魔法使いになりたかった。魔法使いなら、世界から嫌なこと全てなくせるとそう思っていた。魔法使いならケガも治せるし、瞬間移動ができるから弟も道に迷わないだろう、母さんの猫アレルギーも治って家でも猫が飼えるようになるかも、ビスケットもチョコレートも二倍になるから分けなくてすむ、となりの家の女の子と仲良くなるのも簡単だろうし弟の素直じゃないとこも直って少しはかわいくなるかもしれない。昨日、飼ってたウサギが死んで、クラスメイトも悲しんでいたけど生き返らせることだってできる、それから、……魔法が使えれば、誰も不幸にならないのだと俺は無邪気に信じ込んでいた。もしそうならば神様なんて必要なかったはずなのに、気づかず、あるいは目を逸らして。
「ほら、ハートのエース」
「……なんで」
「だから、どうやるか教えてやるって」
 結局、俺にできたのは迷子の弟を迎えに行くこと、野良猫に時たまエサをやること、ビスケットを二つに割ることとチョコレートを弟にやること。女の子は引っ越してしまってヤツはかわいくないままで、ウサギの墓は作ったけど、クラスで金魚を飼い始めたらみんな行かなくなってしまった。大人になった今だって、そう。 俺に使える魔法(マジック)はタネも仕掛けもあるものだけ。
「いい。自分で見破る」
「あのさぁ、」
「負けたみたいでヤなの」
 もう、これで五回目だ。キースとエディが来るまでの暇つぶしとはいえ、五回もやるとさすがに飽きる。アーニーはひどく頭がいいが、難しく考えすぎなのかタネを見破られたことはない。こういうのは考えすぎっとドツボにはまるんだ、あまり、期待しない方がいい。魔法の仕掛けなんて案外くだんねぇもんだよアーニー。魔法使いは、いないから。不思議なことは起こらない。奇跡も、多分。
「知ったって、がっかりするだけだぜ。きっと」
「でも気になるの」
「……分かるけど」
 もう一回、とねだられて俺はトランプの束をとる。カードを切りながら俺は思う、――奇跡なんて起こらない。魔法なんてない、俺は、――必ず。
 半年後に。 必ず、死ぬ。


 俺が二人に出会ったのは、いつだったか。吐く息の白くなるような冬の日だったことは覚えてる。その日、俺はめでたくCaspase(カスパーゼ)の入隊試験に合格し、諸々の書類を受け取りに署に向かったのだった。署には、俺が合流する予定のチームがいてそれがヤツらだった。 カーティスと、ネディ。
「ふぅん? 新米くんは銀髪の“ベビーフェイス”か。なるほどね」
 署に入ってすぐ、真っ先に声をかけてきたのはエドワードだった。彼は誰にでも友好的で、ゆえに誰とも近しくない、そういう類いの男なんだが無論出会ったばかりの俺がそんなこと見抜くはずもない。――だが、
『さあ。新米くんの為に歓迎の舞いでも踊ってよ、“カート”』
 ブラウンの大理石が敷き詰められたロビーの端で、段ボールに腰掛けて、そっぽを向いていた青年。『夜闇より黒』と称されるCaspaseの制服に劣らぬほどに艶(つや)やかな黒、白人の肌、……そして、何より。ふとこちらを見た、その瞳。
 湖だった。
『てめぇが裸で太鼓叩くなら、考えといてやるよ。エディ』
 英国式の発音で彼はそう言い、立ち上がる。こちらに向かって歩き始めて目の前に立つまでおよそ五秒、その間、俺は呼吸一つ満足にできやしなかった。あぁ、会っちまった。彼に遭っちまった。彼があのとき俺のことをどう思ったかは知らないが、とにかく俺は、彼に。
 惚れた。
「カーティス=シザーフィールド。カートでも何でも好きに呼べ、……で、コイツがエドワード。エドワード=“スティールハート”」
「スティールバード! まったくさー、あだ名先言うのやめてよね?」
 解説が必要か? ネディの本名は、Steelbird。Edward=Steelbirdだ。《Steal heart》っつーのはコイツの異名みてぇなもんで、まあつまり、彼は「ハート盗み屋」なんだ。プレイボーイ。モテんだよ。他にも《高貴な野良犬》だの《中央警察の王子》だの《暴走特急》だの色々あるが説明してるとキリがないし、あだ名が多いのは俺もカーティスも同じことなんで黙っておく。嬉しいあだ名ばかりでもない。そもそもCaspase自体が不名誉なあだ名に塗れきってて、例えば《殺虫剤》・《殺し屋》・《ゲシュタポの再来》、直球で《悪魔》なんてのもあったな。ま、秘密警察なんて恨まれてなんぼだし、実際君も憎んでたろう、地獄行き確定の所業がお仕事なんだからどうしようもない。 地獄なんざ、信じないけどな。
「もう夜だけど。このまま帰るのもあれだよね、ちょっと案内しよっか?」
「え、署内を?」
「No. 署内はね、案内してもあんま意味ないの。広すぎて」
「一日かかっても回りきらねぇ。このビル全部『署』だからな、……だから、案内すんのは“この辺”」
 カーティスはそう言って、顎で合図した。ついてこい、俺が案内してやるよ、ちょうどコートも着てるしな。ネディは笑い、俺だって着てるんだけどねなんて茶化しつつ手を振っている。俺はといえば、また呼吸不全だ。え、二人きり? いきなり? マジ?
「段差あるからな」
 彼が戸口で警告した時には、俺はもう既にすっ転んでいた。

