真上で輝く太陽が疎ましくて仕方がなかった。うららかな、優しい光。季節は冬へ向かおうとしている。ひたすらに穏やかな世界が憎くて、吐き気がした。考えるな考えるな考えるな念じて、歩く。通りに人は居ない。靴音はどこか湿って冷たい。日はやけに暖かいのに空気は変わらず凍てついていて、その切るような透明に少なからず、嫉妬した。立ち止まって見上げた空は悔しいまでに澄んでいる。どうしようもなく、死にたくなる。
 また歩を進める。血の匂いはとれただろうか。いや、触れたわけじゃない。俺は返り血を浴びない位置から武器屋の店主の額を撃った。後ろ向きに倒れた彼を見届けてから店を出た。置いてくる必要なんて微塵もありはしなかったけれど、手に入れた拳銃分の代金は支払っておいた。殺人、だけにしたかったから。物が欲しくて殺したんじゃない、生きたかったから、殺したんだ。誰に対する言葉でもなくこれは俺に対しての言い訳。殺したくて殺したんじゃ、ない。仕方なかった。 そう思いたいだけ。
 死に近づくと死の匂いがつく。それは鼻で感じるような何かじゃなくて、ずっと不確かな、感性とか直感とか第六感とかいうモノで受け取るような類いの何か。陰鬱な、仄暗い、光を吸い込んでしまうなにか。振り払って切り捨てて、燃やし尽くして、自由になりたい。この気配から。酸素を奪っていく煙から。しかし、__どうせ逃げ出したところで。
 電気屋の前を通りかかった。ショーウィンドウに飾られていた液晶が、街並を映す。合点がいった。今日はパレードだ。どうりで人が見当たらないわけだ。俺は反射する俺の姿の向こう側から画面を見つめる。カメラの視点が切り替わり警備にあたる軍人を捉える。はにかみながら手を振った彼は、彫刻のような顔立ちをしていた。その彼の隣にいるのは銀髪の、これまた美青年。俺よりも年上。半分はショーみたいなもんだ、見目のいい人を選んで並ばせてるってとこだろう。俺は喧騒から遠く離れた表通りで、パレードを眺める。
 生きる理由が見当たらない。だけど死ぬための理由もない。いつ死んでもいいやと思うと逆に仲々死ねなくなって、きっかけが欲しい。何でもいいから。だから、兄を“殺そう”と思った。
 昔から、それほど仲のいい兄弟ではなかった。異性の姉が一人いるなかで同性同士だったからか、ことあるごとに張り合っていた気がする。兄は俺より体格がいいのでスポーツなどでは負けなかったが、頭の出来の方はといえば俺のが数段上にいて、それぞれがお互いのコンプレックスになってたんだろう。けれど、嫌いなわけでは、なかった。それなりに好きだった。 何だかんだ言ったって、たった一人の兄だから。
 正直、彼を憎んでいるのか、恨んでいるのか、はっきりしない。もう許しているような気もする。あの日胸を貫いた痛みは今も薄れちゃいないけど、でも、分かるんだ。“どうして兄が俺のことを拒絶せずにはいられなかったか”。彼が、自分のしたことを悔いているとは、思えないけど。けど。けど。もういい気がする。許してしまっていい気がする。忘れることだって出来る気がする。それでも未だに憎もうとするのは、やり直すには何もかも……手遅れ、だって。知っているから。
 俺は憎しみ以外の“何か”で、随分と汚れてしまった。
 生き続けて何になるだろう。こんなに汚れてしまっているのに。「誰か」のために汚れることは厭うつもりはないのだけれど、__その「誰か」は、すでに隣にはいない。残ったのは俺が勝手に背負い続けたこの醜さだけ。「誰か」の傍にいたかったから俺が勝手に、身勝手に、庇ってくれとも守ってくれともいわれなかったのに背負いこんだ。貴女には、綺麗なままでいてほしかったんだ。憎しみを痛みを溶かしてくれた貴女はとても綺麗だったから。殺すのも、犯されるのも、俺だけで十分だと思って、だけどそんな風にますます醜く汚れる自分じゃ隣にいれない。それで、あんな物を作って、貴女を騙した。貴女は傷付いた。ごめんなさい。愛して、ほしかった。
 兄に償ってもらうくらいは構わないんじゃないかと思った。元凶なんだから。始まりなんだから。落とし前つけてもらったって別にバチは当たらないだろ? それに、俺は弟なんだよ。甘えたっていいでしょ、兄貴。知ってるよ。全部知ってるよ。フィリアの前で再会した時貴方を見てもう分かったよ。兄貴、アンタ許されたいんだろ。謝りたいんだろ。俺に、対して。本当はあの日からずっと貴方の心も痛かったんだ、俺と同じくらいには、きっと。だから俺は貴方を“殺す”。貴方の心を殺してあげる。俺を抱きしめようとするその手を使って終わらせてあげる。

