちが心の奥から湧き上がってきた。何言ってんだてめぇ。そんなこと言うヤツじゃないだろ。
「……………虎。」
「何だよ」
「僕…………虎の側に居ない方が、いいのかな。」
苛立ちが不安を殴り飛ばした。もう知らねえ、我慢の限界だ。
「っざけんじゃねえ!!!」
「えっ____」
布団を投げ払って立ち上がり、和弘の胸倉を掴んだ。和弘はあからさまに驚いた顔をしている。オイ、いつもの無表情はどうしたんだよ。ムカつく。
「何ぐちゃぐちゃ言ってやがんだてめぇは!!らしくねぇことしてんじゃねぇ!!!」
「そんなこと言われたって、」
「何なんだよ!!お前そんなヤツじゃないだろ!?」
「っ……うるさいなぁ!!!!」
突然、和弘は大声で叫んだ。びくりとする。コイツの大声なんて、もう何年も聞いてない。
和弘は俺の制服の衿をつかみ返した。
「仕方ないだろ!!もうどうすればいいのかわかんないんだよ!!僕は人殺しだけど虎は違う!!僕は化け物で虎は普通の人間で、僕は自分勝手でわがままで最悪で、ねぇ、僕なんかと一緒にいたら、虎までおかしくなっちゃうよ……ヤなんだよ、そんなのイヤなんだよ………虎は、大事な親友だから、おかしくなったらヤなんだよぉっ…………」
和弘は俺の衿から手を離した。腕そのものの重みに従い、両腕がだらりと下がる。
俯いていたから顔は見えなかったが、和弘は泣いていた。数滴、雫が床の上に落ちる。
「……バカ野郎。」
俺はあえて和弘から手を離さずに、続けた。
「くだんねぇことで悩みやがって。お前がどんなヤツかってことは、俺とお前が親友だってことに、何か関係あんのかよ?見くびんな、お前がどういうヤツかってことぐらい俺は前から知ってるよ。俺は長い間、お前とずっと一緒にいたが、俺は何かおかしくなったか?なってねえだろ。心配しなくても、お前ごときに影響受けたりしねーよ。それにな、俺はお前が何になっても親友で居続ける。お前が居なくなったらヤなんだよ。ずっと親友で居たいんだ、俺は。」
まだグチャグチャ言うようなら、一発ぶん殴ってやっからな。
笑いかけて言うと、和弘はチラと俺の顔を見て涙を拭い、顔を上げた。
「何だよえらそーに。別に僕、お前と一緒に居なくてもへーきだし。」
「けっ、言ってろ。さっきまで泣いてたくせに。」
「うっさいな!!」
にっと笑って手を離す。少しよろけてから、和弘は体勢を立て直した。
「あーあ、我ながらバカバカしいことに悩んでたもんだよ。おまがどうなったって僕には別に関係ないのに。」
「はっ、今さら気付いたのかよ。」
そう、本当に今更だ。
ずっと前からそうだったろ。お前も俺も、お互いがどんなヤツかなんて関係なしに、ただ一緒にいたかっただけだろ。一緒に居たら楽しかっただけだろ。
「そうだよ。お前がどんなヤツになろうと、」

「「お前はずーっと親友だ!!」」

不本意だけどさ、と和弘は笑った。




「ん?あれ?聞こえなくなった。」
ぶんぶん、とミサワは数回盗聴器を振った。
「俺もだ。発信器が潰れたか何かしたんだろう。もしくは電池切れか。」
どちらにせよ、結果はもう分かったし。俺はそういって書類を投げる。
「にしても、随分と仲が良いんだなあいつら。親友っていいねぇ、憧れんなー」
セリフの割にどうでも良さそうにミサワは言った。
「まあ、俺の失敗もあるだろうがな。」
つぶやくと、ミサワはえっ?、と意外そうな声を上げた。
「失敗?お前が?うっそお」
「失敗と言うか何というか……虎君を追いつめにいった時にさ、当初の予定が狂ったんだ。」
「何で?」
「虎君が、予想以上に気に入らない人物だったから。」
そう。
俺は素直で優しい君に、苛立った。
「は?どういうこと?」
「俺は和弘君に対してやったのと同じように、後から効いてくるように、不安のタネを植え付けるつもりでいたんだよ。徐々に溝が広がって、気付いた時には後戻りできなくなっている。そんな状況にしたかったから。」
うわぁ、とイサワが引いた目でこちらを見る。無視する。
「____だが、計画が狂った。」
「……どんな具合に?」
「もうそんな生半可なことしてられる状態じゃなくなってしまった。徹底的に痛めつけてやりたくなったんだよ。虎君のことをね。」
ふぅん、とミサワは適当な相槌を打った。自分から聞いておいて、コイツは。
「どーして?虎君いい子じゃん。会って話したけど俺じゃ敵わねえや、性格が男前でさぁ。俺が女だったら間違いなく惚れてたな。」
いい加減なことを言う、ミサワ。それには答えず黙っていると、やがてミサワは時折見せる意地の悪い笑顔で言った。
「___もしかしてさぁ、柳。」
「……何だ。」
「お前、優しい子が嫌いなんじゃないの? “自分がどうやったってそうはなれないから”。」
その通りだよ。
だから何だ?という顔をして、俺も一言言い返す。
「今更気付いたのか? だってお前は、“残酷”じゃないか。」
「は?………ああ、はいはい。」
数秒後、ミサワはその意味を理解した。
「そーですね。だってお前____俺と似てるんだもんなぁ。そうだろ?」
大人になるにつれて、同じ親友でもどんどん純粋じゃなくなっていくといういい例。

2010/09/15:ソヨゴ


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