確かに、顔はかなりいい。だけど騒がれるほどなんだろうか。それこそ廊下を歩くたび、食堂に現れるたび、彼は嬌声を浴びていた。黄色い声が聞こえると、必ず彼は苦笑していて。傍から見てると実に気の毒。そりゃ確かにかっこいいけどあんな騒ぐことないんじゃないの。そんな風に、私は思う。
 聞いた話によればだけど、彼は性格もいいらしい。いつでも他人優先で自分のことはあまり言わない。気軽に話しかけてくれるしさりげない優しさがある……とか。なるほどそりゃあ惚れられるだろう。自己評価というものは高くても低くてもいけない、彼はもう少し自分の容姿を高く見積もった方がいい。これじゃある意味、自業自得だ。


 確かに、ちょっと取っ付きにくい。だけど嫌われるほどなんだろうか。それこそ廊下を歩くたび、食堂に現れるたび、彼女はひどく避けられていた。ひそひそ声が聞こえてきても彼女はまるで気にしていなくて、傍から見てると好感が持てる。そりゃ女子には好かれないだろう、でも俺らまで避けなくたって。そんな風に、俺は思う。
 聞いた話によればだけど、彼女はかなり素っ気ないらしい。受け答えがつんけんしていて、女子の中心グループに嫌われてしまったそうだ。俺からすればギャーギャー騒いで陰口ばかりの女たちより、絡みづらくても颯爽としてる彼女の方が魅力的だけど。分野も違うし被ってる講義もない、文字通り赤の他人の俺が、こんなこと言うのはおかしいのかもしれないが。

シンカイdrowning

「凉谷マリア……ね」
「いや、お前が優しいヤツだってことは知ってるよ? でもあの子にはうん、関わんない方が無難だよ」
 同じ法学科の彼はそう言ってバックジュースを飲む。ストローなし、穴から直。変わってんなと思いつつ俺は缶コーヒーを一口。カフェインが染み渡る感じ、__まぁ錯覚なんだけれども。
「別にヤな感じしねぇけどなぁ。それに、結構美人じゃん。」
「えー……中の上じゃない?」
「それ偏見混じってるって。顔だけで判断したら、さ」
「……まぁ、それなりに」
 けど、さ。彼は拗ねた調子で続けた。 実際かなりヤな感じだぜ、かわいくねーの。
「“かわいくない”、ね」
 俺はいわゆる“かわいい”女子が苦手だったりするんだけど。大体、お前の言う“かわいい”って一体どういう“かわいい”なんだ? そんな言葉は飲み込んだ。波風は、立てない立てない。彼にしてみれば俺は友人で、__いや俺にとっても友人だけども__これは鈍感な俺に対する善意の忠告なんだろう。そう思うと、無下にもできない。心配してくれるのはありがたいことなんだし。 ありがた迷惑、とも言えるけど。
「と、に、か、く! あんま気にかけんなよあの子は、話しかけるとか気遣うとか、マジでもっての外だかんな?」
「……努力はする」
「……お前話聞いてた?」
 呆れ顔の彼に答える。 悪いけど、俺はこういうヤツだよ。