 俺のこと、殺してよ。兄貴。

 そしたら最後は、許してやるよ。もういいよって言ってあげるよ。こんなことさせてごめんね、ってさ、柄じゃないけど。謝ってあげるよ。だから俺の我が儘を赦して。
 画面の中ではカミサマが、民衆に向けて演説していた。所詮クーデターでしかない俺が彼の話を聞く義理はない、俺はそろそろ家へ帰ろうと、一歩、足を踏み出して、店の前から去ろうと、__したんだ。
 けど。
『*******、いない』
 “その言葉”は。
 はっきりとは聞き取れなかった。でも俺の足を止めさせるには十分すぎるほどの力を、__冷たさを、嘲笑を、__響きの中に混ぜ込んでいて、俺は背筋が粟立つような胸騒ぎに囚われる。背後で烏の鳴き声がする。歯車が、わずか狂い出す。俺はその気味悪さから逃げ出そうとして画面を見つめる。

 そして、……そこに、見えた光景。

「__嘘だろ?」



 久々に訪れた生家は、記憶の中とさほど変わらなかった。父の書斎に入るだなんて何年ぶりだろうかと、俺は過去を追憶する。確か母の葬儀以来この家の敷居を跨いでいない。大体、三年ぶりってところか。隠しきれないノスタルジアを手の平に込めて、ドアノブを回した。 埃とカビの匂いが、鼻をつく。
「ったく、相変わらずごちゃごちゃと……」
 相変わらずも何も、本当はない。父の書斎をいじるなというのは母からの言いつけだったし、彼女が死んだ今となっては侵してはならない遺言だ。俺しかり、姉さんしかり、シザーフィールド家の抱える数名の使用人しかり、何人もこの部屋だけは片付けることを許されなかった。そもそも自分の部屋ですら片付けられない俺なんかにはその言いつけは無意味だったんだが、姉さんや、使用人達は、この物で溢れる魔窟じみた部屋が我慢ならない日もあったようだ。大掃除のたび姉さんが、この書斎の古ぼけたドアを恨めしげに見ていたっけか。それから、__昔は、アーネストも。
「……十年か」
 久方ぶりにこの家を訪れた訳は、そこにある。

