食堂でのんびりしてたら彼が走り寄ってきた。息が荒い。相当、走り回ったらしい。
「さっ沢霧大佐!」
「おっ小豆屋じゃん、どーしたよそんな焦って。」
「いえ、あの……蔵未大佐を見ませんでしたか。」

ショウメツdying

 無線は、と尋ねれば、繋がらないんですと返事。 あぁアイツいつも切ってるからなぁ。
「俺は見てねーよ、悪ぃな」
「あっいえそんな、」
「ところで、何で探してんの?」
 実は。言いかけて動きが止まる。そのまま口ごもった彼をさりげなく促すと、彼は気まずそうに口を開いた。
「実は……弟さんが来ていて。」
「へぇ、弟。 上?下?」
「___両方です。」
 思わず顔をしかめてしまった。 うげ、孝二も来てんのかよ。
 孝志くんはかわいいけど、正直俺は孝二が嫌いだ。あのひねくれ者……甘ったれてんじゃねぇよ。
「もしかして、沢霧大佐も彼がお嫌いで」
「も、ってことは小豆屋は嫌いなのね」
 笑って返す。しまった、といったような表情をした後に、彼はバツが悪そうに肯定した。 正直、言うと。
「俺ら軍人を馬鹿にしてますし……何より、大佐への態度が本当に嫌で。」
 なるほどねぇ。この子が蔵未を慕ってるのなんてどんな鈍感でも分かる。憧れの人に対して、あんな態度をされてしまえば……そりゃいい気はしないよなぁ。
「じゃあすっぽかしちゃえば?見つかりませんでしたーっつって。」
「そういう訳にも……孝志くんが可哀想ですし」
「そういやそうだな。んじゃあどーにかして引き離して、」
「____何の話だ。」
 あちゃー。
 振り返る。背後で当の本人が、いぶかしげに俺らを見ていた。
「よ……よぅ、蔵未。」
「大佐………弟さん方、来てますよ。」


