何故だか寝付けなくて、___寝てはいけない気がして、___その夜、俺は起きていた。身体の疲労は眠ることを要請してはいたけれど、あまり眠気もなく、結局コーヒーに手を伸ばしてしまって。どうやら今日はもう寝れないらしい。
 本でも読もうかと考えたけれど、どこを探してもそんな気力はない。このままだらだらと朝まで起きているのだろうか……そう考えると憂鬱だ。かと言って訪問者など、こんな時間に来る筈もな
「栞田様、いらっしゃいます?」
 唐突に二回ノック音。あとから聞こえてきた声は、大好きな彼と同じ階級の、俺の大好きなもう一人。

ザンコクloving

「章吾クン?」
 いるかいないかの前に起きてるかどうか聞くべきじゃないの。ぼんやりとそう思ったけれど、起きてるのだから別にいいか。席を立ってドアを開ける。背の高い彼を見上げた。
 その表情はやつれてしまって、いつになく元気がなくて。疲れきった笑顔を浮かべると、彼は一言「邪魔するよ」と言った。うんどうぞ、応えれば、彼はそのまま部屋に入った。
「どうしたのこんな夜中に。」
「夜中?____うわ、こんな時間だったのか。」
 気付かなかった。イスに座ってかれは笑う。ずっと部屋で、考えてたから。
「考えてた?」
「おう……蔵未のこと、とか。」
 大佐が、どうかしたの。
 できるだけ自然に尋ねる。内心不安で仕方ない。俺はコーヒーを飲みきって、紅茶を二つ入れ直す。
「どうぞ。」
 ミルクティーを差し出すと、彼は冗談を言って笑った。 カミサマに入れさせるとか、むちゃくちゃ偉い人みたい。そして、小さな嘆息。
 紅茶の湯気が立ち上る。少し長めの銀髪は本当に銀色で、相変わらず不思議な色だ。抹茶色の瞳もそう。染めてる訳じゃないんだよなぁ……昔はその色が嫌で色んな色に染めたらしいけど、結局色が消えきらないのでそういうことはやめにしたそうだ。
「何かあったの?」
 ミルクティーを口に運ぶ。俺は好きな味だけど、章吾クンには甘過ぎたかな。
 彼は俺の問いには答えず、静かに窓の外を見やった。眠りこむ街。ちらちらと映る家々の明かり。夜の青さに沈む街はひどく静かで、寒々しくて、星がよく見えた。紺色に穴を開けたみたい、何だか遠い。届きそうにない小さな光。
「……例えばさ、栞田様。」
 彼は窓から紅茶に目を移し、俯きながら口を開いた。背もたれにその身を預ける。
「幸せになって欲しい人___というより、幸せになるべきだと思う人がいたとする。」
「うん。」
「その人の望む幸せは、本当に欲しい幸せは、もう二度と手に入らないとする。」
「………うん。」
「だからその人の望みはもう一つしかなくて、それしか実現できるものはなくて、____でも。」
 口に出したくないかのように、認めたくないと言わんばかりに、彼は口ごもってしまって。やがて諦めたかのように、再びその口を開く。
「その唯一の願望が………命を絶つことだとしたら。」
 俺はどうすればいいんでしょうか。
 吐き出された言葉。愕然とする。 彼は、無理に笑顔を浮かべた。
「アイツさ、___死にたいって言うんだ。」


