ちょっぴり注意。
 軍靴が時を刻むように、コンクリートを打ち鳴らす。金属が地下を叩く音色はどこかタップダンスのようで、__だがそれにしてはあまりにも、高圧的に響いてくる。迷うことなく進んでいた歩みが、ぴたり、突き当たりで止まった。 夜色に錆び付いたドア。
 そのドアはあまりに艶めいていた。中央より少し上、顔の当たりに来るように嵌め込まれたガラスの窓は、曇りガラスになっている。表面はよく磨かれて、影も光も照り返すように、……何かを、隠すかのように。
 男は静かにドアノブをひねった。
「よぅ、何か吐いたか中尉」
「スコット少佐! い、いえ、実はまだ、」
「ほぉ。……中尉、“尋問”始めて何時間経った?」
「__九時間です。」
 気まずそうな答えを聞いて、男は唇の端を歪める。部下の杞憂は裏腹に男は彼の身体を押し退け、部屋の奥へと分け入っていく。男が足を止めた先には、数人の部下達と、一人__鉄製の椅子に拘束された、青年の姿があった。
 青年はどうやら、男が属している軍とは違う軍隊の者のようだった。青年の着る軍服のデザインは少し独特で、男の味も素っ気もないカーキ色の軍服とは、色も形も異なっている。オイ、と一言、男は青年に声をかけた。青年は、俯いたままだ。
「オイ、てめぇに言ってんだよ」
 男は苛ついたような、それでいてどこか楽しむような声色でもう一度言った。青年は何も答えない。男は短くハッ、と笑って、青年の前髪を掴む。__銀色に輝く、人外じみたプラチナの髪を。
「人の話は無視すんなってママンに習わなかったのか? なぁ、」
 そうして男は舌なめずりする。
「沢霧少尉」
 青年は男に目をやって、抹茶色の瞳を細めた。 答えはない。
「へぇ、面白ぇ。反応ナシか」
 男は小声で呟くと、腰に下げていたリボルバーを抜き、青年の、左の太腿、中央付近に押し付けた。青年は一秒間だけ銃口に目を向けたが、すぐに何でもないような顔で男の瞳を捉え直す。男は、愉悦を丸出しにした。
「今さら“撃つ訳ない”なんて思ってるとか言うなよな? 捕虜に何しちまったって、始末書一枚で済むんだからよ」
 そう、仮令殺したところで。
 分かりきっている。そう言わんばかりに、青年は男を黙殺する。男はしばらく冷めた表情で青年を見つめていたが、やがて飽きてしまったかのように青年の前髪を放し、代わりに、……その引き金を引いた。
「っあ、」
 銃声とともに青年の、小さな呻き声が聞こえた。それは男にとっては初めて聞く青年の声であり、また、今回の獲物の声でもある。細かく震える青年の脚は見る間にどす黒く染まっていった。血は軍服の紺色と混ざり、重たい色を垂れ流す。
「なぁ、少しは堪えたか? 少尉」
 男は青年の顎を捉えて再び顔を上げさせた。青年の息は荒くなっていたが青年は相も変わらず、何も、答えようとはしない。男は目元を引きつらせ、左手を青年の脚へと置いた。そして貫いた傷口に、その中指を、沈み込ませる。
「っは、ぁ、」
 最早声とも言えない苦痛が男の鼓膜を控えめに揺らした。男は、やっと得た獲物の悲鳴にゆるりと頬を緩ませる。傷の内壁を嬲るように、男は傷口をかき回した。青年は途切れ途切れに、湿った苦痛で、のどを震わす。無骨な指はじゅくじゅくと青年の傷口を、抉って、いじくり、弄ぶ。細かく指が動くたび青年は短く喘いだ。痛みが、滅茶苦茶に脳波を乱す。
「少尉、アンタ、小綺麗な顔してんだな」
 男は上に立つ者の傲慢を隠すことなく顔面に映し、青年の唇を親指でなぞった。ざらついた親指はゆっくりと、焦らすように唇で遊んで、彼の心拍を速めていく。苦痛に付随する彼の吐息が彼自身の唇と、男の親指とを、濡らした。男は傷口を嬲っていた左中指を引き抜いて、その左手と入れ替えに右手を腰のナイフへ伸ばした。右手と入れ違いになって顎を掴んだ左手は、彼の血液を彼の肌に塗る。
「せっかく、綺麗な顔してっからさぁ」
 男は青年の目元にナイフの切っ先を突き立てた。
「顔はさぁ、じっくり味わってやるよ」
 白銀がわずかに入り込み、すぐに血液が零れ出した。ルージュにも似た鮮血が滑らかに頬を伝って、ぽた、ぽたり、落ちていく。青年の身は緊張した。 痛みはさして問題ではない。むしろ嬲られた左脚に残る痛みの方が酷いくらいだ。けれどナイフは、目元にある。そう、狙撃手である彼にとっては命の次に大切な、その深い、緑の瞳に。
 目尻の辺りまで引き裂いてからナイフはすっと退けられた。体液が赤く糸を引く。ナイフ相手に赤い糸かと青年はこっそり笑う。 俺の愛する恋人はレミントンM700だ。お前じゃ、ない。
 男の左の親指が、唇の隙間を割った。歯の上に乗った指先が青年の舌へと触れる。塩辛い、汗の匂い。そろそろ時間が来たようだと青年はぼんやり感じ取り、そのまま舌へ力を込めて口を開かせようとする指に、逆らって、柔く挟んだ。
「……何のつもりだ」
 男は不機嫌に問いただす。青年は、哀婉たる微笑を浮かべてみせた。抹茶の瞳にこっそりと、__嘲笑の色を走らせて。
「スコット少佐、」
 口から指を離した彼は、首を引っ込めつつ舌を出す。
「あんた、死の足音って知ってるか?」
「はぁ?」
「そっか、あんたはまだだったか。俺は粗忽者だからさぁ、何度か聞いたことがあんだよ」
 先程までとは打って変わって青年は饒舌に、どこか軽薄に話しだす。いきなりの出来事に男も部下も固まったまま、青年の、似つかわしくない、あっけらかんとした声だけが響く。
「聞いたことねぇヤツに説明すんのは難しいけど……金属が何か打ち鳴らすような、歯車みてぇな、秒針みてぇな、重苦しい音がすんだよ。そうだな、蹄の音に近ぇか? ありゃあ死神が馬に乗ってやって来る音なのかね。最近じゃあ聞きすぎちまって、自分のでも何でもねぇ、他のヤツのまで聞こえちまうんだ」
「例えば? そうだな例えばか、例えば隣で機関銃撃ってた同僚のとか、そんなんだよ。最初は俺のかと思ったが一番大きく響いたあとに隣のそいつが吹っ飛んじまって、見ればその向こう側には手榴弾が転がってやがった。味方だけじゃねぇぜ敵のもだ、スコープの中から標的覗いて引き金に指かけた時なんか、蹄の音がうるさくて集中できねぇことだってあるよ。まぁ俺射撃は得意だからさ、今までの任務で一度も、失敗したことなんてないけど」
「何でこんな話してんだって、ちょっと思い出したからなんだ。最近よく聞くようになった蹄の音が一つ、あってさ。知り合いが出来ちゃったんだよ。同じ階級の飲み仲間にさ、死神みてーな男がいてさ。そいつのあだ名は死神じゃなくて“鬼神”だったりするんだけども……そいつが立てる蹄の音は、俺もう分かっちゃうんだよね。あぁ、あんたらには聞こえないかな。まぁつまり何が言いたいかっつーと、」
 ドアを蹴り開ける音がした。

