私に襲いかかってきたのはチーターのような娘であった。
 来客を告げるベルに気付いて私が微笑みかけた途端に、彼女は私に“飛びかかって”来た。その細い身体に呆気なく倒されて、私の視界は天井を捉える。後頭部に、鈍い衝撃。痛みに一瞬閉じた瞼が再び開いたその時には、__彼女の笑顔が眼前にあって。
「ねぇおじさん、ボクにちょーだい?」
 可愛らしい声とは裏腹に、目だけが獣の光を帯びていた。


「……で、何で俺がこんな目に」
 独り言はただの自問自答。俺はため息とともに財布を開き、ぬいぐるみ屋の店主に謝る。
「本当すみません」
「いえいえ、貴方が謝らなくても」
 初老の店主は穏やかに、俺に対して苦笑を浮かべる。素敵なロマンスグレーの彼は痛そうに頭をさすった。 少々、薄くなりつつあるな。
「ところで軍人さん」
「えっ!? ああはい」
「いやあの、あの子とは一体どういったご関係なのかと」
「あぁ……同僚というか何というか」
 軍服が違うのは、アイツが傭兵だからですよ。
 疑問に先回りして答えて、俺は恨めしく彼女を睨む。……その女は我が物顔で、店のソファーに身を預けていた。
「ねぇお前さっさと買えよ」
「お前本当何様なんだよ!」
 ふふん、と彼女は得意げに笑う。彼女はフランス人の父親と中国人の母を持つ。軍所属時の階級は中佐、実力は大佐、現在傭兵。我が軍に雇われ中だ。つややかな黒髪に、垂れ気味の野性的な黒目。杏仁豆腐のような肌、煮詰めたジャムの色をした唇、……デザートで作られた女。
 そして。俺が関わった中で唯一、__出会ったことを後悔してるヤツ。
「李伶様だよーだ、蔵未」
 彼女の名は李伶。 李伶・アルル・ベルレイン。


