a warming hertz


 守が入れてくれたコーヒーは俺には少し熱すぎた。俺はマグを両手で包み、息を、何度も吹きかける。コーヒーは俺の息に従い一瞬冷めてくれるのだけど、すぐにまた熱を取り戻し、口に含めない温度になった。湯気が立ち消えて現れて、立ち消えて、現れて、__終わらない。おまけに俺の手の平は、コーヒーの熱に耐えられなかった。
 ため息まじりに諦める。マグをテーブルに返上すると、守は俺を覗き込んで笑った。
「ごめん、熱すぎた?」
「いや。俺が猫舌なだけ」
 隣に座る少年にやや刺々しく返す。というのも、彼が俺を気遣う必要なんてどこにもないし、……俺の顔を覗きこむ時、彼が思い切り身を屈めたのが目に入ってちょっと悔しかった。俺の返答は、彼の耳には拗ねた調子で響いたらしい。小さく彼が笑うのが見えた。
「はは、」
「なんで笑うの」
「別に。そっか、猫舌なんだ」
 軽いからかいに顔をしかめる。そういう守だって、コーヒーにミルクを混ぜて冷めるのを待っているくせに。俺は随分と色のボケた守のカフェオレをじっと見つめて、ついで俺のコーヒーを眺めて、相対効果を確かめる。テーブルに2つ並んだマグのパステルオレンジは、RGBに変換したなら同じ値を示すはずだった。だが、何だか守のものは大分と色が濃く見える。__その差はそれぞれのコーヒーのまろやかさの差でもある。 そう思うと、少し笑えた。
「え、どうして笑ってるの」
「別に。大したことじゃない」
 俺は誤摩化してマグを掴む。両手を添えてみたけれど、手の平は悲鳴をあげない。俺は安堵して口をつけ、広がるカフェインを楽しんだ。そういえば、カフェインというのは西欧人にしか効かないらしい。寝られなくなってしまうのは、俺だけかもしれないな。
 横目で彼のマグを見つめる。まだ、湯気が目に見える。
「おいしい? アーネスト」
「あ、うん。すごく」
「そっかよかった。俺も飲みたいな、……」
 守はテーブルに頬杖をついて、おざなりにスプーンを回す。かき乱される液体はそれでも一向に冷めようとしない。昇り立つ湯気を眺めながら守は、__努めて何でもないような顔して__呟きを、カフェオレに溶かした。
「猫舌、ってさ。愛された証拠らしいね。」
 愛された、証拠。
 そのワードは心の中に、穏やかに乱反射して、残響は長く尾を引いた。愛された証拠。「愛された」、……それは、現在形でない。過ぎ去った形をしている。もうそんなもの此処にはないんだ、__昔は冷ましてくれる誰かが、俺達の傍にいてくれたのに。
 守には両親がない。幼い頃に喪ったらしい。愛されていたのに“失った”のと、愛されていたのに“裏切られた”のと、どちらが辛いのかなんて比べるべきじゃないけれど、多分、そんなに変わらない。あったものをなくした。 愛を。 最初から知らないのとは、明らかに違う苦しみだから。心から望んでいるものを恐れずにはいられない痛みは、何より欲しがっているものを疑ってしまう苦しみは、耐えようもない矛盾となって俺達を追いつめる。__きっと、欠けているものは同じで。そこからどうやって逃げ出したのかだ俺と守の差異なんだろう。目をつぶったか、背を向けたか。それだけの違い。結局俺達は「見ていない」。そして俺達はお互いに、それを許し合っているんだ。
 傍らにいると心地いいのは、欠損が、重なり合うから。
「……え、アーネスト?」
 俺が守のマグに手を伸ばすと、守は戸惑いを口にした。俺は特に構うことなく彼のマグを両手で包む。そうしてゆっくり、何度も、何度も、__カフェオレに息を吹きかけた。
「アーネス、ト? 何して、」
「冷ましてんの。見りゃ分かるだろ」
 手の平が熱くて、熱くて、何だか火傷しそうな熱さで、けど俺は気にしないことにした。冷えた俺の体温がこの熱を優しくするというなら、火傷くらいは別にいい、__してほしいことを、してあげる。欲してるものは寸分違わず重なっているはずだから。君と俺が失ったものは、君と俺で埋め合って、それは束の間の温もりだけど、今。俺達は“温かい”。それならそれでいいじゃないか。
「多分、もう飲めるよ」
 優しい温度になったマグを、すぐ傍の彼まで届ける。受け取った彼は臆病に、温いカフェオレに口を付けた。一口飲んで、また、もう一口。口の中で転がして、微笑む。
「おいしい?」
「……おいしい」
「そう。よかった」
 微笑みかえすと、彼の表情は泣き出しそうなものに変わった。どうして、と思うの同時、彼の手はマグをテーブルに置いて代わりに俺を抱きしめる。いまだ慣れないその温もりに、思わず、逃げ出しそうになて、だけど彼は捕まえてくれた。逃がさないでいてくれた。徐々に、徐々に、防衛本能が、落ち着く。……怖くない。これは、裏切らない。
「アーニー、ありがとう」
「礼なんて、」
「ねぇ。『あんなこと』言ったら、君は、」
 続きを言おうとする唇を、同じ何かで抑え込む。触れるだけの、塞ぐだけの、でも温かい、心地いい、キス。俺達は触れるだけでいい。入り込む必要なんてない。一つになろうとするまでもなく俺達は、似ている。どうしようもなく。溶け合おうとなどしなくたっていいんだ、ただ、共鳴さえすれば。 響き合うだけで、十分なんだ。
「__『愛してる』じゃ、嫌」
 一旦離れて焦点を合わせる。足りなすぎる一言だった、それでも、彼には伝わって。緩んだ瞳が繋がって、彼は、震える唇で、俺の望んだ言葉を紡ぐ。
「Je t'aime,Ernest」
「I love you」
 言い終えた俺の唇を今度は彼が奪っていった。力に沿って、ソファーに倒れる。啄むようなキスに身を任せる。俺よりずっと体温の高い彼の身体に手を回した。__なぁ、守。君の名前は、君が持つには切なすぎるね。でも俺はそこに救われている、俺より年下の、俺より背の高い、__君に守られている間、俺は、ひどく幸せなんだ。
 欠けている同士慰め合うのは愚かなことなのかもしれない。傷を舐め合うような好意を「卑しい」と形容されても、俺も、お前も、文句は言えない。しかしきっと心の中で俺達は言い返すんだ。お前達には分からないだろう。 此処は、確かに暖かい。



 此処にあるのは、確かに「愛」だ。
お借りしたキャラはにぱさんのサイト「最小公倍数」の「背中合わせと反比例」より、佐久間守くん。コラボさせていただいたのはうちのアーネストでした。
守アニが楽しくてですね……! 温かく響き合う二人。

2011/11/30:ソヨゴ
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