目覚ましが鳴る。もう五回目だ。

青年のなんてことない一日

スヌーズ機能は3分おきに設定してある、ってことは、もう15分経ってしまったということか。さすがにそろそろ起きないとマズい。
「うぇー……もう45分かよ。」
ちょーっとやばいかなあ?あれ、何時からだっけドイツ語。柳にでも聞くかあ。
まだ鳴っているケータイをとってアラームを消し、番号を押す。アドレス帳でたどる方が面倒くさい。ぶっちゃけ、アイツぐらいとしか連絡とらねーんだから_____彼女と別れちゃったし_____一発登録しちゃえばいいんだけどな。
3、4回呼び出し音が聞こえる。5回目に、柳は電話に出た。
「……………何」
その不機嫌な声で思い出す。やべ、確かアイツ低血圧でした。
「あーーっと……今日のドイツ語、何時から、でしたっけ………」
「………………7時20分」
「ありがとうございます」
「別にいい」
じゃ、じゃあ、それだけ。本当すみませんでした。
ぴ、とゆっくりボタンを押す。あー怖かった。
「って、20分!?やっべ」
とりあえず、スクランブルエッグでも作るか。


相変わらずドイツ語は眠かった。俺の辞書の中に眠くない講義なんてありゃしないんだけども。
「ミサワ。今日は遅刻しなかったな。」
「えぁ?あ、柳。今朝は申し訳ありませんでした」
「? 何でそんなに怖がってるんだ?」
気にすんな。 そうか。じゃあ、放っておくよ。
「あ、そーだ。昼食一緒に食おうぜー」
「ああ。お前4時限目の講義何?」
「文化人類学。一緒だろ?」
柳は少しだけ意外そうな顔をした。
「あれ?お前が取ってるのって、スポーツ人類学じゃなかったか?」
「何でこの俺が、スポーツだなんて暑苦しいもののこと真剣に考えなきゃなんねーの」
「お前渡部に殺されるぞ」
渡部ってーのはスポーツ推薦でこの大学に入ってきた陸上大好き熱血くんだ。俺はぶっちゃけコイツが嫌いだ。というか、実をいうと____
「まぁ俺も、渡部は好きではないな。」
そう。柳もアイツが苦手だ。
「頑張ってるのは、偉いとは思うんだけど。それを俺らにまで押し付けられてもな。」
「だよなー。暑苦しいっつーの。」
あ、じゃあ俺次、日本史だから。
言って、曲がり角で別れる。4時限目からはまた全部もろかぶりだ。


「___お前、良くそんなの食ってられるよな。」
目の前の柳を見て呆れる。もんのすごく辛そう。
「ん? あぁ俺、辛党だからな。」
「いやだからって……ラー油かけすぎだろ、それ。」
柳がずるずるとすすってるラーメンのスープには、大量のラー油が浮かんでいる。あああ辛い辛い見てるだけで辛い。そして相変わらず、顔に似合わぬいい食いっぷりだ。
「まぁ、甘党と言われるよりはイメージに合うけどさぁ……」
食事というものに関しては、かなり極端だと思うぞ、お前。
言っても仕方がないことな気もする。らっきょうしかりこれしかり、柳は食事という行為を趣味としてしか捉えてないし、好きなように食って何が悪いと言われればそれまでな訳で。
「ミサワ、今日サークル行くか?」
箸を動かす手を止めて、柳は言った。
「うーん悩み中。お前は?」
「俺は行く。」
柳はぐい、と口元を拭った。まー柳が行くなら、行きますかね。
「んじゃ俺も行くわー。」
お互いに、あのサークルの活動自体にはさして興味はないのだ。映画研究サークル。地味。