物音がして目を覚ます。ゆっくりと目を開けてみれば、見慣れた学生服がいて。顔を見る。少し気まずそうだ。
「あの……おはよ、大佐。」
 ベルが足下で不安げに鳴いた。俺は身を起こし頭を振って、ちらりと時計に目を向ける。デジタル時計が12時を示す。___六時間も寝ちまったのか。
「ねぇ、大佐。」
 真白は俺に近寄ってしゃがんだ。ベッドの上の俺を見上げる、 紺碧の瞳は相変わらず、吸い込むような色をしていた。
「なんかあったの。」
「別に、」
「僕ウソは分かるよ」
 だったら聞くなよ。笑ってみせたけど、乾いた声しか出なかった。もう何も考えたくない、………疲れた。
「こんな夜中にどうしたんだ。」
「……話したいこと、あったんだけど。」
 でも、いいや。そう言って彼はベルを抱えた。 どうしたの大佐、空っぽだよ。
 空っぽ、ね。言い得て妙だ。今の俺には何もない。何もいらない、ただ、消えたい。 そんなことこいつに言ってもこいつはますます悲しむだけだ。俺はもう知っていた。このバカは本当に他人の痛みを感じてしまう。共鳴する感度を持ってる。
 なのに何故人が殺せるのか。
「いいよ、お前の話聞く。」
「でも、」
「いいから。お前に言っても……辛いだけ。」
 そっか。真白は寂しそうに俯いた。もしかしたら、お前に言ったら、俺は癒されるのかもしれない。けどこれと同じ痛みをお前が感じてしまうなら____それは好ましくないことなんだ。傷つく人はこれ以上いらない。ただでさえ俺は様々な人を、もうすでに、傷つけてるんだ。
 ほら言えよ。促せば、彼はベルをいじくりながらぼそぼそと話し始めた。 僕は、久遠を殺してあげたい。
「僕は久遠が好きだから、久遠が苦しいのはやだよ。けど久遠は自分で死んだりできない、カミサマにされちゃったから、久遠が死んだら困る人いっぱいいるから、久遠はすごく優しいから、自分で死んだりできないから、僕が、殺してあげないと……僕は久遠に、幸せになって欲しい。」
 なってほしい、けど。
「何度も殺しにいったよ、僕もう人を殺せるもん。でもいつも殺せないんだ。頭の中でも殺そうとしたよ、何度も、でも、でもどうしてもできなくて………泣いちゃうんだ、いつも。」
 ベルの足をもてあそぶ。真白はいつになく、切なげな表情をしていた。
「殺したけど殺したくないんだ。殺してあげたいけど死んで欲しくない。どうしよう大佐、僕どうしたらいいのかな。久遠は死にたいんだよ、でも僕は死んで欲しくない。だけど久遠が苦しんでるのはすごくすごく嫌なんだ。僕___どうしたらいいのかな。」
 ベルの尻尾がゆらりふらりと、空気をかき混ぜるように揺れた。真白はベルを抱きしめる。俺は自らの髪の毛に手を置き、ゆっくりと、指を埋めた。
 俺も、同じことをしているのだろうか。
 もし大事な友達が「死にたい」と願っていたら。それはどんな気分だろう。真白が悲しくなるように、アイツも悲しくなるのだろうか。俺が思うのと同じくらいアイツも俺が大事だとしたら、俺は残酷なことをしている。深く傷付けている。そんなこと分かってるけど、だけどもう、限界なんだ。
 自分勝手で残酷なわがまま。
「お前は結局、殺したくねぇのか?」
「殺したいよ。死んで欲しくないだけ。」
「それは違ぇよ、真白。お前は殺したくないんだ。」
 何か言い返そうとするのを遮って言葉を紡ぐ。迷うのは、誰もが一緒。
「お前は殺したくねぇんだよ。幸せになって欲しいだけ。アイツの幸せが死ぬことでしかないから勘違いしてるだけだ。栞田に、幸せになって欲しいだけ。死んで欲しくないんだろ?」
 戸惑う彼に言い渡す。はっきりと、決めつけるように。
「殺したくねぇんだよ、お前は。」