「あんたら、もうすぐ死ぬよ」


「っつ、」
「っと……沢霧、大丈夫か?」
「ヘーキヘーキ、オールOK」
 へっらへらと軽く笑って、俺はまた右足を踏み出す。肩を借りてる状態とは言え、撃ち抜かれた脚のまま歩くのはちと辛い。笑って誤摩化すのも限界か。 内心で、苦笑する。
「弾丸は残ってんのか」
「いや、突き抜けた。不幸中の幸い?」
「何をお前は馬鹿なことを、__」
 はぁっ。
 蔵未は密度の濃いため息をつく。彼はあきれ果てたような、それでいて気に掛けるような、何とも言えない表情でちらと俺を盗み見た。こいつに心配されるとはね。
「作戦は上手くいってんの?」
「俺が助けにきたって事はイコール順調だってことだろ。大丈夫、少将の作戦は成功だ」
 今頃この基地の反対側じゃ激しい銃撃戦って訳か。……俺に与えられた任務は、簡単に言えば陽動作戦。俺が単身で暗殺に向かい、わざと敵軍に捕まって(ターゲットは殺しても殺さなくてもいいと言われたが、ついでなんで撃っときました)。小さな基地が暗殺者に気をとられて乱れてるうちに、背後から小隊使って基地を襲うって寸法だ。 俺ははずれくじ引かされた訳。
「……背負ってやろうか?」
「え? いやへ平気だって、__うぁ、」
 強がりを言った途端に痛みが神経を突き刺した。呻きが口をついて出る。
「無理すんなよ、傷広がるぞ」
「いいって。俺、お前より重いもん」
「ごちゃごちゃうるせーんだよてめぇは、90kgくらい担げるわカス」
 担ぐっておい、荷物扱いか。
「いいです! 自分で歩きます!」
「歩けてねぇから言ってんだろうが!!」
「根性でどうにかし、っあ、」
「どうにかなんてできねぇだろ。ほら、」
 蔵未が足の動きを止める。恐る恐る瞳を覗けばそのブラウンは実に鋭く、俺は、__大人しく甘えることにした。