 広場には他に人影はなかった。広場に連れて行くと、孝志くんが嬉しそうに兄を呼んで飛びついた。まだまだずっと幼いけれど、ほのかに兄の面影のある顔。声も、少し似てきている。
「一兄久しぶりっ!」
「おう、元気にしてたか孝志」
 飛びつかれた蔵未は、苦笑しながら頭を撫でる。 一方、孝二はといえば。
「久しぶり兄貴。まだ生きてたんだ?」
「……死亡通知は行ってないだろ。」
 嘆息まじりの受け答え。 蔵未孝二、相変わらず嫌な野郎だ。
「孝志もいつまで抱きついてんの。ガキじゃないんだから、」
「えっ俺もうガキじゃないの!?」
「………喜ぶなよ、皮肉だっつーの」
 本当、お前って頭足りないな。呆れたように孝二は言う。
 兄弟三人揃いも揃って、こうも性格が違うとは。年が離れてるせいだろうか? 特に蔵未と孝志くんは、本当に血が繋がっているんだろうか。
「あっ章吾さんもいる!」
「うおっ気付かれた!!なーんつって。やっほー、久々じゃんよ孝志くん。」
 わーい章吾さん章吾さん!! 孝志くんは嬉しそうに俺にすり寄ってきた。さすがに遠慮をしたのだろうか、抱きつきはしなかったけど………そんな孝志くんを見て、蔵未は背を屈め、説き伏せる。
「いいかー孝志、この胡散臭いpi×× F.×.G. di××クズ野郎には絶対懐いちゃ駄目だぞー」
「教育上よろしくねぇぞch××ke× h×ad黙らせてやろうか」
 さらっと飛び出たスラングに傷つく。コイツ俺のことなんだ思って____あ、クズか。
「何でそんなこと言うの一兄」
 言ってること全然分かんなかったけどさ。そう言って、孝志くんはその頬を膨らませた。 そりゃそうだ分かったらまずい。俺が言ったことも含めてな……
「本当は章吾さんのこと好きでしょ一兄」
「、え?」
「だって嫌いだったら一緒にいたりしないでしょ?それに章吾さんといる時の一兄、すっごく楽しそうだもん!!」
 からかいでもヤジでもない、本当に純粋な言葉。無邪気な笑顔。だからこそ、___照れくさい。
 ご他聞にもれず、蔵未も気恥ずかしかったようで。 少々赤くなりながら返す。
「まぁ、うん…そりゃまぁその………嫌いじゃ、ねぇけど。」
 ほら、やっぱり。孝志くんは少し誇らしげで。 俺は口角が上がるのを隠しもしないで蔵未を茶化す。
「ほぉーてっきり嫌われてんのかとぉ、いっつもクズクズ言われるからさぁ?何だよ本当は好きなの?好きなの?」
「Sh×t the f××k up下水道に流してやろうか?」
「でもそんなことしねぇんだろ?」
 うるせぇよ。その声が、本気で苛ついていたのでやめる。 えっ嫌われてんの、やっぱ嫌われてんですか俺。
 いやちゃんと分かってるけどさ。ちょっと意地っ張りなところは、孝二君に似てるのかもな。
 孝二は一連の流れを実に不機嫌そうに見ていた。苛立ちを前面に出して、彼は孝志くんに言う。
「孝志さぁ、ちょっと席外しててくんない」
「何でー?」
「いいから。小豆屋さんにでも遊んでもらってよ。」
 何様なんだよ、てめぇ。血管が一本ほど切れそうになった。何とか堪えた頃には二人の姿は消えていて、どうやら蔵未が頼んでしまったらしかった。
 コイツ、何言うつもりなんだ。
「本当は、沢霧さんにもどっか行って欲しいんですけど。」
「てめぇの都合なんざ知らねぇよ、クソガキ。」
「沢霧、」
「俺は去らねぇよ蔵未。」
 この最悪な弟は、何を言い出すか分からない。釘は刺しておくに限るし、何より____蔵未が耐えすぎてしまう人間だって、俺は知りすぎるほど知っている。放っておくのは危険なんだ。
「………今日は、昔話をしにきましたー。」
 気怠げに。面倒そうに。 何に対して苛ついてんだ……苛つきてぇのはこっちの方だ。
「昔話?」
「アンタの死んだ恋人のことだよ。」
 一瞬、蔵未の息が詰まった。望んだ反応だったのか、彼は嬉々として話し出す。
「凉谷マリアってんでしょ。調べたよ。アンタあの女のせいで軍隊に入ったんだね。」
 馬鹿じゃないの。
 せせら笑う。傷の深さも知らないで。
「本当は軍隊なんか入りたくなかったくせに。アンタ弁護士目指してたもんね、あんな女と付き合うからだよ、馬鹿、本当馬鹿だよアンタ。」
「孝二、」
「頭の弱い女だよね、カミサマに逆らうとかさぁ。まだ忘れられてないんだ?その薬指の、あの女の指輪だろ。まだそんなモンしてんの、早く捨てれば、無駄でしょそんなの。」
 調子乗ってんじゃねぇぞガキ。
 耐えきれなくて口を挟む。蔵未は拳を握りしめたまま一言、いいから、とだけ言った。食い下がれば重ねて言われ、仕方なく引き下がる。何でだよ、何で怒らねぇんだよ。お前の大事な人のことまであんな風に言われてんだぞ。
「孝二、俺のことは好きに言っていい。ただ、____マリアのことだけは、」
「あの女がそんなに大事?へぇ、もう死んじゃったのにね。もういないのに。」
 後追って死んじゃえばいいのに。 孝二は嘲笑って応える。 早く戦死でも何でもしちゃえば。
「あの馬鹿な女が忘れられないならさっさと死んじゃえばいいじゃん、それともこの世に未練でもあんの?あ、俺らのことなら気にしなくていいから。俺はアンタが死んだら万々歳だし、孝志は悲しむだろうけどすぐ立ち直るよ。イルナちゃんもいるしなアンタと違って。いつまで引きずってるつもり、もういい加減捨てたらどう?」
 ふざけんな、いい加減にしろ。そう口に出そうとした瞬間、彼は決定的な言葉を口にした。
 まるでとどめを刺すように。

「あんな女、“死んで当然”だよ。」

 咄嗟に蔵未の手首を掴む。引き抜かれたナイフは振り上げられる途中で止まった。 ひどく、息が荒い。
「蔵未___落ち着け。」
 何しようとした。
 問いつつ、俺は分かりきってた。 あの速さは殺意の速さだ。
 蔵未は俯いたままだ。表情は見えない。過呼吸のような苦しそうな息。そっか、……限界か。 孝二はナイフを見て凍り付いている。ごくり、喉が動く。
「あ、……兄、貴」
「孝二。」
 がくん、と勢いよく垂れ下がる腕。決して目を合わせずに、低い声で蔵未は続けた。
「頼むから………もう二度と、俺の前には現れないでくれ。」
「兄貴俺は、」
「お前見てると吐き気がすんだよ。」
吐き捨てる。蔵未はそのまま踵を返し、振り返らずにその場を去った。追いかける前に、俺は孝二に向かって言った。
「___お前に傷つく権利なんてねぇよ。」
 俺も振り返らずに去る。 分かってるよ、そんな言葉が、微かに聞こえたような気がした。