「___死にたい。」
「そう、」
 死にたい。
 絶望したように彼は繰り返した。 死にたいって、言ったんだ。
 そっか、答えつつ俺は思った。 そっか、大佐も。___疲れちゃったんだ。
「………それしか選択肢がないなら、」
 俺は紅茶をソーサーに置いた。滲ませるように、言葉を選ぶ。
「君がしてあげられることって……それしか、ないんじゃないかな。」
「___そうか。」
 俺は、そんなことしかできねぇのか。
 自重のような暗い笑い。見たくなくて顔を逸らす。
「死んだら全て終わり、ジ・エンド、それ以上は何もない。そんなの絶対幸せじゃない。いずれ終わりはくるけどさ、でも早すぎるだろ、まだ半分も終わってないのに、なのに………消えちまいたいなんてさぁ、」
 そんなの、理不尽すぎる。 ずるずると机に突っ伏して、一言。 誰に訴える訳でもない、本当にただの独り言。
「アイツさ、いいヤツだよ。すげぇいいヤツ。そういうヤツはさぁ、幸せになるもんじゃねぇの?幸せになるべきじゃねぇの?こんな、こんな救いがないの……おかしいだろ。理不尽だ。」
「____“最も善き人は帰ってこなかった”。」
 わずかに彼が顔を上げた。俺はあえて目を合わさず、静かに続ける。
「ずっと昔、この世に国ってものがあった時代の言葉だよ。章吾クン、昔からそうなんだ。あんな昔からそうなんだよ。そんなもんなんだよ、ココは。この世界は。不条理なんだ。」
 罪は裁かれず、善き人々は罰せられる。因果応報なんて実現しえない夢物語。もし本当にそうならばあの子はあんな目には遭わない。あの子が、真白が、____壊れちゃうのはおかしいじゃないか。
「本当の意味での救済なんて誰もしてはくれないんだ。死んで欲しくない、そう思ってくれるのは嬉しい、でもその思いは嬉しくない。もうそれしかないんだよ俺らには、もう消えてしまうしかないんだ。そうでなければ苦しくて……おかしくなってしまうから。0以上なんてどこにも無いんだ。」
 いなくなることが唯一の救い。なんて虚しい。 でも、それ以外何があるの?
 彼は黙り込んでしまった。酷なことを、言っただろうか。 でもね章吾クン、君が“死んで欲しくない”と言えるのは、こんな思いをしたことがないからだ。幸福をなくす絶望は、その空虚は、狂おしさは、失ってみなきゃ分からない。
「君にとっては、彼を殺すのは、どんな責め苦より苦痛だろうね。君が彼を大事なように彼だって君が大事だよ、だから苦しんで欲しくない。別にいいんだよ、殺してくれなくて。自分のわがままで誰かが傷つくのは嫌だ。苦しいのならそんなこと、してくれなくて構わない。」
「でも、」
「けどね。」
 言葉を遮る。息を呑むように口を閉じた彼に、俺は、微笑みかけた。
「死なないで、なんて思わないで欲しい。望まないで欲しい。そんな、____」
 残酷なことは。


「言ってることとやってることが違ぇじゃねぇかよ。我慢するのは嫌いなんだろ?耐えねぇで生きるんだろ?したくないことしようとすんなのは耐えることにはならねぇのかよ。」
 畳み掛ける。真白は口を尖らせて、ベルの後ろに顔を隠した。すねるようにうなる声。
「言ってること分かるか?」
「うー……」
「自分でも、矛盾してるって思った?」
 こく。素直な頷き。 俺はほっとして頬を緩める。
「なら、いいんだよ。殺さなくても。殺したくないのに無理してまで、傷ついてまで、殺したりして欲しくはねぇよ。お前がアイツを大事なようにアイツもお前が大事だよ。お前が苦しんで欲しくないって思ってんならアイツだってそう、お前が苦しむのは嫌だ。傷ついてまで、苦しんでまで、救おうとしてくれなくていいんだ。」
 苦しんでるのは見たくない。それが自分のせいならなおさら。放っといてくれていいんだぜ、見捨ててくれていい、俺に関わったってお前は、いたずらに傷つくだけ。
「でも、………でも、でも、」
 泣き出しそうな声が響いた。ベルの後ろから、悲痛な声が。
「でも久遠は死にたいんだ、死にたいんだ、生きて欲しいのは僕のわがまま、僕が勝手に思ってるだけ、苦しんでるのに、つらいのに、僕はすごく残酷なこと、でも死んで欲しくない、生きてて欲しい、久遠が死ぬ必要ないよ、おかしいよ、おかしいよ………」
 じゃくりあげるような。泣き声は壁に吸い込まれた。染みるように、部屋を包む。
「僕は、僕は久遠のおかげで、久遠に会うまで、僕何も知らなくて、苦しいとか痛いとかつらいとか冷たいとか、そんなことしか知らなくて、幸せなんて知らなくて、久遠が教えてくれたんだ、楽しいとか、嬉しいとか、暖かいとかそういうの、全部、全部久遠が、久遠が僕に、僕、あのまま死ぬの怖かった、嫌なものしか知らねぇままで死んでいくのが怖かったんだ、だって、だってそれじゃあ、何のために生まれてきたのか、分かんねぇ、そのまま死ぬのは怖かった、すごく怖かった、嫌だった、怖かった、____」