「ホントあの時のキースといったら。滑稽極まりなかったね」
「うるせえ」
「でも、珍しいですね。兄貴結構人見知りなのに」
「そう! 僕も驚いちゃったよ、まー将来の相棒だしビビッとくるものがあったんじゃない?」
「電波でも受信したのかね?」
「ふふ、《リモコン》だけにって?」
「《リモコン》?」
「ああ、アイツのあだ名。《リモートコントローラー》」
「なんで、」
「え、分かんない? まんまじゃん」
「あのさもしかしてアーニー君、知らない?」
「えっと、何を、ですか」
「カーティスは、“超能力者”だよ?」
「へ!?」
「アイツ言ってなかったの? あれまー」
「アーニー君。アイツ時々さ、指鳴らしてたりしない?」
「……よく」
「そんでその後、テレビとか、エアコンとかスイッチはいったりしてない?」
「……この間ラジオが」
「アイツの超能力はねえ、電波及び電流の操作。機械にスイッチ入れるとかショートさせるとかお手のもんなの、修理できないけど」
「爆破もな」
「で、その能力の名称が『リモートコントロール』。アイツがCaspaseにいた理由の一割くらいがこの能力だよ、――ってか、カート遅くない?」
「遅いな。コンビニすぐそこだろ」
「近くのコンビニに、なかったのかもしれないです。スコッチ」
「あー酒屋まで行っちゃったか」
「だったらちょうどいいな、」
「「何が?」」
「まだ続きがあるんだよ! 俺の、思い出話には」


 なるほど外はもう暗かったが、その空は黒というよりもまだ青で、まだ藍だ。前を歩くカーティスの長いコートは重たげで、同じものを着てるのにどうして重々しく映るのか、同僚とはいえ先輩であるからこその威厳ゆえか、それとも単に彼が小柄だから? 彼の身長は180cmちょっとしかない。俺は、193cm。
 街灯は消えていた。街路樹に飾られたイルミネーションも沈黙している。両脇に並ぶ家々に明かりなどは無く、人の気配も無い。“この辺”は、つい最近まで巨大な規模のクーデターの集団が住んでいた場所だった。今頃彼らは収容所で寒さに凍えているかもしくは、寒さも感じなくなったかだ、この場所に確かに存在していたはずの日々や幸せを破壊したのは、恐らくは、前を歩く彼。いずれは、――俺。
 静寂。
 死の味がする静寂。俺と、彼の靴音が響く。星は見事に輝いていて、その美しさが恐ろしかった。分かっていた。彼は見せに来たのだ、今から俺が足を踏み入れる暗闇の、暗さを、俺に。
「何が正しいか、」
 カーティスは足を止め、そのまま俺を振り返った。警帽のつばが陰になり、彼のブルーは夜に紛れる。
「分からなくなるぜ。この仕事は、……自分の中の正しさを、捨てる必要がある。疑問はナシだ。全てにYESと、殺人を、詐欺を強奪を裏切りを、拷問を脅迫を、差別を、YESと言わなくてはならない、正義と看做さなきゃならない、それは、俺達が本当に正しいことを理解してないから、判断できないからだ、と言って、他者の正義にひれ伏すこと、従事すること、この世界に生きる誰よりも、――愚かになること」
 彼は帽子のつばに手をやる。鋭いブルーが見える、俺は、逸らせない。
「お前には、できるか?」
 そして、俺は答えたんだ。三文字のアルファベットによって。
「――え?」
 瞬間。 彼は微笑んだ。その微笑みがあまりにも綺麗だったので俺は見蕩れた。不意に、ピアノの旋律。彼は言う、なんだこの曲か、いいけどさ、アイツが好きなだけじゃあねーか。まもなく音色がガラスの向こう、家々に残されたラジオからの響きであることに俺は気がついた。彼はピアノの音に合わせ、靴の爪先で、地を叩く。
Come up to meet you
Tell you I'm sorry
You don't know how lovely you are
 声が重なる。けして大きな声ではなく、だけど彼の声は聞こえた、抑えめに、ひっそりと。彼は歌っていた。よく澄んだ、夜の青に溶けていくような穏やかな声で。
 灯りがともる。
 初めは、一つの街灯。次に街路樹、家、その隣、――曲に合わせ、無数の光が灯っては消え、青とホワイトゴールドのイルミネーションが瞬き始める。これは、なんだ? 彼の“魔法”?
Tell me you love me
Come back and haunt me
Oh and I rush to the start
 それは祝福だった。彼からの、もっといえば彼とネディからの。もっとも祝福に相応しい曲とは言えなかったけど。後々聞いたところによると選曲担当はネディだったらしい、カーティスはさしてあの曲が好きって訳でもない、……だけど。今になって、俺は思うんだ。あのときカーティスはこの曲を、アーネスト君に、歌ってたんじゃないかと。
 最後はピアノの音だけになる。ゆっくりと、ゆっくりと、だんだん明かりが消えていき、それらは再び灯ることはなかった。徐々に、徐々に、暗闇が戻り、やがて音も残響も、空気の震えも、消えた頃には。
「Welcome to Caspase, Keith」
 星が、輝いてるだけだった。


「……俺に歌ってた?」
 尋ねた途端、玄関で鍵の回る音がした。開けろ、エディ。 兄貴の声にエドワードさんが応え、去っていく。
「そう。君に」
「どうして、」
「どうして? 最後の歌詞だよ。まあ、アイツ、あんなに女々しくないけどさ」
 キースてめぇも手伝え、と、兄貴の怒鳴り声がして、彼は慌てて腰を上げる。兄貴が彼に歌った曲は、俺もよく知っているものだった。最後の、歌詞。
「――ああ、」

Magician

(I'm going back to the start.)
2013/01/07:ソヨゴ
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