部室についた途端、二人してバイトの存在を思い出した。もちろんバイトは何個か掛け持ちしていて、それなりにかぶってはいるんだけど、今回はお互いに別々の店でのバイトだった。とりあえず荷物を置いて、別れる。
俺の方が先に帰ってきた。部室においてあった、フィンランドが舞台のすげー呑気な映画を見てたら、しばらくして柳も帰ってきた。もうそろそろ本格的に秋で、今日も冷え込んでいるというのに上着を脱いでる。
「うわっ汗だくじゃんお前!!」
「ひどく疲れた。ったく……」
ちょっとシャワー浴びてくる。
言うと、柳はTシャツの裾を掴んで一気に脱いだ。何故かこの部室にはシャワールームがついている。部屋で映画見るだけじゃんとは、俺達だって思ってるんだぜ。
柳は脱いだTシャツと上着をそこら辺に放り投げて、ベルトを抜き取りながらシャワールームに向かった。細いなー、結構食うけどなぁアイツ。太らない体質なのかな。細いっつってもまあ成人男性なんで、それなりに筋肉とかついてんだけど、それにしたって。浴衣とか、女物の方が似合うんじゃねーの?和服は寸胴の方がいいって聞くしさ。
吹き出しそうになった。本人に言うと後が恐いんで、黙っておく。
わずか数分で柳は帰ってきた。来た。来たんだけども。
「お前服着ろよ!!」
「え?」
髪をがしがしとタオルでこすりながら、柳は首を傾げた。バスタオルは巻いてはいるけど、隠れてるのは下半身だけだ。
「いいじゃないか別に。年頃の娘じゃあるまいし。」
あほらしい、と呟くと、柳はイスに座った。ほー、襲ってやろうかこの野郎。
「風邪引くぞ?」
「平気だ、暖房ついてるし。」
俺はエアコンのリモコンを手に取った。暖房から冷房に切り替え、ものすごい勢いで設定温度を下げる。冷たくなった風が、柳にもろに当たった。
「さむっ!」
柳は多少イラついた様子でリモコンを奪った。ぴ、と暖房に設定し直す。
「お前なぁ、わざわざ下げる必要はないだろ!」
「えーだって、何かムカついたんだもん」
「そんな理由か……」
まぁ、帰るときは服着ないといけないしなあ。
でもな、と柳は呟いた。でもな、汗で汚れた服をまた着るのは、ちょっと。
「そこまで考えてからシャワー浴びろよ」
「忘れてたんだよ、うるさいな。」
市羽目柳という人物は、“ほぼ”完璧人間だ。ほとんどの場合で冷静で、客観的で、冷めている。頭は切れるし顔はよすぎる。それでもコイツは、あくまで人間だ。俺にしてみりゃ市羽目柳って男は、クールな割にどこか抜けてる面白いやつ、でしかない。にしたって、柳の自分自身への評価はあまりに低い、とは思うんだけど。いつになったら気がつくんだか。
お前がこの世にふさわしくない、んじゃなくて。
この世がお前に、ふさわしくないだけなんだぜ……ぜってー言ってやんないけど、な。
「うーん、どうしたものか……」
「下の購買で、シャツ買ってきてやろうか?」
「___そうしてもらおうかな。」
頼んでもいいか?金は後で払うからさ。
頼まれた、と返す。席を立って部室を出た途端、思いついてしまった。
足が、演劇サークルの部室へ向かう。購買部とは、まるで真逆の方向に。


「____何のつもりだ。」
「あーいや、足が自然に動いちゃってさぁ。気付いたら借りてたんだよねー。」
顔がニヤつく。反対に、柳は頬を引きつらせていた。
「いーじゃん、似合うぜきっと。」
「お前、俺を困らせたいのか助けたいのかどっちなんだよ」
「困らせた方が面白そうだな、と。」
「ミサワ……お前な、」
男にそんなもの着せて何が楽しい。
柳はかわいそうなものを見る目で俺を見た。______俺と、俺が持ってる紺色のセーラー服を。
「しかも黒のニーソックス?どこの女子高生だよ。正直に言うぞ、俺は今すごく引いている。」
「引くなよー冗談じゃんか冗談」
「バカだろうお前。」
吐き捨てるように言うと、柳はため息まじりに言った。
「もういい、着てた服着て帰る。」
柳が手を伸ばして服を取る前に、拾い上げる。俺はそれをそのまま洗濯機に放り込み、スイッチを押した。
「あっ、お前!」
「はははー、恨むんだったら無駄に豪華な部室の設備を恨むんだな!!」
っ、最ッ悪だ!!
すねるのと怒るのの中間点みたいな表情で、柳はその場に座り込んだ。
「本格的に帰れなくなったじゃないかっ!!俺、今日のうちにレポートの下書き終わらせないとマズいんだぞ!?」
「だからさあ、着ればいいじゃん、ほれ。」
バレねえよ絶対。
ずい、と制服を押し付ける。柳は心底イヤそうな顔をした後、ヤケになったように怒鳴った。
「分かったよ、着ればいいんだろ着れば!!!」


「似合うじゃん。ちょっと喫茶店まで一緒にいこうぜ。バレないぞぜってー」
世辞や冗談ではなく本気で、柳は綺麗すぎるほど綺麗な顔だ。何着たってツクリモノなんだから、その美しさは崩れない。あーあ、柳が女だったらなぁ。今すぐ押し倒すのに。もういいかなぁ性別とかどうでも。
「行かねえよ大馬鹿者滅びろ変態が今すぐここから飛び降りろ」
するすると流れるような罵倒をいつもより光のない目で柳は吐いた。怒ってらっしゃるようだ。
「えーせっかくだし行こうぜー。面白そうじゃん!」
笑いながら茶化したら、柳はどうやらプチッときたらしい。いつもより悪い顔で微笑した。
ちょっとびびる。柳はすすす、と俺に近寄ると___腕を絡めてきた。
えっ何、何事?
戸惑っていると、柳はこてん、と俺の肩に頭を預けて、上目遣いで俺を見た。

「じゃあ………一緒に、行く?」

えっちょっまっ、だからお前だからさあ、顔きれいなんだってば分かってんのか、コイツ何企んでやがる、というか俺ちょっと、開けちゃいけない扉開きそうなんだけどもしかしてそれが狙いかちくしょう、やめろ、俺は女好きでありたい。
「りゅ、柳サン。あの、すみませんでしたシャツ買ってきます」
「ハッ。分かればいいんだ、」
「あと付き合って下さい」
「死に腐れ」

ギャグですよ。本当は女装じゃなくて別のものにしたかったんだけどいいコスプレが思いつきませんでした。

2010/10/06:ソヨゴ


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