 夢だと分かる夢を見た。星が瞬く夜空の下で、湖を前に俺は立っていて、何故か星々を映さないその暗い暗い湖の水面に、一人、少年が浮かんでいる。少年の年頃は12くらいで、それは、ちょうど、__星屑を含んだ水滴が彼の肌を滑り落ちていく。彼は眠り込んでいるようでそれでいて二度と動かないようで柔く閉じられているはずなのに瞼は針で縫われたようで、まるで、開く気配がなかった。なぁ寒いだろう、と俺は呼びかける。なぁ、なぁ寒いだろ、起きろよ、風邪引くぞ、なぁ起きろって、目を開けよ、開けろよ、なぁ。どこからか声が聞こえる。 目を開けるはずがないでしょう。 優しい、姉さんの声だった。 だってもう死んでるんですもの。死んでる? えぇ死んでるわ。だけど、生きてるみたいじゃないか。そうね。
「でも、もう死んでいるわ」
 嘘だ、と俺は思った。嘘だ。姉さんは俺に嘘を吐いてる。俺はそれを確かめようとして湖の中の少年に触れた、12の、ちょうど、__家を出たときの姿のままの、アーネストに。 その肌に触れてぞっとした。 冷たかった。夢と思えないほど。
「アーネスト、」
 起きろ、起きろよ。俺はほとんど叫ぶようにして喚きながら湖に入り、冷たくなった彼を抱きかかえ、そこで初めて湖の水が暗闇で出来ていることを知り、芯まで冷えきった弟はやっぱり目を覚まさなかった。姉さんの声は変わらず優しくしかし突き落とす残酷さを持って、俺に尋ねる。
「誰が殺したの?」
 俺だ。
 答えたところで、アラームが鳴った。

 父の机に目をやるとずらずら写真が並んでいる。全て家族写真である。俺はその中の一枚に驚いて、手に取った。俺とアーネストの二人しか、そこに映っていない。兄弟でツーショットなんて。さらに珍しいことにその古ぼけた紙切れの中でアーネストは笑っていたのだ。ひねくれていて嫌味な彼はほとんど笑うということがなく、カメラの前ではなおさらだから、俺はこの一枚をきっと覚えているはずだった。けれど、思い出すのはやめにした。記憶をごちゃごちゃ引っ掻き回すと余計な物まで出てきそうだった。
 分かっている。
 悪いのは、俺だ。分かってる。だが今さらどう償えばいいんだ? そうだよ、そう、俺が“殺した”。お前の心は俺が殺した。そりゃあ、仲睦まじい兄弟じゃなかったさ。俺とお前は。だけど、俺はお前を“殺した”。殺したよ、ちゃんと愛していたのに。たった一人の弟としてそれなりに愛していたのに。分かっている。分かっている。分かっている。俺は逃げたんだ。恐かったから逃げたんだ。逃げてお前を犠牲にしたんだ。最低だよ、知ってるよ、ごめん、ごめん、アーネスト、……ごめん。
 なぁ、俺は、もう何されたっていい。決めたよ。お前の好きにしろ。俺はお前を“殺した”んだから。償えるとは思っちゃいない、許してほしいとも、思ってない。お前もきっと疲れただろう。俺だって疲れたよ。許せねぇだろ、許さなくていい。落とし前くらい、俺が付けてやるよ。

 俺を、殺せよ。アーニー。

 あんな別れ方を、したのに。お前の瞳のスカイブルーは昔と少しも変わっていなくて。 それが、無性に懐かしかった。あの青を見た時に、もういいやって、思ったんだよ。撃ち殺したいのならその激情のままトリガーを引け、それだけのことを俺はした。天国へも地獄へも行くつもりはない、好きに殺せよ、アーネスト。なんならお前の目の前で飛び降りてやってもいいからよ。俺は、……もう、逃げねぇよ。
 午後の出勤が近付いていた。俺はそろそろ署へ戻ろうと、写真を置いて戸口へ向かう。すると、少し雑に置きすぎたか、机の上が雪崩を起こして均衡が崩れ去ってしまった。ラジオが一つ、俺の足下に転がる。落下の拍子にスイッチが入ったようで音が漏れ出している。俺は錆びて赤茶けたそのラジオを、拾い上げた。
「……んだよ、このクズラジオが」
 俺は小さく舌打ちした。カミサマが、演説をしている。しかしあまりにノイズが酷すぎる、内容が聞き取れない。乱暴に数回叩くと少し音声がクリアになった。__といっても、まだまだひび割れていたし、時々、唸りもあげていたけど。

 その“崩壊”を再生するには、十分すぎる鮮明さだった。

「__え?」



キョウメイhowling



 凛とした、銃声。


何かが変わります。

2011/11/01:ソヨゴ
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