少年は戸惑っていた。制服を脱がされ、ネクタイを解かれ、ベルトを取られ、下着も、……シャツ一枚の姿になって、彼は目蓋を閉じたというのに、今宵の客は彼の耳元で「ソファーへきて」と囁いた。今、彼はそのままの姿で黒革のソファーに座っている。男は彼の足下で、仕えるように跪いている。
「足のサイズは26、だよね?」
 男は彼にそう尋ねる。少年は小さく頷いた。客の男は安心したか、傍らに置いていた靴箱へと手を伸ばす。濃い茶の箱にキャメル色の蓋。金の印字が示す店の名を少年は知っている。(確か、イタリアかどこかのブランド)
 男は箱を片膝に載せ、敬虔に、蓋を持ち上げた。高価な厚紙特有のもったいぶった音を立て、靴箱はその中身を晒す。白熱灯の暖かな光に照らし出された、それは、__
「……ハイヒール?」
 薄灰の紙にくるまれていたのは、ルージュのようなハイヒールだった。エナメルが部屋の灯りで艶めく。その真紅を見て少年は思う(あぁ、これは。女王の履く靴だ)。男は傅く従者のように、__それが少年に対してなのか、靴に対してなのかは分からなかったが__少年に靴を差し出した。
「履いてみて、くれないか」
 少年は一瞬、追加料金を請求すべきか迷った。けれど結局は黙りこくって(いいや。これくらいは、“サービス”)、赤いエナメルの踵を掴む。少年が踵に指を掛けると男は、いけない、と言う。
「引っ掛けるように履いては駄目だ。踵を持って。嵌め込む、ように」
 少年はこくりと頷く。言われた通りに踵を持って、爪先を靴に容れようとする。するとまた男が言う、いけない。それでは駄目。
「爪先が曲がったままじゃあないか。優しく、雅に。バレリーナよろしく。いいね? 孝一くん」
 バ、レ、リ、ー、ナ。彼は沈黙したまま呟く。唇だけが形を作る。それから彼は爪先を伸ばして、赤いヒールに容れ込んだ。__「そう、いい子だ」__男は彼に注文をつける。カーブを描く先端から、なめらかにエナメルをなぞって、ヒールを指にかけて、履いてくれ。少年は無言のまま、美しい指先で赤のハイヒールをゆっくりと、……17の少年の指は娼婦の手つきでエナメルを撫でる。それは、彼が客に手を回し、冷えた指先を肌に落として背筋をなぞる時と同じ、__誘い込み、唆す、仕草。少年の手はヒールに着くともう一度、爪先へ戻った。男ははっとして少年を見つめる。少年は“知っていた”かのように、チョコレート色の視線で貫く。ほのかな甘さと広がる苦みに男は唾を飲み込んだ。少年は爪先を立て、ハイヒールの踵を嵌め込む。そして片割れの靴を掴んで男の眼前に放り投げた。
「履かせて」
 5割の懇願、4割の高圧、3%の吐息、その他。男は昂り始めた息を抑えるために二、三度呼吸し、高慢に光るハイヒールを拾う。少年は長い脚を組み、左足で男を呼んだ。男は彼の足を捕まえる。口付ける程に近付いて、しかし何もしないまま離れる。少年は声を出さずに笑う。(お客様、早く)
 ルージュが彼の足をくるんだ。伸ばされた爪先、踵、順々に飲み込んで。彩られた両足をみて少年は立ち上がる。シャツ一枚に守られた浅黒い肢体を眺め、男の唇はわずか歪んだ。彼は服を求めるでもなく、屈んで、テーブルの上に載る、硝子の器に飾られた鮮やかなチェリーを手に取る。少年は果実を電球で照らして、瑞々しいその紅を口に含む。(食べちゃいたい)リップ音を響かせ、まだ噛み砕いていないことを男に暗に悟らせる。焦らすような唾液の音(こんな音に興奮したら)、男の口の端が吊り上がる(欲をそそるのが仕事。仕事)。少年はそれを冷たく見つめ、唾液で濡れた果実を、抜き出す。
「食べる?」
 男は、頷いた。少年は男に跨がり、その右肩を左手で抑える。そうして右手でチェリーをつまみ、男の口へと近づけた。少年がその唇に、歯に、甘酸っぱい実を押し付けると、男は茎から実を離し少年の頭を掴む。果実同様に若い唇をもぎ取るように奪い去る。実はころころと舌を転がりどちらかの咥内で潰れた。チェリー味のキス、男は種を飲む、少年は身を震わせて男の身体へ倒れ込んだ。男の手が彼の脚を辿ってハイヒールのエナメルに行き着く。少年は心の回路を切って(痛い苦しい悲しい辛い気持ち悪いやるせない、死にたい)人形に成り変わる。男の舌は粘着質に彼の唇を貪って、その手は彼の皮膚を愉しんだ。さて、今日は何をされるだろう。(出される? しゃぶられる? しゃぶらされる?)何をされても同じ。変わるのは、料金だけ。酷くされればされる程彼の弟の小遣いは上がり食卓のおかずも増える。だからいいのだ、と彼は思った。自身の不幸は誰かの幸福。ここで死にたくなればなるほど大事な人は少しだけ、幸せ。それも悪くない、と彼は考える。考えるほかなかったのだ。
 男は彼を侵略する。快楽に彼は反応して、男のスーツをぎゅうと掴んだ。君の中に、と男は言って、三万円ですと少年は返す。聞き慣れた水音が響いた。明日の時間割を思い出しながら、少年は、柔らかく喘ぎだす。

Queen's rouge

 夜はまだ始まったばかり。
さらばさんからリク(?)いただいて。蔵未にハイヒール履かせてみたよ。
書き初めがこれってすごいね。

2012/01/02:ソヨゴ


戻る inserted by FC2 system