 今日出た新作を借りようとレンタルショップへ足を運んだ。勝手知ったる店の内部へ迷いなく足を進めると、ちょうど好きな監督のエリアに、高身長の青年が一人。前作と前々作を真剣な顔で見比べている。その横顔は私のよく知る、__一方的に、ではあるが__ある人物のものだった。
(蔵未くん、だ)
 何を悩んでいるのだろうか。この監督が好きなのだろうか。すごく、話しかけたい。けれども彼は私のことを恐らく欠片も知らないはずで、話しかけるのは妙だろう。そう思って、我慢した。
 私はこっそり隣に立って彼の横顔を覗き見る。やはり遠くから眺めているのと、こうやって近くで見るのとじゃ、受ける印象が全然違った。まず、思ったより背が高い。私も170近くあるけど、彼の方がずっと高い。鼻も、高い。すっとしている。丁寧に削られた彫刻のような顔立ち。素敵だなぁと思ったけれど、口に出すことはできなかった。伝えられるほど親しくない。
「……どうしよ。」
 ぼそり、呟きが聞こえる。すぐ後に疲れの混じったため息。二枚とも借りればいいのにと思ったところで思い出す。そっか、裕福ではないんだよ、ね__彼の家。
 奨学金で入学したとか。稼いだバイト代やらなんやらも全部、実家に送っているんだとか。耳に挟んだ程度の話だが多分本当のことなんだろう。映画一枚借りるのだって彼にとっては贅沢なのかも……そもそも大学にはいったのだって、家族の為だと聞いた気がする。
 自分のことはいいのだろうか?
「……随分、迷ってんだね」
 たまりかねて口を開いた。すると彼は少々戸惑った様子でちらりと私に目をやって、すぐ、驚きで目を見開く。
「凉谷さん?」
「へっ?」
「あれ、違ったっけ」
「ううん合ってる、合ってる、けど……」
 なんで知ってるの? 純粋にそう思った。訝しみを含んだままに彼に疑問を投げかけると、屈託のない笑顔が返って。 だって、凉谷さんは目立つから。
「髪が水色で目がピンク。それ、染めてないんでしょ? 俺そんな人見たことないよ」
「__変だよね、この色」
 私はふいと目を逸らした。この髪もこの目も染めたわけじゃない、生まれた時からこの色だった。目立つのは、当たり前。こんな人工的な色、気味悪い、化け物みたい。私は私の色が嫌いだ。幼い頃からこの色のことで何度も何度も傷ついてきた。周りから浮いてしまうのだってこの色のせいもあると思う。八割方、性格の問題だろうけど。
 艶のある黒髪。上品なブラウン。あなたに言われると、なおさら。
「変ねぇ……まぁ変わってるっちゃ変わってるけど、綺麗な色だと俺は思うよ」
「いいよお世辞は、」
「お世辞じゃなくて」
 ふと彼の手が私に近付く。何をする気だと身構えていたら、その指が髪の毛に触れた。そのまま髪を絡める指先に少なからずぎょっとする。見上げて顔を伺えば、彼はなんでもない風で。彼にとっては何気ない動作。女の子の髪に触れるってことがどういうことだか分かってんのかな、__自覚なし、タチが悪い。
「へー、つやつやしてんだなぁ」
 彼は私の水色がことのほか気に入ったらしい。整った指をしきりと動かし、髪の感触を楽しんでいる。本当に、美しい指。手全体がひどく華奢で、けれど男性らしさはあって。節くれ立つわけでもないとても柔らかなその曲線は、優しいカーブを描いている。細く、また長い指。爪の形まで麗しい。まるでベーシストの手のような、__女の私より、綺麗な手。
「……DVD、借りないの?」
「え? あぁ、ちょっと迷ってて」
 二枚借りるのはもったいないし。 そう言って彼は指を離した。代わりにその手は彼の短髪に埋もれて、上下に動く。軽く自身の頭を掻くと蔵未くんは苦笑した。何だか、板についている。
「__その二枚なら、」
 さっきからずっと言いたかったこと。言うチャンスは今しかない、これを逃したらもうきっとタイミングは来てくれない。出しゃばりだと思われないかな、何こいつとか、思われないかな。そう思うと心臓が鳴る。鼓動の速さを悟られないよう、私は素っ気なく口を開いた。
「私、持ってるよ。よかったら貸す」
 最新作も買うつもりだよ。
 本当? 私の言葉を聞くと、彼は嬉しそうに笑った。その笑顔を見てほっとする。
 勇気出して、言ってよかった。


