「准将。」
「………孝一。」
 お前が訪ねてくるなんて、珍しいじゃないか。真意が分かっていながら問う。 案の定、孝一は深いため息をついた。

空洞の倫理

「分かってるくせに」
「孝一、」
「何も言うなよ、准将。」
 孝一は座ったままの俺の上に乗った。イスが軋む。焦げ茶の牛革が擦れた。
「孝一、どけ。」
「やなこった。 あんたの義務だろ、准将。」
 乾いた声。 孝一はその指を俺の胸元に滑り込ませて、軍服をはだけさせた。中のTシャツをたぐり寄せる。
 身を屈め、彼は胸から首にかけてゆっくりと舌を這わせた。 やめろ、孝一。そう言いかけた俺の唇を、奪って、絡めて。
 気を緩めると持っていかれそうになる彼の舌使いを味わいながら、俺は今日もまた流されることにした。こんな風に誘われちゃ無視する訳にもいかなくなる。
 彼の後頭部を掴んで思い切り抱き寄せる。しばらくの間俺らは互いに譲らなかったが、やがて孝一は主導権を手放した。
「んっ…は、んぁ……ん……」
 くちゅくちゅという水音に混じって孝一の吐息が聞こえた。戦場で鬼神のごとく人を狩る男と、同一人物とは、思えない。あの化け物が、俺のキスで喘いでるってのは……仲々おかしな光景だよな。
「…っふ、んぅ…ぁ、ぅ……准将」
「はぁっ、は、……お前、慣らしてきたのか?」
「やって、あり、ます。 早く犯せよ。」
 キスばっか、してないで。 孝一は耳元で荒く息をついた。わざとなのか、そうじゃないのか。
「……分かってるっつの。そう急かすなよ。」
 言いつつ、孝一のベルトに手をかける。音を立てて一気に引き抜くと、俺はそのベルトで孝一を後ろ手に縛った。
「准将?」
 珍しく戸惑っている孝一をよそに、俺は彼の軍服に手を入れる。中から上着をゆっくりと脱がせて、そのままズボンの中へと滑らせる。肌を指が這う度に、孝一は微かに息を漏らした。
「指、入れるぞ。」
 少しだけ顔を上げた孝一に、伝える。孝一ははいと返事をした。
 つぷ。 中指が潜り込んでいって、孝一は身を固くした。ぐりぐりと中をいじれば、さすがの彼も少しずつ、乱れ初めて。
「んぁっ、ぁっ、ふぅ、」
「前立腺どこだっけな、お前。」
「し、らなっ……自分で、探し、て、」
 身体が震え始めてる。 内壁をまさぐるうちに、俺はやっと前立腺を見つけた。
 指でゆっくりとなぞる。 ひぁ、ぁ、あぁ。縛られた腕がもがいてる。
「あっ、んぁ…はぁっ、ぁ……んぅ、ぅ、ひぅ、ぁ、」
「気持ちいいか?孝一。」
「あぁっ、ぁ、ひぐっ……ん……きもち、い、です。」
 早く挿れて。孝一は緩んだ声でそう言った。 ラクにして、准将。
「お前……彼女のこと、忘れたいんだろ。」
「そう、です____准将、あんたに犯されてるときだけ、は……マリアのこと忘れられるんだ。」
 だから早くシて、と、孝一は縋るように訴えた。 忘れたい。束の間で、いいから。
「だったら……早くイったら意味がないだろ?ゆっくり、理性、乱してやっから。ゆっくり、崩してやっから。」
 追いつめるように内側を引っ掻く。がく、がくと孝一はくずおれて、俺の上に倒れ伏した。
「ふぐっ、ぁ……ぅ、ぁ、マリア、マリアぁ、ぁ……なん、で、……マリアっ…………」
 嗚咽がすぐそばで響く。マリア、マリアとうわごとのように彼は繰り返した。 いつもは名など、出さないというのに。
「マリアっ、ぁぁ、っぁぁ………っぐ、くぁ、マリ、ア……」
「___孝一。」
「なんでっ、どう、して……なんで死んだ、なんで、な、んで、……アイツがなに、したってい、うんだ」
 忘れられるだなんて嘘をついて。余計に囚われているくせに。弱さを見せるきっかけが欲しいだけだ。俺を憎んでいるくせに____俺を憎んでいるからこそ、こんな媚態も晒せるのだろうか。ある意味 俺は、彼自身を除けば……彼をもっともよく知っている。
「どうして殺した、なんで、何でだよっ……マリア、マリアぁっ、…会いたい、……触れたいよっ…………」
「孝一……」
 空いた左手で頭に手を置く。と、孝一はうなるような声を出した。 ふざけんな、と。
「触れんじゃねぇよ、っ、っふ、ぁぁっ、っく………殺し、た、くせに、お前が、お前、がぁっ………返せよ、返せ、マリアぁ、っふ…返せよぉ……人殺しっ………」
 その言葉からは、憎しみは、欠片程度にしか伝わってこない。 伝わってくるのは、彼のやり切れなさばかり。分かってしまっている。俺を憎んでもしょうがないと。知ってしまっている。どんなに憎んでも、恨んでも、彼女はもう、帰ってこないと。悟ってしまっている。何をしても何を言ってもその空洞は埋まらない。喪失感は拭えない。
 つまりは誰にも救えないんだ。
「ごめんな、孝一。」
「うぁ、ぁ、ひっ、あっ、あぁ……謝られ、たって、そんなの、……何も。」
 泣き声なのか喘ぎなのか。おそらく両方だ。 悲痛な声を聞きたくなくて指を速める。
 ぃあ、あっ、んぅ、ぅ。 声に色気が増してくる。忘れたいと言うのなら、忘れさせてやらないと。 それは、せめてもの罪滅ぼしだ。
「っは、ぁ、んぁ、ん、う、ひぅ、あぁっ………准、将……」
「そろそろ挿れるぞ」
 耳元で囁けば、彼はこくりと頷いて。 素直な態度が逆につらい。
 押し込んで、突き上げる。孝一は俺の肩に顔を埋めた。湿った息をつく。
いつも顔、見せようとないな。 勘違いしてませんか。俺はただ、楽になりたいだけです。
「……そうだな。」
 擦り上げる音が司令室に響く。孝一の吐息が熱を帯び始め、俺はいささか欲情した。いくら償いとはいえ、孝一自身に魅力がなければこんなことはできない。背筋が泡立つような感覚。紛うことなき淫欲の感覚。
 愛でもなきゃあ恋でもない。“負い目”としかいえない感情。 なんて虚しい。
 孝一、と、呼びかけてみるが返事はない。喘ぐばかりだ。 意識なんてないようなものか。
 色っぽい声だ。女みたいって訳じゃない、ちゃんとした男の声。 それでも、そそる。
「もうそろそろ、か?」
「っつう、はっ、くぁぁっ、ん、はぁっ………准将、准将。」
 声がとろけている。自分の名が呼ばれてる内に、俺は孝一をイかせた。

