沢霧大佐が電源を消した。ニュース音声はその場で途切れ、画面は不意に真っ暗になる。穏やかな寝息が聞こえた。俺は体育座りのままでコップへと焼酎を注ぐ。結局あまり飲めていない。元々強くはないんだから、その方がいいと思うけど。

夢のあと

「蔵未まで落ちるとは。」
 沢霧大佐があぐらで呟く。視線の先では蔵未大佐が、ソファーに横たわり眠りこんでいた。規則的に、ゆっくりと胸元が、上下する。軍服ははだけ放題で、肋骨の辺りまでシャツのボタンが外れていた。寝顔は少しあどけない。だらりと下がる腕、その先の手が持っている長くしなやかな指は、爪の部分だけ床に触れていた。
「准将はお酒弱いですから、予想はしてたんですけどね。」
 沢霧大佐に相槌を打つ。ちらり傍らに目をやると、クッションを枕代わりに准将が寝息を立てていて。床で寝るのは痛そうなのだが起こすのも気が引けた。眼鏡を外したその顔は、いつもより疲弊して見える。やっぱ上に立つ人ってのは気苦労が多いのかなと、頭の隅で考えてみる。
 正面に座る沢霧大佐はウィスキーに移行した。もう何本か開けているのにまだまだ大丈夫なようだ。蔵未大佐のことだから、沢霧大佐と飲み比べとかし始めるかと思っていたけど、不思議とそうはならなかった。きっと知っていたんだろう。沢霧大佐は、俗に言うザルだ。大佐も強い方だけど、沢霧大佐には敵わないだろう。大佐は沢霧大佐に負けるのを嫌がる。もしかしたら昔、飲み比べたことがあるのかも。
「今日はいつになく飲んでたからな。」
「いつもはセーブしてらっしゃるのに。……珍しいですよね。」
 何か、イヤなことでもあったのだろうか。飲んで、酔って、忘れたい、そう思ってしまうようなこと。ただ単に飲みたかっただけなら、それ以上のことないんだけど。
「アイツから飲もうぜなんて誘ってきたのも珍しい。いつも俺が誘ってっからな、それで行くかクズっつわれる。」
 結局来るくせにひでぇよな。 呆れ顔の沢霧大佐にバレないように苦笑した。けど俺は、沢霧大佐といる時の蔵未大佐が好きなんだ。もちろんいつでも大好きだけど、__沢霧大佐といる時の大佐は、いつもよりずっと楽しそうで。顔をしかめたり、バカにしたり、声をあげて笑ったり。それは俺といる時の表情や口調とは違う、もっと気楽で、もっと明るい。 俺にはできないことだから。
「アイツは俺の扱いがひどすぎ」
「仲がよろしいからこそ、ですよ。」
「ならもっと優しくしようぜ」
 せめて、蹴るなよな。 実感のこもった呟き。
「まぁ蔵未が楽しーんだったら、俺は別にそれでいいけどさ。」
「どれくらいの付き合いなんですか?」
「6、7年かね。長ぇぞー俺とアイツは。」
 軍で出会った訳だけど、と沢霧大佐は語る。 初めて会ったのは、戦場。
「俺んとこの部隊が壊滅状態になって、援軍が来たんだよ。それがアイツ一人でさ。」
「えっ一人ですか?」
「そ。あの頃から鬼神だったから、__ナイフを右手に、銃を左手に。たったそれだけの装備で敵陣に突っ込みやがって、切り傷三つで帰ってきた。俺が堀ん中でがたがたしてたらアイツ生首放り込みやがって、何すんだって喚いたら手柄だよ、ってさ。敵将の首持ってくるとかお前は戦国武将かよってな。」
「……く、蔵未大佐は、戦場じゃ別人ですもんね。」
 思い浮かべることは容易い。“戦狂いの白銀”、その異名に刻まれた「狂」の文字は伊達じゃない。事実だ。彼は狂ってる。戦場にいる時だけは。正気であるとは思えない戦い方でそこら中を塵に帰して、それで__
「……アイツは、さ。『死ねたらいい』と思いながら暴れてるような気がするよ。」
「__です、ね。」
 時々、思うんです。 俺が膝を抱えて呟くと、沢霧大佐は俺に目を向けた。俺は蔵未大佐を見ながら、ぽつりぽつりと、言葉を紡ぐ。
「こうやって大佐が、寝てらっしゃるのを見ていると……このまま一生目覚めない方がいいのかなって思うんです。目が覚めてしまったら、全部分かってしまうから。」
 愛する人がもう居ないこと。どんなに願っても触れられないこと。その事実はどんな時でも大佐を縛り付けている。苦しんでる姿を見るたび、安らいでいる姿を見るたび、__終わらせてあげることしか、できないように、思えてしまう。このまま眠り続けていれたら、その方が幸せなのかな。考えてしまう。願ってしまう。どうかこのまま安らかに。棘のような現実に、貫かれることのないように。このまま首を絞めてあげれたら。 どうせそんなことできないくせに。
「見ている夢が幸福なら。……だったらきっとその方が幸せだって、俺も思うよ。」
 グラスが傾く、喉が鳴る。抹茶色の深い瞳は、どこを見るでもなく翳る。
「俺には、分かんねぇから。現実で、この世界で、蔵未が幸せになる術が。もしその夢が幸せなモンなら、そのまま見せてやりたいと思うよ。目が覚めてしまったところでいたずらに傷つくだけだ。苦しみから、逃げもしねぇで。」
 だけど、と大佐は言葉を切った。 俺が顔を上げた瞬間、彼は静かに口を開いて。