「あー、そういやそうだったかもね」
「お前覚えてねぇのかよ……」
 上の空のまま答えると、呆れたような孝一の声。そんなこと言われても、忘れてたもんは忘れてたんだよ。
「女っけねーなぁ、馴れ初めくらい覚えててくれよ」
「そんなもん覚える時間があったら用語の一つも覚えとくわよ」
 馴れ初めはテストにでないでしょ? うっわぁ、ヤな女。
「お前が嫌われてた理由、付き合ってから知ったんだよな……」
「じゃあ知って嫌いになった?」
「なる訳ねぇだろ愛してんのに」
 きっぱり、はっきり、恥ずかしげもなく。付き合ってから知ったことだけど彼は想像以上に鈍感で、そのくせ気付かれたくないことにはものすごく目ざとく気付く。そして恐らく彼の辞書には羞恥心という言葉はない、こっ恥ずかしいようなことでも臆面無く、躊躇無く。彼と一緒にいるとたびたび顔を真っ赤にさせられる、__今みたいに。
「何照れてんの?」
「照れもするわ馬鹿」
「ふぅん。俺は当然のことを当然に当然のように言ったまでだけど」
 しれっと、そんなことを言う。憎たらしい恋人だ、初めのうちこそ天然に赤面台詞を吐いていた彼だが、付き合い初めてしばらく経つと今度は意図して言うようになった。全く、したたかな男。わざとと思うと天然だったり、素だと思うとわざとだったり。いつでも彼は一枚上手だ。それが悔しいような、嬉しいような。
「時々本気で殴りたくなるよ」
「DVはまずいぞマリア」
「家庭じゃないから問題ないでしょ」
「ヴァイオレンスでも大問題だよ」
 二人して他愛ない応酬。レポート資料をまとめながら私はくるくるペンを回す。孝一は小さくあくびして、疲れた様子で頬杖をついた。かけていた眼鏡を外して目頭をぐっと押さえる、__もうそろそろ、切り出さないと。
 黒縁の、細い楕円の眼鏡は、孝一に良く似合っていた。ガラス越しの二重の瞳は凛としていて媚がない。きりりとした眼。“端正”な顔立ち。その深いブラウンの瞳はどこか影を帯びている。上質なコーヒーのような、まるで香り立つような。コーヒー、ビターチョコレート。私の中の彼のイメージ。
「……あの、さ。」
「ん?」
 呼びかける。顔を上げた彼と目が合わぬよう、斜め下を見つめてみた。味も素っ気もないマットレス。我ながら洒落っ気のない、滑り止め以外の要素が見当たらない無機質さ。灰色で、無味乾燥な。__“無味乾燥”って四字熟語で法学科思いだす辺り、私もそろそろ末期だなぁ。孝一のことばっかりだ。
「え、と……今日、さ、あのさ、」
 言葉が上手くでてこない。こういう時こそ察してほしいのに彼は全く気がついていない。こいつ絶対忘れてるだろ……携帯を見れば分かること。けど彼は大概電源を切ってる、携帯している意味がないけど彼はそういう人なのだ。だから何通も届いているはずのお祝いのメールにも、恐らく気がついていない。彼は私と違って友人も多いのだからその数はハンパじゃなかろうに。
 家事はできる人だけど、生活能力が足りてない気がする。料理とか、孝一の方が上手いんだけどね。
「今日が何日か分かってる?」
「っと、……実を言うと、その、日にち感覚が崩れてまして」
 彼は気まずそうに笑った。あぁ、やっぱ忘れてたのね。予想を裏切らない人だ。
「____五月十四日!」
「、へ?」
「今日、アンタ誕生日でしょう」
 ぱち、ぱち。大きく二回まばたき。数秒の間の後に、彼は一言宙に放って。 マジで?
「すっかり忘れてた……」
「自分の誕生日くらい覚えておいたらどうなのよ」
「いや最近忙しくって……今月だなとは思ってたけど……」
 相変わらずのだらしなさ。きっちりしてんだかしてないんだか。分かってる、彼がだらしなくなっちゃうのは自分に関することのみだ。すこしでも他人が関わると、彼は何事にも真剣で。ルーズには、ならない。 本当他人のことばかり。
「だから、その。プレゼントあるから」
「“私がプレゼント”とかそういう?」
「解剖されろ」
「さすが医学部」
 誕生日に死ねってか? 言って、軽い軽い苦笑。彼の苦笑には愛おしむような、温かな色が織り込んである。それを認めるたびに私はぐるぐると悩んでしまう、何故だろう、どうして私を愛せるのだろう。自分で言うのもなんだけど私にはかわいげがない。甘えるのもねだるのも、上手くできない、とても苦手だ。だって少し、気味が悪くて。私と孝一は釣り合ってない。私に孝一はもったいない、彼の恋人なんて贅沢すぎるんだ、顔だって能力だって人柄だって全部そう、私の方が劣ってる。それなのに彼は「愛してる」と言う。何度でも、微笑みながら、その指に私の髪を絡めて。私は幸福すぎやしないか? 私は本来この人に、愛してもらえる人間じゃないのに。
「マリア」
「え、__って近っ!!」
 声のする方に目を向ければ彼の顔が目の前にあった。コノヤロ、いつの間に隣に……さっきまでテーブルの向こう側にいたくせに。いつでもそう、察しやがるんだ。憎たらしい恋人、ねぇ、何で愛してくれてるの? かわいくなくて優しくなくて、気味悪い色をした私。私は幸せすぎて怖い、何か近い未来に、大きな、耐えられないような不幸が、降り掛かってくるような気がして。
 あなたを失ってしまう気がして。
「……何でそんな顔してんの?」
「そんな顔って?」
「__上手く言えねぇけど」
 彼の手が伸びてきて私の髪をかき上げる。耳の後ろから、櫛みたいに。