「俺はさぁ、栞田様____本当は兄弟いたんだ。双子だけどさ、兄貴がさ。でも流産しちまって、生まれる前に死んじまって、生き残ったの俺だけなんだよ。死んだのは、もしかしたら、俺だったかもしんないんだ。だから生きなきゃダメなんだよ俺、死んじまった兄貴の分も俺が生きないとダメで、でも俺は軍人で、いつ死ぬか分かんなくて、さ、だからさ………俺にとって命って、むちゃくちゃ大事なモンなんだよ。重いんだよ、すごく。俺が背負ってんのは二人分_____二人分の命だから。」

「久遠が助けてくれたんだ、救ってくれた、“幸せ”って何か教えてくれた、久遠のおかげなの、僕は久遠に会うために生まれてきたんだ、だから助けなきゃ、救わなきゃ、僕しか殺してあげれないから僕が殺してあげなくちゃ、でも嫌だよ殺したくないよ、生きてて欲しいよ、大佐、僕すごくヤなヤツだ、幸せになって欲しいよ、いなくなるんじゃなくて、、死ぬんじゃなくて、幸せに“なって”欲しいよ、そんなのしてあげれないのに、わがままだ、最悪、最悪……ねぇ、大佐。僕にできることって____」

「俺はもう死んでるんだぜ、もう何回も、けどまだしぶとく生きてんのは全部蔵未のおかげなんだよ。蔵未が救ってくれたんだ、命なんて重いもの、アイツはもう何回も……その恩ってさ、重いんだよ、むちゃくちゃ大きい、アイツは親友で戦友で、なおかつ命の恩人で、俺は返したくて、何か返したくて、でも、俺にできることって____」



「「殺してあげることしかねぇの?」」



 真白の肩は震えていた。ぎゅっときつく抱きしめられてベルが嫌そうに身をよじる。けれどもすぐに涙に気付き、彼は抵抗するのをやめた。 にゃあ。いたわるような。
 目の前の十七歳が、とても遠くにいるように感じた。俺らよりずっと高いところ、尊いところ………別の世界に彼らはいる。コイツも、栞田も、ひどく遠い。
「真白、泣くな……辛くなるから。」
 身を乗り出して手を伸ばす。艶のある黒髪に触れた。くせっ毛だけど、さらさらしている。
 俺はベッドから降りて真白の顔を覗き込んだ。手の力が弱まったスキに、ベルは抜け出て部屋の隅に逃げる。
「真白。優しいな、お前は………優しすぎるよ。」
 手の平に直に震えが伝わる。苦しくなって唇を噛んだ。やっぱり、……神様なんていない。
 でも。目の前の、彼は。
「何か___聖人みたいだよ、お前。」
 人間らしくないとは、ずっと思っていたけれど。そうか、神聖だったんだ。コイツは尊い人だった。
 ふるふると、彼は首を振る。泣き崩れた顔を上げ、彼は静かに否定した。
「聖人は、僕じゃない。」


「君がもし彼を救いたいなら、きっとそれしかないのだろうね。………だけど。」
「……だけど?」
「俺らは救われたい以上に………君らに、傷ついてほしくないんだ。」
 章吾クンが顔を上げる。俺は窓に目を向ける。 さっきまで彼が見ていた世界。
「俺の場合の話をするよ。俺はね、俺は……別にこのまま苦しくてもいいんだ。死ねないままでも構わない。もしそれで、アイツが苦しまないですむなら、俺は生き存えてもいいよ。アイツが傷つくくらいなら、俺は苦しいままでいい。永遠でも構わない。ただ俺は、許人が、幸せでいてくれたらいいんだ。」
 誰より優しい、誰より善き人。君は幸せになるべきだ。不条理だらけのこの世界でも、君は救われるべきだよ許人。幸せになってくれなきゃ嫌だ、大好きな君が笑ってくれたら、俺はどうなったっていいよ。だから、____同じことを、君が思う必要はないんだ。
「貴方は優しいな、栞田様。」
「俺は、ただわがままなだけだよ。」
「違ぇよ。……まるで聖人だ。」
 俺は黙って首を振る。違うよ、俺は聖人じゃない。
「聖人は、青い目をしてる。」
想う故のジレンマ。

2010/02/26:ソヨゴ
inserted by FC2 system