「じゃあ俺は帰ります」
「後始末は、」
「いいです。……自分でやりますから。」
 立ち上がる。腰に重い感触が、残ってる。 気がつかないふりをした。
「ではこれで、」
「孝一。」
 ドアの前に立つと呼び止められた。俺は振り向かずに返す。何ですか。
「………いつまでこんなこと、続けるつもりだ?こんな、虚しいことを。」
「____壊れちまえばラクなんでしょうね。そんなこと分かってますよ。」
 俺は顔だけ准将に向けた。
「でも壊れちまったら……俺はきっと、忘れてしまう。失くしてしまう。」
 束の間ならいい。忘れでもしなきゃおかしくなる。 でも。
「俺の中のアイツまで消えちまったら、アイツは………どこにいればいいんですか。」
 俺が忘れたら今度こそ、マリアはどこにもいなくなる。もう帰ってこないんだ、知ってる、だけど、それでもせめて_____俺の中の、幻影、だけでも。
「だからまだ、壊れたくない。いずれ耐えきれなくなるとしても。」
 違う。 それは仮定の話じゃない、絶対だ。
 いずれ俺は狂う。
 おかしくなった俺を見て、マリアは一体どう思うのだろうか。悲しがるのは知ってる、辛そうな顔をすることも。けど、きっと避けられない、俺がお前を手放せない限り。
 そもそも今の俺だって____マリアは見るに耐えないだろう。自分を忘れたいが為に、犯されに行く恋人なんて。
 分かってるけど。
「……そうか。」
 准将もまた、苦しそうな目でそれだけ返した。失礼しますと小さく言って、部屋を出る。
 自室への廊下を歩きながら激しい虚無感に襲われた。でも、マシだ。ヤられる前の、気の狂いそうな切情よりは。
「風呂、入らないとな。」
 つぶやく。 ただいま、空しい現実。


「どっ……どういう、こと。」
 物陰にへばりつきながら、俺は激しく混乱していた。
 大佐に私用があったんだ。それで居場所を尋ねたら、准将の司令室だと言われた。 そして不幸なことに、俺はすこぶる耳がよくて。壁に耳を押し当てれば、音なんて簡単に拾えた。
「あれ____ヤってた、よね。」
 俺はあーいうのそんな経験ないけど……さすがに分からない歳じゃない。男同士のは、初めて聞いた、けど。
 不思議と嫌悪感は湧いてこなかった。二人とも顔がいいから? 何故だかは分からない。
(大佐の声……えろかった、な。)
 正直ぞくぞくした。盗み聞きって状況のせい?いや、やっぱりあの声は、相当………
(って俺、大佐にムラッとしてんの?最悪……)
 大佐は憧れの人だ。心の底から尊敬してる、そんな人相手に、俺は何考えてんだ。
 体育座りで考え込む。どんな顔して会えばいーんだ。
「…………小豆屋。」
 うそ。
「わあああああ!!たっ大佐ぁっ!?」
 慌てて立ち上がり、軽く見上げる。大佐は煙草を吸いながら、乾いた表情をしていた。
「あ……大、佐。」
「お前___さっきの、聞いてた?」
 言い出しにくい。 やっぱ、バレてた。
「え、えと………」
「やっぱ聞いてたか。」
「……すみません。」
 俺、部屋、戻ってます。 早口で言い切って、逃げるように横を向く。と、その行く先は、大佐の左腕に遮られてしまって。
「大佐?」
 戸惑ってまた大佐を見返す。 大佐はタバコを地面に捨て、踏みつぶした。
「なぁ、小豆屋。」
 大佐が顔を近づけてくる。俺は鼓動が激しくなるのを感じた。 うっさい鎮まれ、黙ってろ。
 大佐の口が耳元にある。 吐息まじりの声で、大佐は俺に囁いた。
「お前____俺とヤりたいか?」
 俺は小さく息を呑む。大佐は少し顔をはなして、ニィ、と笑みを浮かべてみせた。
「誰だっていいんだよ………忘れさせて、くれるなら。」

完全にビッチの台詞ですが大佐は別にビッチじゃない、はずだ。

2010/01/17:ソヨゴ


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