「マリア、……キスしていい?」

 深い深い瞳に溺れる。今さらいくらあがいたところで私はあなたに溺れてしまった。私がいくら怖がったところでもう自分からは離れられない、浮かび上がって、岸へだなんて、もう戻っていけやしない。もうどうしようもないのでしょう?
 なら、いっそ。
「……ダメ」
「どうして? 俺、今日誕生日なのに」
「__誕生日だからだよ」
 彼の首に腕を回した。引き寄せるようにしてその唇を奪いにかかる。彼が目を丸くするのが分かって私はゆっくり目を閉じた。くすぐったい、焦れったい感触、うなじに手の平、細い彼の指。ぐっと押し付けられるようにして、立ち入られて、溺れる、溺れる。怖がっていてももう戻れない、この幸福に浸れるうちは、こうやって溺れてしまえ、いつかは乾いた地面へと放り出される運命でも、今は溺れてたい、あなたの中で、あなたの目で、あなたの腕で。全て飲みこんでしまいたい。ねぇワガママを言ってもいいなら、肺まであなたに満たされて死にたい、どうかこのまま愛し続けて、__溺れていさせて。息が止まるまで。
 こんな私を、愛してください。
「……どういう風の吹き回し?」
 離れ際に唇を舐める。口の端についていたらしい私の唾液も舐めとって、彼はその赤い舌を仕舞った。いつもとは、違う表情。ブラウンはすこし赤みを帯びて、まるでブラックチェリーのよう。心臓を口に含まれたみたい、ぞくりとする、その瞳。
「文句、言ってたでしょ」
「文句?」
「お前からキスしてくれたことない、って……この前さ。」
 確か先月辺りのこと。フライパンを返しながら彼は口を尖らせていた。キスすんの、いつも俺だよね。マリアからやってくれたことない。
「だからその、誕生日には、やったげようと思ってて……あ、もちろんプレゼントは別だか、らっ!?」
「もうなにお前本当かわいい、」
 いきなり強く抱きしめられた。息できない、放せ馬鹿。ちょいと喚いてみたのだけれど彼は聞く耳を持ってない。彼は耳元で嬉しそうに、だらしなく緩んだ声を出す。
「愛してる世界の誰より、お前だけ、あーもうかわいい」
「ア、アンタ羞恥心はどこに、」
「どっかに捨てた、もう知らない」
 プレゼント渡したいんですけど。 不服を唱えてはみたが、放してはくれないだろうとすでに私は悟っていた。腕の力は強くなるばかりで、温かい、広い胸。__このまま預けてしまおうか。
「ねぇマリア、まだ足んないんだけど」
「は?」
「分かるだろ? 全部欲しいんだよ」
 __あーあ、せっかく買ってきたのに。孝一が読みたがってた本。ラッピングまでしたのに結局、渡すのは生身の私か。飾りも何も無いんですけど? それでもいいの? それでもきっと、あなたはきっと、“それがいい”と言うのだろう。物好きな人、馬鹿なんじゃないの。もっといい女いっぱいいるのに。貴方は私なんかよりずっと優れているというのに。私よりあなたに相応しい人、きっと山ほどいるはずなのに。
 それでもあなたは、私を選んだ。
「……アンタ、めちゃくちゃ趣味悪いよね」



 そんな趣味悪い男選んだ、私も十分、趣味が悪いか。
drown、brown。
蔵未の誕生日は五月十四日。つまり今日!です! ちょっと遅刻したけど!
三十分だから見逃してください。くらみんハッピーバースデー!!

2011/05/14:ソヨゴ
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