パープルゾーンで笑って


 俺らはどういう関係なのだろう。行為に及ぶ前、つまりは今のような時、俺はよく考える。俺らは何と形容される? 親友? 戦友? どれもずれている。そもそも同性の親友同士は性交なんぞしないだろう。じゃあ、セックスフレンド? まさか。そんな簡単な関係じゃない。無論恋人な訳でもない。友達以上、恋人未満。安っぽい言葉だ。使いたく、ない。フォークソングに出てくるような生温い常套句なんて俺らには似合わない。ならf××k up? go to hell? こんな者悪あがきだ。第一、アイツが好きなのはヘビメタ。
「服脱がねーの?」
「脱ぐよ、もうすぐ」
 既に上着を脱いでいる彼は、動かない俺を見て問いかける。俺は頬杖をついたままベッドの上から答えを返した。頭がどこかに飛んでしまっても違和感なく答えられるのは俺の特技の一つだけれど、沢霧は何かを感じたようで、黙って俺の隣に座る。さすがは長い付き合いだ。思えば俺と沢霧の関係は、俺とマリアが過ごした月日より長く続いているのか、と思うと、寂しいような悲しいような気がして、けれどそれは彼に対してとても失礼なことだと思った。沢霧は俺を覗きこむ。見つめると、彼は苦しげに顔を歪ませ、俺の肩に腕を回した。
「どした、苦しい?」
「いや、」
 そうでもない、と続ける。そこに偽りはなかった。正直な話、辛いとか、苦しいとか、痛いとか×んでしまいたいとか、そんな思いは特別でなくて、それは常に俺の中にある。辛くも苦しくもない状態がどんなものだったのか、最近分からなくなってしまった。幸せは思い出せないものだ。そのただ中にいる時は意識などしてなくて、無くなると、肌寒くなる。肌寒くなってから温もりを思い出そうとしても、上手くいかずに凍えるばかりだ。指がかじかんで動かなくなって段々、動かし方も忘れて、それから、……それだけ。それだけだ。それ以上どうにもならない。いずれ凍え×ぬのだろう、×はいつやってくるのだろう、もう、楽にしてほしい。徐々に凍り付いていく身体が氷になってしまう前に。でも、……今、触れている温かさは。すぐ隣にいる温もりは、幸せによく似ていた。俺と沢霧の間にあるのは、愛でも、友情でもないもので、だから少し違う色をしている。ちょうど、赤と青が混じると「紫」になるように、それは全く別の何かだ。幸せばかりが零れ落ちる。幸せに似たこの温もりも。部屋で一人窓の外を見る時俺は酷く凍えていて、今感じてるこの色も、温もりも、まるで思い出せない。傍にいる彼のことすらやがて感じなくなるのだろうか。凍えて、麻痺する、この身体は。そうなる前に、いっそのこと。
 彼の肩に、頭を預けてみる。彼はほんの少し目を丸くした。彼の体温は俺より高い。とても単純なことだけど、そのことは俺を安心させた。俺は、五月に生まれた。春の過ぎた夏の手前に生まれた。太陽が遠い時期に生まれた。光り輝く姿は見えても、熱が届かない時期に生まれた。彼は八月の生まれだ。太陽が最も近い時期に彼は生まれた。だからか、彼は太陽に似ている。その熱が欲しくて俺は、結局彼から離れられなかった。
「巻き込まないつもりだったんだけど」
「え?」
「誰も」
 マリアが死んだ時、もう誰とも関わるまいと思った。また失うのが恐かったからでも、マリアに後ろめたいからでもない、俺を大切に思ったところで相手が苦しむだけだったからだ。自分の心が、穴ぼこの空いたバケツよろしく壊れてしまっていることに、俺はちゃんと気付いてたから。俺と関わったところで空しさしか残らない。いくら貰っても、零れ落ちてしまう。一人でいいと思った。独りでいいと思った。どうせ亡者に囚われている。けれど、そうはならなかった。俺の周りには人がいる。俺の決意など、弱いもので。
「ごめんな、」
「今さらだって。そんなこと気にしてないし、俺はお前に、会えてよかったよ」
 苦しいのは否定しないけど。沢霧は、そう続けた。いつの間に読心術など身につけたんだと思ったが、俺らが辿るルートなんてのは毎回毎回同じ道で、もう読むまでもなく覚えてるんだろう。逃げようと思った、逃げられなかった、温かかった、ごめん、ごめん。最初から関わらなければお前は辛くなかったのに。
「でもさ、蔵未」
「何」
「俺が、辛くなくてもさ。お前は苦しいままだったんだろ。」
 それなら。手ぶらでお前を置いてくよりマシ。
「__関わらなければ、そうも思わなかった」
「あのな。第一お前が居なかったら、俺はとっくに死んでんだぞ」
