「………お前さ、そろそろなんか言えよ。」
 隣に座り声をかける。憔悴しきってるってのは、見てりゃ何となく分かるんだけど。
「___悪ぃな、いきなり押し掛けて。」
 いつもよりずっと疲労した声音。何があったってんだか……コイツはどうして、ここまで溜めてしまうんだろう。

escape from,

 不意にピアスが重くなる。救ってもらった分は、ちゃんと……少しずつでいい、返したい。
「蔵未、何かあった?言ってみろよ。それとも俺じゃ、言いたくない?」
 俺を覗く目に、ちらり。怯えが走る。自身の生死には目もくれず戦場を駆けるこの男にも、恐れるものはあったらしい。 ただ何故それが、今なのか。
「沢、霧。」
 言おうとする、躊躇う。口を開く、またつぐむ。そんなことを幾度か繰り返してから、ようやく彼は口を開いた。
「___沢霧。」
「どうした?」

「……お前、男でも抱ける?」

 血の気が引いた。
 前からちょくちょく、噂は耳には入っていた。蔵未が男とヤってるって話。そんな話は見目のいいヤツなら誰にだって立つ話で、俺だって言われたくらいの、だから……信じちゃいなかった。嘘に決まってると思ってた。
「……蔵未、」
「え?」
 戸惑うような声を無視して乱暴に押し倒す。驚く彼に対して俺は、刺々しい声を浴びせた。
「嘘だと思ってたんだけど。マジだったのかよ?気持ち悪ぃ」
「沢霧、」
「こんな男娼まがいのことして恥ずかしいと思わない?……帰れよ。今のは、聞かなかったことにしてやっから。」
 はっきりと拒絶して、立ち上がる。男娼、まがい。ぽつりと呟く声が聞こえた。 苛立ちながら投げ返す。
「違うか?気持ち悪ぃ、そんなヤツだと思わなかった。」
「そう…そうだな………そっか。」
 あっは、あははは。蔵未は小さく笑い出した。寝がえりをうち腹を抱える。一瞬、全て冗談なのかと思った。けど____それにしては何かがおかしい。あまりにも長過ぎる。
「……蔵未?」
「男娼まがい、かぁ、だよな…気持ち悪い、その通り、気色悪ぃな、はは……ごめん………」
 死んじゃえばいいのにな。
 蔵未の声に背筋が凍る。その声は灰色だった。死にきった色をしていた。乾いてるのでも湿ってるのでもない、平坦で、無機質で、生きてる気配のしない声。 そしておそらくその言葉は、自分自身に、向けたもの。
 帰るよ。蔵未は短くそう言ってソファーから立ち上がる。 嫌な予感がした。俺は、取り返しのつかないことを?
 惑ってるうちに彼は去っていく。俺は慌てて後を追った。ドアノブにかかる手を掴む。
「待て、言い過ぎた。何かあったんだろ?話だけでも、」
「大丈夫、帰るよ。一人でも平気。」
「平気になんて見えねんだよ!!」
 怒鳴り散らすように返した。さして、反応はない。
「無理すんなよ。気持ち悪いよな、ヤな思いさせて悪かった。」
 俺は、大丈夫だから。 信じられるワケがない。お前が俺に“謝ってる”時点で、そんなの嘘だって、分かるよ。
「何だよ言えよ、どうして隠す?俺には言いたくねぇってか。」
「違うけど、」
「だったら言えよ。何があった?」
 ぐっと、息を呑む気配。気まずい沈黙。何か言おうとしたちょうどその時、蔵未は勢いよく話し始めた。
「ウェディングドレス着てたんだ。」
「、は?」
「夢の中で。マリアが、さ。」
 マリア。その名が出た瞬間、俺は俺の過ちに気付いて愕然とした。 とんでもないことしちまった。
「アイツすごく着たがってたから、笑ってた。幸せそうに。俺もすごく幸せで、だってマリアが隣にいて、笑ってて、だから俺も幸せで、夢の中だって分かってたよ、見てる間も、けど、別によかったんだ………マリアがな、生きてる時に、ほら写真屋ってあるだろう、そこ、通りかかったことがあって、その時もすごく着たがって、一緒に取ろうよってさ、でも俺は気恥ずかしくて、本当の時に取っとこうぜって、こんな、こんなの、こんなことになるなら、あの時一緒に撮ればよかった。着せてやりゃよかった。俺は結局着たい服さえ、着たい服さえ、着せれないまま、本当のときなんて、もう一生来ないのに、来ないのに、来なかったのに…………」
 その先の言葉は途絶えた。蔵未はずるずるとうずくまり、声をあげずに嗚咽する。息がつかえる音がした。その背中に手を添えながら、俺は俺自身をぶん殴りたくてしょうがなかった。ふざけんじゃねえよ____何してんだよ、俺は。
「だから途中で苦しくなって、もう夢の中でしか、マリアが隣で笑うことなんてもう二度とないんだな、そう思った、そしたら、そしたら赤く、赤く、死んだ時と同じ、胸から、血が、血が滲んで、服が赤く、止められなくて、どんどん、どんどん広がって、」
「蔵未、」
「赤がどんどん広がるんだよ、マリアの顔が青くなってって、俺には何もできなくて、服が赤く、赤く……怖かった……怖かったんだ………」
 堪えきれない声が零れる。俺は肩を掴んでこちらを向かせた。 ぼろぼろだ。