「そーいやんなこともあったなぁ」
「何の話だよ?」
「いや別に」
 目元のタトゥーを掻きながら、隣を歩く戦友に答える。あの後、目元の傷跡が治らず残っちまうことが分かって、俺は傷が塞がってからその跡をタトゥーで隠した。「なぁ見ろよ、これ新作!」 タトゥーをとんとん叩きつつ蔵未に見せびらかした俺は蹴りと罵詈雑言を頂いて。 お前アホだろ、しかも救いようのない。
「タトゥーの由来をね、思い出しまして」
「由来? あぁ、その目元のヤツ」
 あれには呆れた、と彼は言う。俺は唇を尖らせて、拗ねた口調で言い返した。
「えー名案だと思ったんだけどな……」
「どこが名案なんだよクズが。ほんっと、お前にはもったいねぇよ」
「何が?」
「その無駄に綺麗なツラ」
 顔だけはいいのになお前。 実感をこめて呟かないで?
「傷付きますって全くもー、……あっそうだ、なぁ蔵未。お前今日誰と話してたの?」
「あ?」
「ちょ、准将に呼ばれてたじゃん」
「え、__あぁ、カーティスさんだよ」
 ほら、あの、でかい財閥の。 蔵未の付け足しでやっと思い出す。そっか、カーティス・シザーフィールド。確か長男なんだっけ? 刑事の職についていたはず。
「へぇ。あの人が、お前に何の用?」
「それが妙な内容でさ、__弟、探してほしいって。」
 訝しみつつ呟いた彼は胸ポケットから写真を取り出す。そこに写っていた人物は、……なるほど。
「カーティスさんにそっくりだな」
「だ、ろ。名前はアーネストっつーらしい。どうやら、クーデターみたいだぜ」
「はっはぁ、見つけ出して殺せってことか」
 あー、気乗りしねぇなぁ。 蔵未はぐっと空を仰いだ。気乗りなんて、する訳がない。
 蔵未の恋人は、同じ理由で殺されたんだ。
「__お前、大丈夫なの?」
「は? なんで」
「いや。平気なら、それでいいんだ」
 不用意な一言で傷を抉ってしまいたくなかった。俺は蔵未から目を逸らし、虚言の笑顔を浮かべてみせる。鋭く深いブラウンは目を合わせたなら見つけちまうだろう。 俺の、些細な憂鬱を。
「……けどな。カーティスさんの依頼はどうやら、私怨な訳じゃねぇらしい」
「へ?」
 蔵未は写真をパチン、と弾いた。歩みを止めることなく彼は、言葉の続きを紡ぎだす。
「この前さ。裏通りの武器屋の店主が、射殺された事件があったろ」
「あったねぇそーいえば。犯人、まだ分かんねぇんだろ?」
「そう、“だった”けど」
 ぴたり、彼は立ち止まった。振り返った俺の瞳を薄まったブラウンが捉える。彼は実に軽々しく、さらりと口に出してみせた。……それは彼にとってみれば実にどうでもいいことであったし、聞かされた俺にしたって、どうでもいいことではあった。
 けど。
「犯人、弟さんみたいだぜ」

グウゾウhearing

 それが他の誰かの心を、__打ちのめす事実だったと、したら。
沢霧と蔵未の少尉時代の話。沢霧の本職は狙撃手です、愛銃はレミントンM700。彼曰く恋人。
アーニーくん、何したちゃったんだろーね。
ぐりょが絵描いてくれた!!!→こちら

2011/08/02:ソヨゴ
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