 蔵未の部屋へ行ってみれば、いつもはかかってない鍵がかかっていて。都合のいいことに俺はパスワードを知ってる。八桁入力して、扉を開けた。
「蔵未。」
 探すまでもなく彼は廊下に座り込んでいて。軍帽を外し俺を見上げる。 その目は疲れきっていた。
「何で……あんなになるまで耐えちゃったんだよ。」
「俺のことは好きに言えばいい。馬鹿でも阿呆でも愚か者でも___全部、事実だ。」
 気力のない声。蔵未は俺から視線を外す。
「けど、何で……何で、マリアのことまで、……あんな………何で……」
「蔵未、」
「もう沢山だ。____もう疲れたよ、沢霧。」
 いっそ死んじまおうか。乾いた笑み。 そしたらラクになれるかな。
「馬鹿なこと言うんじゃねぇよ。」
「しょうがねぇだろ馬鹿なんだから。」
「しっかりしろよ、何言ってんだよ。」
「死んだらいなくなれるんだろ。そしたらもう、苦しくないよな。 こんな思いはしなくていいよな。」
 やばいな、この思考回路は。ぞっとするものを感じつつしゃがみこんで肩に手を置く。軽くゆすったが、反応はない。____怖い。
「もう長い間耐えてきたんだ、もう無駄に何年も、何年も過ごしてきて、頑張った方だろ、もういいだろ、もう疲れた、嫌だ、嫌だよ………生きてたって何にもならねぇ。」
 もう死んだっていいだろ、死にたいよ、疲れたよ。 一度涙が溢れると、後はもう止まらなかった。苦しそうな泣き声に自然と表情が歪む。見て、いられない。
「全部おかしくなっちまった、マリアが死んでから、ずっとそう、何をしても埋まんない、苦しいんだよ、もう沢山だ、早く死ねば、だっけ、そうだよな、もう死んじゃおうか、早く死んじゃおう、そしたらもしかしたらさぁ、マリアに会えるかもしれない。」
 なぁんだ。蔵未は痛々しい笑顔を浮かべた。 なぁんだ、そしたら幸せじゃねぇか。


「孝二さん。」
 声をかける。そこに二人はいなくて、孝二さんだけが立ち尽くしていた。血の気が、失せている。 何かあったらしい。
 様子見に来たらこのザマかよ……コイツ、何しやがった。
「何があったんですか。」
 なるべく丁寧に。けど、怒りを隠せてる気はしない。
 彼は黙り込んだまま答えない。とうとう、俺は隠すのをやめた。
「どうせろくでもねーこと言いやがったんだろ、アンタ。」
 いきなりの口調の変化に少なからず驚いたらしい。彼はパッと顔を上げた。目を合わせたまま、俺は続ける。
「何言ったかは知らねーけどさ、アンタが本当は大佐のこと嫌ってなんかないのは知ってる、でもあんなこと言って伝わると思うワケ?馬鹿はどっちだよ?んなことも分かんねぇのかよ?何意地張ってんだか知らねーけどさ、知ったこっちゃないけど、アンタは大事な人追いつめてるだけだよ。大事な人わざわざ傷付けて、追いつめて、心にざくざくナイフ刺してさ、最低だよ、最低だよアンタ、」
 一度、区切る。息を深く吸い込んで、俺はため息のように呟いた。
「____最悪だよ。」
 許されるなら殺してやりたい。けれどこんなヤツだって、大佐の大事な弟で。ならせめて傷ついてくれ、同じくらいとは言わない、どうせアンタには無理だろ、お前は大佐とは違う、ずっと弱くてずっと愚かだ。
「___兄貴が軍隊に入る時、」
 唐突に、彼は口を開いた。小さな小さな沈んだ声で。
「いくら聞いても、怒っても、泣いても、何も言ってくれなかったんだ。俺知ってたんだよ、兄貴が弁護士なりたがってんの。ぴったりだって思ってた、兄貴、優しいからさ、本当に救うべき人をちゃんと見つけて救うんだろうなって、ぴったりだろ弁護士とか、だから、だからおかしいと思った、軍隊なんて、____人殺しなんて、兄貴がしたがるはずないじゃん。」
 嫌な予感がしたんだ。 そう、彼は言った。
「弁護士だってそうだけど、軍人って高収入だろ。しかも手っ取り早く手に入る。弁護士ってのは稼げるようになるまで色々と大変で、その時兄貴はまだ学生で、____だから嫌な予感がしたんだ。もしかしたら、さ………俺が進学したがってんの、バレちゃったかもしんないって。」
 大佐の家が裕福とは言えないことは知っていた。いつだったか、大佐は奨学金で進学したと聞いた記憶もある。 つまり、そうでなければとてもじゃないが大学なぞには行けなかったのだ。
「もし、もしだけど、俺の為なら、俺のせい、なら……そんなことしてほしくなかったんだ。兄貴はいっつもそう、自分じゃなくて俺らばっかり、俺だって、俺らだってさ………兄貴のことが大切なのは、俺らだって同じなのにさ。」
 酷いことばかり言っていたのは、嫌われる為だった。嫌われて、こんなヤツの為に軍隊なんかにいるのかよって、思ってくれたら____辞めてくれるんじゃないか。
 そんなの、伝わる訳がない。
「………一つだけ言っとくよ。」
 やるせない気持ちになって、俺はぼそりと真実を言う。
「大佐は別に、弁護士になりたかった訳じゃないんだ。」
「……え?」
「高収入なら何でも良かったんだよ。軍人は嫌だったみたいだけど……どうせ最初から、アンタらのことしか考えてなかったんだ。」
 やりたい仕事は特になかった。酒の席で、大佐はそう言っていた。 だったら弟二人の為に、稼げる仕事に就こうってな。アイツらにはなりてぇモンがある。俺には特に、何もないから。
「大佐はさ、マリアさんさえいれば他には何も要らなかったんだ。マリアさんさえ隣にいたら____それだけで幸せだったんだよ。」
 じゃあ。 孝二さんは唇を震わせた。 じゃあ、あの人は、兄貴にとって………何より大事な人だったってこと?
「……そうだよ。そして、」
 その人は死んでしまった。
 彼の表情が一瞬で変わる。縋り付くように、彼は俺の身体を揺さぶる。
「どうしよう、俺謝らなきゃ、謝らなきゃ、俺っ、言っちゃいけないこと言った、」
「は?何言ったんだよ、」
「マリアさんのこと____“死んで当然”だ、って…………」
 事の重大さに気がつく。ついてこい、短く叫んで、俺は大佐の部屋へと駆け出した。