「もしそれが悪夢なら、__叩き起こしてやらねぇと。」

 はっとする。俺は再び俯いて、強く膝を引き寄せた。沢霧大佐は嘆息して、コップの氷をからりと鳴らす。
「俺は諦めたくねぇんだ。蔵未が幸せになることを諦めたくねぇんだよ。一度、一度だけ、一瞬だけ……俺は諦めちまったから。もう二度と諦めたくない。嫌なんだよ、どうしても嫌なんだ、こんなもん意地だよ、んなの分かってっけど、……蔵未は、幸せになんなきゃダメだ。」
 幸せに、なるべきなんだよ。
 彼の言葉を聞きながら自分の弱さを思い知る。やっぱダメだ、敵わない。この人には敵わない。何で折れずにいられるんだ、どうしてそんなに強くあれるの。俺は、逃げてしまいたいんだ。叶わないと知っていながら願う苦しみに耐え切れなくて。そんなの、俺だけじゃないだろう。この人はもうずっと前から、その辛さを味わってるのに。きっとずっと、俺以上に、叶わないと知っているのに。それでも投げ出そうとはしない。大佐を諦めようとはしない。俺は、すごく恥ずかしかった。俺は逃げようとしてたんだから。
「俺、よりも……大佐の方が、……大佐の、方が、辛いのに……俺は……」
 ずっとずっと辛いのに、俺なんかより、ずっとずっと。ごめんなさい、大佐。__俺はなんて弱いんだろう。
 涙が溢れ出してくる。どうすればいいんだろう、俺だって諦めたくない、幸せになってほしいよ、大好きな人なんだ、だから、このままなんて絶対に嫌だよ、けど、……もうとっくに希望なんて消え失せてしまったのに。光は途絶えてしまったのに。幸せになってくださいといくら俺が願ったところで、大佐は幸せにはなれない。絶対に。永遠に。あの人は、帰ってこないのだから。
「……小豆屋、泣くな。お前は悪くねぇよ。」
 誰も悪くなんてねぇんだ。 そう言って、沢霧大佐は目を逸らす。 そうですね、俺は心中で返した。そうですね、でも。
 だからみんな苦しんでるんだ。
ひぃぃ暗いwww 冒頭は林檎さんの「夢のあと」から。

2011/04/07:ソヨゴ


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