隣で大佐が寝息を立てている。彼はこちらを向いて寝ていて、その寝顔はよく見えた。当たり前だけど初めて見たな。大佐の寝顔。
 やはり整った顔をしている。「端正な顔立ち」って言葉は、大佐の為にあるのだろう。この人と俺、ヤったんだ。そう考えると、恥ずかしいような誇らしいような、妙な気持ちになった。

幻想と夢の中。

 大佐の寝息はひどく苦しそうだった。悪い夢でも見ているような。うわ言のように何事か繰り返していて、俺は黙って耳をすませた。途切れ途切れで聞き取りにくいけど……人の名前、みたいだ。
 マリア?
 大佐の声は、痛々しいまでに切なくて。大佐の抱えるモノの重さをそれとなく俺に伝えてきた。誰の名だろう、___マリア。女の人の名だ。
 その時俺は思い出した。昔、大佐に尋ねたことを。薬指の婚約指輪の本当の持ち主のこと。 死んでしまった、恋人のこと。
 どんな夢を見ているのだろう。俺には触れられそうにない。隣にいるのに救えない、ひどく、無力だ。 大佐からもらった分、少しでいいから返したいのに。俺には何も出来やしない。自分の非力が、腹立たしい。
 大佐が一際苦しそうに呻いた。息が荒い、ごそごそ体が動いている。 俺が少しだけ身を起こすのとほぼ同時に声が聞こえた。
「マリア……愛してる………」
 今振り返って考えてみても、どうしてあんなことをしたのかは、分からない。けれども俺はごく自然に、何かに突き動かされたように、大佐の右手を握っていた。
「俺も____私も、」
 言うべきではなかった。そう思う。けれどどうしても、何か言わずにはいられなかった。
 どうしても救いたかった。
「私も愛してる……孝一。」
 応えると、大佐は微かに笑みを浮かべた。そしてそのまま満たされたように、息が静かになっていく。
 似ても似つかないだろう。俺の手と彼女の手では。俺の手は柔らかくもなきゃ滑らかでもなく、むしろ大佐の手の方が、指が長くて華奢なんだ。それでも夢の中でなら、俺なんかでも代わりになれる。そう、夢の中でなら。
「………ごめんなさい、大佐。」
 耐えられなくて涙が落ちる。ごめんなさい、救えないのに、今だけの慰めなんて。明日夢から覚めた時、貴方はきっと絶望するんだ。愛する人、幸せな世界、そのすべてが幻想だったと。その苦しみはいかほどだろう。俺は誰より尊敬している貴方のことを突き落とす。現実に。虚しい事実に。
 ____残酷だ、俺は。
 大佐は深く眠り込んでいた。先程までとは違う、安らかな息遣い。美しい人、きれいな人、ごめんなさい。俺は貴方を苦しめるだけ。夢の中だけだとしても幸せな方がいいのだろうか。その幸せが虚構であったと、後から打ちのめされるとしても。俺には分からない、俺は賢くなんてない、誰か教えてくれないか?もらってばかり、返せもしない、それなのに慕う権利はあるのか。何一つ出来ないくせに………尊敬なんて、無神経な。
 大佐の声が聞こえるようだ。 バカだな小豆屋、何やってんだ?
 そうです、俺バカなんです大佐。大切な人の為に、何が出来るかも分からないんです。
 俺は起き上がってうずくまった。膝に顔を埋めて泣く。出来る限り声は殺した。せめて彼の幸せな夢を、邪魔してしまわないように。
「…っふ、っく……うぁぁ、ひっ、ぁ……」
 膝が涙で濡れていく。泣きたいのは俺じゃない、大佐の方だ。そんなこと分かってる、でも、誰なら大佐を救えるんですか?もし彼女しか、永遠に帰ってこないあの人しかいないなら____貴方は一生、救われないじゃないですか。
 夜が更けていく。俺はしばらく泣き続けていた。 朝が来ないことを祈って。


「ん……」
「あ、大佐!おはようございます!!」
 視界の隅でかわいい部下が敬礼している。俺は身を起こし頭を軽く振った。朝だ。____夢、か。
「あの……どうかなさいましたか?」
「、え?」
「いえあの、ちょっと……気になりまして。」
「あぁ……大したことじゃないんだ。」
 幸せな、夢を見た。俺は小豆屋にそう伝えた。 覚めてほしくない夢だった。
「できることなら____永遠に眠っていたかったよ。」
 冗談めかして笑いかける。けれど小豆屋は笑わずに、唇を噛んで俯いた。
「……どうかしたか?」
「いえ、……俺、コーヒーいれてきますね。」
 引き止めるその前に、彼はリビングを去ってしまった。嘆息して身を投げる。ベッドのスプリングが、軋んだような音を立てた。
 俺は右手を電灯にかざした。夢の中での感触を、引き寄せる。マリアの手の平を。
「___やっぱ無理か。」
 思い出せない。あの手の感触。妙に温かかったような……夢の中とは、思えないほど。
 瞼を閉じる。隣で笑うマリアの姿が、一瞬浮かんですぐにかすんだ。あんなに近くにいたっていうのに。 一度覚めれば、こんなもの。
「………幸せな夢だった。」
 そのまま殺してほしかった。

事後でーす。小豆屋はマリアの事は全く知らないけど、恋人だったんだからって理由で下の名前で呼びました。

2010/02/10:ソヨゴ


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