「お前そんなもん欲しかったの?」
 俺は疲れ果てた声音で左側に立つ彼女を見上げる。彼女はガードレールの上を実に器用に歩いていた。その腕でひしと抱きしめているのは、先程俺が買ってあげた、__と言ってもあとで代金はきっちり彼女の口座から下ろさせてもらうが__銀色の、クマのぬいぐるみだ。
 ぎゅう。
 そのぬいぐるみはかなり大きく、彼女の身の丈の半分ほどもある。彼女は確かにまだ20代、俺より年下ではあるけれど、ぬいぐるみを抱きしめるのが許される年齢ではない。しかも当然、ここは街中。まぁ注意なんぞしたところで俺の話など聞いちゃいないんだ、もう好きにすればいいけど。
「そんなもんじゃないもん、ないもん」
 李伶は拗ねた顔で答えてぬいぐるみに頬ずりをした。その表情は愛らしく、なんにも知らないヤツが見たなら普通に可愛い女の子だけど。 残念なことに、俺は知っている。
 コイツは気が狂っちまってる。
 軍隊ってのはまともなヤツをまともじゃなくする場所だ。“人殺し”を、育て上げる場所。だから多かれ少なかれ、軍隊にいるヤツは……どこか、狂ってる。壊れてる。頭がおかしくなっている。それは俺だって、小豆屋だって、それから俺の戦友だって。皆、そうだ。歪んでいる。平気で人が殺せる時点で既にまともなんかじゃないんだ。李伶も同じこと。ただ彼女の場合は少し、壊れっぷりが、顕著なだけで。
「きらきら銀色でしょ、蔵未」
「は?」
「このくまさんだよばかやろー。ほら、__沢霧と、同じ色」
 彼女は俺の戦友を、病的なまでに愛している。
「あぁ、そういう……確かにな。アイツと同じ銀色だ」
 言われてみればその通り。ぬいぐるみの銀色は、戦友の銀髪とそっくり同じ色をしていた。よく見つけられたな、その色。 彼女は俺の答えを聞くとまとた得意げな笑みを見せ、ガードレールの上をスキップする。危なっかしいったら。
「似てる、似てる、沢霧に似てる似てる似てる似てる、嬉しい、嬉しい。くまさん好き」
 彼女はガードレールの継ぎ目、ポールの頂点でターンした。爪先で、無駄なくくるり。その運動神経はさすが軍人といったところで。戦場で見せる肉食獣の獰猛さとは相反して、今の彼女は乙女である。好き、好き、沢霧大好き。そう言ってクマを抱きしめる。 綺麗な銀色、沢霧の色。
「うーん、なんか複雑」
「なにがぁ?」
「いや、自分の親友がさ。目の前で好き好き言われてっとさ」
 ジェラシーはない。どちらに対しても。ただ、何と言えばいいのか……むずがゆくなっちまうんだ。本人でないのに気恥ずかしい、そして同時に、ちょっと気まずい。それは昔、孝二が告白されているところを見てしまった時の心境に似ていた。あれは気まずかったなぁ。しかも、そのあと見つかっちゃったし。
「何で? お前には関係ないじゃん」
「ないんだけどもさ。あーもーいいよ、どうせお前には分かりませんよ」
「言っとくけど、けどけどけど、ボクは蔵未が大嫌いだかんね」
「そりゃ奇遇だ、俺もお前が大嫌いですよ」
 いつも迷惑かけてきやがって、と、俺は口に出さずに続けた。今日だってそうだ。今日は久々の休日で、部屋でのんびりくつろぎながら沢霧と野球を見てたのに、__ちなみに俺と沢霧の応援してるチームは違う、だもんでよく口論になる__比乃准将が訪ねてきて。准将はちらと沢霧を見てから俺だけを手招いた。訝しみつつ廊下に出れば、通報があったとの知らせ。よくよく聞けばその内容は、厄介な俺の同僚が、ぬいぐるみ屋の店主に飛びかかってるのを見たなんてもので。俺は深い嘆息とともに商店街へと向かった訳だ。
「俺はお前の保護者じゃねぇんだぞ……」
「ばぁか知ってるよ、召使いだろ?」
「違ぇよクソ野郎! お前俺のことなんだと、思って、」
 後に続く言葉は堪え、代わりに短く、息を吐き出す。何を言っても意味なんてない、コイツ相手にはのれんに腕押しだ。こんな傍迷惑なヤツさっさと縁切っちまえとも思うが、何だかんだで数年間面倒を見てしまっていて、そんな自分にも腹が立つ。やり場のない(もしくは、やり切れない)苛立ちは全て足音に詰め込んだ。俺は、歩く速度を上げる。
「なぁに怒ってんのー蔵未ぃ」
「別に怒ってませんけど!」
「怒ってんじゃーん、お前って短気ぃ」
「くっそこの野郎ぶん殴りてぇ……」
「__へぇ」
 じゃあ、やってみろよ。
 挑発的に鼓膜を揺らす。風鈴のような、唸り声に似た。振り向けば、真赤な舌で唇を舐める彼女の姿。黒曜石の瞳が輝く。既に表通りは過ぎた、ここは人影のない車道、基地へと続く、一本道。彼女の前髪が、__戦友と揃いの色の、プラチナに光る一房が__さらり。風になびいた。
 それが合図だった。
 先に動いたのは、李伶。ぬいぐるみを片手に抱え、右手で素早く足下を撃つ。俺はサバイバルナイフを抜いて銃弾に合わせ地を蹴った。避けるのではなく、襲いかかって。
 ガードレールの上の彼女の首を刈るようにナイフを振る。彼女はさっと身を縮め、同時に俺の顎をめがけてその足を振り上げた。俺は仰け反ってそれを避けそのまま後ろ手にアスファルトを突く、反動を利用して回転、着地と同時に拳銃を抜いた。ガードレールから飛び降りた彼女はナイフを仕舞って拳銃を抜き出す。そして大事なぬいぐるみを、碧空へと高く高く放った。
「行くよぉ蔵未ぃ!」
「来いよ李伶!」
 バネのような体躯を生かして彼女は俺に飛びかかる。俺は待ち構える素振りで、その実、__天高く投げられたぬいぐるみに焦点を合わせて。
「……なーんちゃって」
 目の前まで迫った彼女に向かい思い切り、舌を出す。スキを見せた彼女の肩を踏み台に飛び上がった。標的は銀色のクマ、空に溶け込めないぬいぐるみ。水色の中できらめくそれを俺は空中でキャッチした。 思っていたより、柔らかい毛並みだ。
 歩道に降り立ち、彼女を振り返る。彼女はちょうど受け身を取って、むくりと起き上がるところだった。
「俺の勝ち。だよな? 李伶」
「ぐぅ、」
 蔵未うざい、うざいうざい。彼女は悔しそうに眉を寄せる。俺は得意げな笑みを浮かべて(恐らく、彼女が浮かべたモノとそっくりな笑顔だったろう)ぬいぐるみの首根っこを掴む。ぶらぶらぶら、左右に揺らす。ぬいぐるみはされるがままだった。
「返せよぉ、それボクの」
「どーしよっかなー、もらっちゃおっかなー」
「うー、なんで! お前必要ないだろ」
「いやぁ沢霧に似てるからさぁ? 殴ったらストレス発散になるかな」
 だめ、くまさん殴っちゃだめ!
 彼女は俺に駆け寄ってぬいぐるみを取り返そうとする。意地悪をしたくなった俺は、その細腕が届かぬようにぬいぐるみを掲げ上げた。俺よりずっと低い彼女の背。 届く、訳がない。
「うー、返せ! くまさんはボクの!」
「だけど金払ったの俺だぜ?」
「ぐぅ、蔵未嫌い、嫌い嫌い嫌い! 蔵未の意地悪、意地悪、意地悪!」
 俺は彼女に背を向けて、鼻歌まじりに歩き出した。ぬいぐるみは肩車だ。彼女以上にぬいぐるみの似合わない年齢の俺だが、どうせ誰も見てはいないし何より俺は今機嫌がいい。後ろからは李伶の湿気に満ちた声が聞こえる。ヤツはぽかぽかと背中を殴って、おい、結構内蔵にキてるぞ、てめぇ手加減って言葉を知れよ。
「くまさん返せ、返せ、返せ__お前、沢霧と仲良いくせに」
 狡い、くまなんか要らないくせに。 そう言って彼女は俺の背に飛びつく。……ったく、迷惑なヤツなのになぁ。傍迷惑でキチガイで、どうしようもないヤツなのに……可愛い、と、思っちまうのは何故だろう。
「__基地に戻ったら、返してやるよ」

キュウジツfawning

 結局。俺は年下に甘い。
くらみんと李伶。仲良し、仲良し。

2011/07/27:ソヨゴ
inserted by FC2 system