「ふざけんな何が幸せだよ、死んで幸せも何もないだろ」
 しっかりしろ。俺はぐっと肩を掴んだ。
「生きなきゃ駄目だ蔵未、このまま死ぬなんて報われない、なぁそうだろ?そんなの駄目だろ?お前幸せになんなきゃ駄目だよ。」
「幸せ?___どうやって?」
 マリアがいないのに、どうやって。
「アイツなしでなんて、無理だよ、マリアがいないのに幸せなんて、どこにも無い、俺が誰より愛してた人はもうどこにもいないんだ。このまま生きてても辛いよ、沢霧。何ならお前が殺してくれよ、なぁ友達だろ、早くラクにしてくれよ。」
 殺してくれ。 蔵未は何度か呟いた。 友達だろ。殺してよ。死なせてよ。もう、いいだろ。
 ふっと暗い考えがよぎる。俺はもう知ってるんじゃないのか。蔵未はもう救われない。コイツを救えるヤツなんて……マリアさん、アンタしかいないんだよ。
 だったら。俺に、できることは。
「____ナイフと銃とどっちがいい。」
 静かに問う。銃にしてくれと返答があった。 マリアと同じ死に方がいい。
 頷いて銃を抜き取る。装填して、胸に突きつけた。 ありがとう。虚しい言葉。
「………じゃあな、蔵未。」
 俺は引き金に指をかけた。こんなことしかできなくてごめん。心の中で謝って、俺は引き金を、
 引こうとした。
「兄貴っ!!」
 扉が叩かれる。激しい音に驚い俺も蔵未も横を向いた。 声は、訴えるように響く。
「兄貴違うんだ、ごめん、あんなひどいこと言ってごめん、本心じゃなくて、俺は、っ、ごめん、ごめんね兄貴、死んじゃえばなんて思ってない、死んだら悲しいよ、俺は兄貴が、兄貴がっ、ごめん、ごめん兄貴、ごめん、」
 やっと素直になったか。安心して俺は銃を捨てた。立ち上がって蔵未を見る。 殺さなくてもいいだろ?そう、言おうとして。
 でも。
 切り裂くような笑い声。真綿に染み渡るように狂気が滲んで見え隠れする。あからさまにおかしいんじゃない、じわじわと追い込むような、背筋の凍る笑い声。歯車ががたがたになって巧く回らないような、不安定な、そう、____戦場での声と同じの。
「蔵…未……?」
 外にも届いているのだろうか。さっきまではアイツに、知って欲しいと思っていたのに。蔵未がどんなに苦しんでるか思い知れなんて思っていたのに。今は届いて欲しくない。聞こえてないことを祈る、けど………ぱったり声が止んだってことは、きっと。
「沢霧ぃ、なぁ沢霧、沢霧、聞いてる?」
 なおも笑いながら蔵未は尋ねる。 聞いてるよ。恐る恐る答えれば、彼は壊れそうな笑顔を見せた。

「俺は、___自由に死ねもしないんだな」

 全身から力が抜ける。反対側の壁にもたれてずるずると座り込んだ。 笑い続ける蔵未を見ながら、俺は悄然と、途方に暮れる。



 神様、俺達を救って下さい。

嫌なお話。

2011/02/22:ソヨゴ
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