「助けるのは俺以外でもよかった」
「お前以外にできっか、あんな無茶」
 何度目かの問答だった。今まで通りの模範解答。いつも通りの温かさ。嬉しくて、泣きたくなって、でも違うんだ、それは間違いだと、叫びたくなる。それは違うんだ。沢霧、お前は太陽なんだから。俺から遠いところにいていい。隣にいてくれなくてもいいんだ。 俺からじゃ、離れられないのに。
「お前が、好きだからさ」
「ん」
「お前に、見捨ててほしいよ。章吾」
 こんなことを言ったら、と思う。彼はきっと悲しげに抹茶の瞳を細めるのだろうし、プラチナの髪も泣くのだろうし、それは、分かっていたけれど。
 ぎゅう。
 少し苦しいくらいに抱き寄せられた。圧迫が心地よくって、俺はゆっくり、瞼を下ろす。沢霧は首を傾けて、こつん、と。俺の頭にあてた。呼吸音が近くなる。 隣に、いる。
「そんなこと言うなよ」
「悪ぃ」
「あーもう」
 だって、背負ってほしくないから。苦しむのは、俺だけでいいから。
 沢霧、俺らはなんだろう。苦しみを分け合うでもなく、それぞれ勝手に苦しんで、別の種類の痛みを背負って。それでも、一緒にいる馬鹿二人。
「綿100kgと、鉛100kg」
「は? なにそれ、同じことじゃん」
「そ。それを別々に背負ってるよーなもんだよな、俺達は」  どっちが鉛でどっちが綿かは俺には分からないけれど、どっちにしろ苦しさは似たような深さで、重さで、それをわざわざ別々に背負ってるだなんてとんだ阿呆だと思う。せめてお前だけでも荷物下ろしてくれりゃあいいのに、さ。俺は下ろせないんだから。
「今日はやけに弱気だね」
「お前こそいやに優しいな」
「特例。女にだってこんなことしない」
 抱きつく勇気は出なかった。本当なら、今すぐ彼を押し返すべきで、身をゆだねるべきではなくて、まして、抱かれるなんてのはもっての外なんだろう。あーあ、なんでこんなにあったかいんだ。本当は遠くにあるべき光。なんで、こんなに近くにあるんだ。なぁ沢霧、もっと早くに出会っていたなら少しは今と違ってただろうか。お前のこと「好き」になってたら、俺は、幸せになれたんだろうか。
「……章吾」
「なーに」
「五月が八月に恋をして、それは、報われると思う?」
「__お前って、やっぱ文系な」
 時々意味わかんねぇ。 彼は息を吐くように笑う。簡単な比喩なのに。俺の問いは、有り得ない仮定。俺は沢霧に惚れたりしない。俺が愛してるのはただ一人、水色の髪の彼女だけ。それでも、聞いてみたかった。もし、もしお前に、恋をしてたら。混ざり合った紫でなくて、この感情が、赤色だったら。
「理系の俺には、よくわかんねーけど」
 沢霧の手が俺の髪に触れた。彼の指は慈しむように、俺の黒髪を梳いていく。撫でてて楽しい髪でもなかろうに。飽きもせず、優しく、優しく。また泣きそうになってしまった。低めの声が鼓膜に染み込む。少し湿った、温かい響き。
「報われるんじゃ、ねぇかなぁ。きっと八月も、五月の風が好きだから」
「……そっか。そうだと、いいな」
 何か口に出そうとすると溢れ出てしまいそうで、俺は黙って頭を押し付ける。抱きつけやしない。抱きついちゃいけない。俺とコイツは紫色。赤は、水色に繋がっている。それは永遠にほどけないんだ。ほどきたくないんだ。愛してるんだ。けど、この太陽に、何の遠慮もなく抱きつけたら、……そんな俺がいてもいいと思った。どこか、こことは別の世界に。赤色の二人がいても。この世界では、そうはならない。俺らは俺らでしかなく他の何かにはきっとならない。銀色の太陽は、時々俺を焼くのだろうか。その痛みを知りたい気もした。分かってる、俺は知るべきじゃない。知るようには、なってない。俺が知るとするならばお前のこの温もりだけ。お前が傍にいなかったなら、俺はとっくに凍えてただろう、それは今より遥かに楽で、でも、今の方が幸せ。
「あんま、難しいこと考えんなよな」
 彼は俺の頬をつついた。俺が彼を目を合わせると、彼は冗談めかして笑って。おどけた調子で俺に尋ねる。
「キスでもしよーぜ、スイートハー」
 どんな答えを返そうか。いつものようにスラングでもいい、鳩尾辺りを殴ったって、__でも。
 今日だけはその温もりに、甘えてみたかったから。



 「お好きにどーぞ、ダーリン」

蔵未視点久々な気が。

2011/09/23:ソヨゴ
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