寝付けないんだ。もうずっと前から。隣で眠る相棒の安らかな寝息を数えるたびに、睡魔は遠ざかり、暗闇はその彩度を増す。目はすっかり夜に慣れてしまった、初めは目蓋を開いても閉じても同じ桎梏だったのに、今じゃ世界は青みを帯びて目蓋の裏とは違う色をしてる。一分一秒と夜が更けていきその度に思い知らされる、お前は、眠れないよ。
 仮想現実にトリップしても不眠症は治らないらしい。ゆっくりと、オイルの中のビー玉が螺旋を描いて落ちていく様に眠りにつく、あの感覚を、上手く思い出せなくなった。仮想現実に不満はない。ただ眠剤のないのだけ不安だ。俺はこのままじゃ眠れないだろう、朝が来ても、日が昇っても、再び月が顔を出し世界が深海に沈んでも。薬が欲しい。厭な夢を見るけど、どんな夢でも見ないよかマシだ。夢は見ないと駄目だ。夢を見ないと潰れてしまう。現実の重力に押し潰されて息ができなくなる。違う世界に逃げないと肺は膨らんで来ないんだ。 多分。
 俺は数秒、深呼吸して、それからそっと半身を起こす。諦めた。今日はもう寝られない、昨日も寝られなかったが今日もだ、だから明日もきっとそう。いつか前のめりにぶっ倒れてそのまま死んだように眠るだろう、もしくは死ぬかだ、まあどっちでもいい。何があっても弟は守る。死んだら霊にでも化け物にでもなんにだってなれそうだ、心配は要らないだろう。隣に眠る同僚の、眠りの深さを確認して、俺は枕元の灯りをつけた。ベッドとベッドの間には小さな書き物台があってそれはランプとつながっており、明るさが五段階に調節できる。ランプを下から二段階目の明るさに留め、寝顔を見つめた。……一歳しか、違わないんだよな。
 さらさらとした銀髪。今は見えないアイスブルーの瞳。この仮想現実で同僚として過ごしてる彼は、実際よりひどく幼く見える。チビだからだな。そして危ういから。書き物台に頬杖をつき、片方の手を彼の頭へ伸ばしかけて、やっぱりやめた。撫でたりしたら嫌がりそうだ。罵倒されるのは俺が嫌。
 ほんと、綺麗な顔だ。
 人形みたいだ、と思う。シドは操り人形みたいだ。糸に操られているけど糸がなければ立てない、恐らく、その糸の虚しさに不意に気付いてしまえば恐らく、__いや。何が正しいのかなんて俺にはさっぱり分からない。この可哀想な青年を操っている透明な糸も、実は神の羅針盤に過ぎないのかもしれない、彼は神に守られて導かれているだけかもしれない。けど、どうにもダブるんだ。昔の自分と。愚かな姿と。俺は、あの糸を盲信していたかつての自分に戻りたくない。俺はあの糸を切ることで退化したのかもしれないが、もしかしたら操り人形の方が、正しかったのかもしれないが、俺が善であろうが悪であろうがもう弟は傷付けたくない。だから戻りたくない。だから、気に掛かる。
 大きなお世話だろうな。きっと。俺が愚かだったのは、ずっとずっと昔に既にその糸が嘘八百だって、神の尊い意思なんかじゃなく気まぐれな蜘蛛の糸だって、気づいてたのに、操られたから、わざわざ切れた糸を繋げて操られ続けたからで、シドはそうじゃない。俺とは違う、……けどなシド、その糸が『善』か『悪』かは分からないけど、その糸は多分お前のことを“幸せにはしてくれない”。
 誰も幸せにならないよ、シド。それだけは俺にも分かる。コオロギ頭の俺にもな。
 夜風に当たりたくなって、ベッドから出る。少し歩いて窓を開けると、窓辺に煙草の箱があった。マイルドセブン。ヤツの愛用の。夜風がふわりと吹き込んできて俺の頬を撫でていく。これも脳に与えられた刺激云々に過ぎないんだろうが、だとしてもそれは心地よく、俺は彼の煙草を一本、吸ってみようか、なんて思った。普段は吸わないんだよな。だってメリットがないだろこれ、非生産的だし身体に悪い。だのに吸う気になったのは、夜風に当たって少しだけ感傷的になったからだろうか。もっと違う意味もある気がする、まあ、そんなのはどうでもいい。
 有害な嗜好品を銜え、先端に火を付ける。彼のようにはいかなかった。何度か失敗しちまった、ライターなんて滅多に使わない。とりあえずは火が灯ったので、勝手が分からないながら試しに吸って、咳き込んだ。それも盛大に。長い間。
「……うっせぇな」
 どうにか収まってきた頃にシドの眠そうな声が聞こえた。あーぁ、起こしちゃったなぁ。慣れないことはするもんじゃない。バツが悪いと感じつつ俺は軽口を返す。
「よくこんなもん吸えるよな」
「あ? 俺のじゃねえか、返せよ」
「一本くれぇいいだろぉ? 細けぇこと言うんじゃねーよ」
 それ以上吸う気はなかったが、俺はしばらく煙草を燻らせシドが窓辺まで来るのを待った。程なく彼は隣に来て、窓枠に両腕を寝かせる。……退屈そうな横顔に、俺はあることを思い出す。時計をちらり、確認し、何気ない風で名を呼んだ。
「なぁシド」
「んだよカーティス」
 振り向いたその顔に、思い切り煙を吹きかける。
「Happy birthday,Lespaul」

親愛なるレスポール様へ。

 ストラトキャスターより。__なんてな。
はっぴーばーすでーシドくん! 短い話ですが。will-nilly企画設定で書きました。
ちなみに一応。レスポールとストラトキャスターは共に有名なギターのモデルです。
お借りしたキャラは三井千穂さん宅のシド・レスポールくん、お相手は拙宅のカーティス・シザーフィールドでした。


2012/08/01:ソヨゴ
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