「気持ち悪ぃよ、男のヤんのは。楽しいわけねぇし、気持ち悪ぃ、苦しい、けど……その間は忘れられるんだ、何もかも全部、まるで何もなかったみたいに、だから、だから、ただ………ラクになりたかったんだ。」
 それだけ、だったんだ。 言い切って、沈黙。
「蔵未ごめん、」
「だから帰るよ、帰る…平気、泣いてしまえば平気、泣いてりゃ疲れる、泣き疲れたらそのうち寝れる、眠ってしまえばそしたら、そしたら明日は戻れるから、明日はきっと、明日さえ、来れば……」
 この状態で一人で帰せ?できるかよそんなこと、何しでかすか分かんないのに。お前をこのまま一人にして、お前に明日が来なかったら、お前が明日を捨てちゃったら………俺は悔やんでも悔やみきれない。俺のせいじゃないか。
 肩を握る手に力をこめる。そのままぐいと唇を奪えば、蔵未は泣いて抵抗した。しばらく無視、それから、静かに唇を離す。
「もういいって言ってんだろ!!何でこんなこと、」
「ラクになりてぇんだろ。」
「いいよ、いい、大丈夫だからっ……本当にキツくなったら、他のヤツに抱いてもらうよ。信じらんねぇと思うけど、俺とヤりたがるヤツ結構いるんだ。びっくりだろ?」
 そう言って彼は無理矢理笑う。 どう、償えばいい。
「____他のヤツに、」
「え?」
「他の野郎に犯させるくらいなら………俺が。」
 コイツはきっと、自分がどんだけ苦しいかなんて一言も言わないのだろう。それで「犯して」とだけ言われて、優しくするヤツがどこに居る。きっとめちゃくちゃにしてしまう。苦しければ苦しいほど、本当に辛い現実からは逃れられるんだろうけど………そんなこと続けてたら、いつか本当に壊れちまうよ。それじゃああまりに報われない。このまま壊れるなんて、死ぬなんて、俺は絶対に嫌なんだ。蔵未、お前は幸せになんなきゃ駄目だよ。
「やめろよ放せっ!」
「今夜だけ、なんだろ。助けさせてよ。」
「嫌だ、嫌だ俺は、俺はっ、お前にだけは嫌われたくない、」
 明日も、明後日も、同じように接してくれたら、それだけでもう十分なんだよ。 蔵未は俺から逃れようともがく。俺は意地でも、放さない。
「お前といると、ずっと昔の、軍人なんかになる前の、幸せだった頃の自分に戻れるような気がすんだ、だから嫌なんだ、嫌なんだよ、お前にだけは、嫌われたくない。」
「嫌ったりなんか、」
「だって気持ち悪いんだろ?何度もごめん、でも、ヤったら絶対嫌いになるぜ、気持ち悪いに決まってる、喘いだりすんだぜ、きっと嫌いになる、きっと吐き気がする、分かったよ、部屋で一人でいるから、犯されに行ったりしないから、だからもう放してくれ……放せよ、何でだよ………嫌われたくないんだよ…………」
 あんなこと言わなきゃよかった。後悔が俺を締め付ける。当たり前、当然の報い、だって心を引き裂いたのは完全に俺の方なんだ。ナイフでしつこく抉るみたいに、まるで追い討ちをかけるみたいに。
 恩返し、なんて。 逆に追いつめているくせに。
 俺は蔵未の言葉には応えず、彼を廊下に押し倒した。嫌だ、嫌だ。喚く声。暴れられたところで、体重は俺の方がずっと重い。その上こんな状態じゃあ、俺を押し返すなんてどだい無理な話だってのに。
 軍服のボタンを一つ一つ外していく。男とヤったことは、ない訳じゃないから、俺にも手順は分かってた。中の黒シャツもはだけさせて、白い肌に指を這わせる。無理矢理でいい犯してしまえ、一人にするくらいなら、きっとその方がまだマシなんだ。
 両手首を押さえキスをする。何で、と、掠れたような声。ごめんな、それだけ一言答える。
 舌を差し入れて絡めてみれば少し湿ったと息が漏れて、何かがぞくりと頭をもたげた。背筋の方、裏側の方、知らない何かが起き上がる。 嫌悪感じゃない、もっと違った。
 絡めとって味わい尽くす。初めて知った、蔵未の舌。 何だかおかしくなりそうだ。踏み間違えたその一歩、多分戻れない、戻る気もない。予想外だったけど____結果オーライだ。
 かぶりつくように、深く、何度も。その内彼は諦めて、俺の愛撫に応えていく。
 逃げ場でいいんだ。逃げてこい。俺はそれでも構わないから。あの人のこと忘れたいなら忘れさせてあげるから。だから、許してくれ。傷付けてごめん。追いつめてごめん。救いようもない馬鹿でごめんな。
「んぅ、っく……さ、わ、ぎり、」
「……どした?」
 友達で、いてくれる?俺のどんな姿を見ても、………見放さないで、くれるのか?
 震えるような、不安げな声。
「___それ以上だろ?蔵未。友達なんて軽い言葉で片付けんのは、もうよせよ。」
 愛じゃない。愛したところで、蔵未は結局あの人しか見てはいないんだ。それくらい分かってる。 これは、愛じゃない。愛ではなかった。
 愛ではないけど。
「俺はお前が好きだよ、蔵未。」

大佐受けはいつも暗いね。

2010/02/15:ソヨゴ


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