真白許人に“理由”はない。合いたいから会う、言いたいから言う、殺りたいから殺る。行動と感情がいつも直結している彼は良くも悪くも裏がない。彼はいつでも彼でしかない。今日も彼は、殺したいから殺しにいく。そこには理由も意味もない。あるとしたら、それは「気分」だ。

ヨゲンシャnaming

 空の鞄を振り回すように彼はチェーンソーをくるくると回した。雨水のように血が飛び散る。鼻歌まじりに歩く姿は実年齢より幼く見えた。だから余計に浮き立って見える___赤く染められた白いワイシャツ。
 彼の背後には点々と、無惨に斬られた死体達。その傷はあまりに深く、チェーンソーで斬りつけられたことがそれとなく推測できる。斜めに振り下ろされた痕。
「うー……血の匂い」
 うざってえ。 無責任な言葉。うざったいも何もその血は彼が降らせたもので、けどそんなことは関係ない。彼は思った通りに発言しただけだ。
「………ヒマぁ。」
 さて。したいことをしてしまった今、彼にはすることが何もなかった。好きか嫌いかでいえば彼は退屈が「大嫌い」で、かと言ってしのぐ術は知らない。やりたいことが浮かばなければ彼には何もできないのだ。
「なーんか……面白ぇことねぇかなぁ。」
 大通りを堂々と歩く。人口の少ないこの区域では昼までも人気がない。もっともこの通りには住宅しかなく、大概の人が勤務中の今人気がないのは当然であるが。さらに言えば数少ない歩行者はみな真白が殺してしまったので、大通りにいる“生き物”は真白ただ1人であった。
 あった、のだが。
 だらだらと歩く彼の耳に、ふと“生き物”の声が聞こえた。ゆっくりと路地に目を移す。
 声の主は、白猫であった。
 ふらり、ふらり。猫に近付く。まだ年若い白猫は子猫と言っても良さそうな見た目で、真白を見ると不安げに鳴いた。みゃあ、みにゃあ。
 真白はチェーンソーをほっぽり投げた。精密機械なのにいいのだろうか___そのままひょいとかがみ込み背を丸める。笑顔を見せてはいないものの、彼は見るからに嬉しそうだった。
「かわいい。」
 つん。指で鼻をつつく。猫を持ち上げようとして彼は、自身の手が血まみれなことを思い出したらしかった。黒いズボンで血を拭う。綺麗な白に戻った手で、真白は猫の毛に触れた。ふわふわだ、と思ったのかは知らないが、彼はさらに明るい表情でいじいじと猫をいじり出す。 なるほど、彼は猫好きのようだ。
 だがその扱いは不器用で、とても慣れているとは思えない。無遠慮かつ雑な撫で方。猫も嫌がって逃げそうなものだが、不思議と離れようとはしない。何となく落ち着くらしい。
「うにー。」
 抑揚のない呟き。猫のほっぺたがふにーっと伸びる。お返しとばかりに立ち上がると、猫は真白の頬を挟んだ。爪は立っていない。彼が感じたのは、その柔らかい肉球だけだ。
 彼は猫を持ち上げて足と身体の間に入れた。体育座りでまじまじと眺める。
「お前かわいーな、猫。」
「みゃー」
「どこ住んでんの?」
「にゃみゃあ」
「えっ野良なの?」
「みゃっみゃ」
 残念ながら二人___二匹?___の会話の内容は私達には分からなかったが、どうやら意思の疎通は図れているらしい。何故かは知らない。
「お前、ついてくる?」
「みゃ。」
「おっけー。じゃあ一緒に帰ろっか」
 どうやら飼うことになったらしい。猫は結構嬉しかったようで、真白の顔をぺろぺろと舐めた。彼はくすぐったそうに身を引く。
「やだ、やめて。」
「みゃーみゃー」
「くすぐってぇよばか」
 猫は真白の言葉には構わず、ゆらりゆらりと尻尾を振って。真白は少々不機嫌になる。
「やめろっつってんじゃん殺すよ」
「にゃっにゃー」
 真白が軽く猫を睨むと、ようやく猫は舐めるのをやめた。渋々といった様子だ。真白は猫の肉球をふにふにとしつつぼそりと呟く。
「飼うなら名前決めねぇとなぁ。」
 でも。僕名前とかつけたことねぇや。
 一人一人、知り合いの顔を思い出していく。誰かに名前つけてもらおう。 全員を訪ねられる程度には、彼が友達が少なかった。


「へーえ、お前が猫好きだったとはなぁ。」
 レンドは感心して言った。 名前、ねぇ。
「ってかその猫オス?メス?」
「オスっぽい」
「ぽいって何」
 ふうん、じゃあ男の名前かぁ。ゴーグルに手をやりつつ名前を思い浮かべていく。途中、ひどく憎い男の名が浮かんだ。違う自分が出てくる前にその存在は殺しておく。
「___案外見つかんねーな」
「でしょ。おねーさんはなんかない?」
「え……そういうの苦手なんだよね。」
 女の子だったら、まだ分かるんだけど。ボロウはそう言って腕を組む。 その子、男の子なんでしょ?
「ちょっと浮かばないなぁ」
「おにーさんたち使えない」
 頼んでおいてそれはないだろ。声をそろえた二人を無視して、真白は年下二人に尋ねた。 お前らはどう?
『オレの名前はー?』
「紛らわしい却下」
『じゃワタシの名前』
「そもそも女子じゃん」
 駄目だコイツらも使えない。そうそうに諦めて、真白はチェーンソーを置いた。足下の猫を拾い上げる。 違う人んとこ行こう。
「ちょっと出掛けてくるー」
「はいいってらっしゃい。遅くなる前に帰ってこいよ?」
「はーい」
 真白はその場から消えた。すっかり見慣れたその現象を確認した痕、レンドはほのぼのとした気分になった。年の割に素直だよなぁ____反抗期のはずだけど。


 真白のテレポートは“行きたい場所へ行く”能力だ。つまり彼は自分が知らない、行ったことのない場所であっても目的に見合えば行くことができる。この人のいるところに行きたい、そう思うだけで居場所に飛べる。仕組みなど、彼が知るはずもないのだが………だからこそ。行ったことのない軍隊内でも、彼はあの人に会いに行ける。
「大佐ー」
「……また来たのかよ。」
 背後に現れた彼を見て蔵未孝一は顔をしかめた。このクソガキ、どうやって俺の居場所を_____相変わらず何でもアリだな。
 振り返って気がついた。チェーンソーを持ってない……殺しにきた訳じゃあねぇのか。服は血まみれだが、_____持ち上げられた猫が鳴く。仲々の美人猫だ。
「お前何しにきたんだよ。というか、ちゃんと抱け。脱臼するぞ。」
「え、猫でも脱臼すんの?」
「関節があんだろうが。関節がありゃ脱臼もするよ。」
 そーなんだ。応えると、真白は猫を抱き直した。猫はつぶらな瞳で彼を見上げる。
「で、何の用?」
「んー、この猫飼うんだけどさぁ、何かいい名前ない? 名前決まんねーんだよ。」
「………は?」
 蔵未は自らの耳を疑った。 は?猫の名前?散々殺し合いしてきた相手に?
 思考回路が読めなさすぎて、彼は自分の頭を叩いた。 訳分からん、コイツ何考えてるんだ。
「はぁ…猫の名前ねぇ……」
「ちなみにオスだよ。」
 あぁ、はいはい。適当な相槌。落ち着いてきた彼の脳裏をよぎったのは、やはり、………死んだ恋人のことだった。瞳が翳る。彼の恋人も、猫を飼っていた。奇しくも同じ白猫で、名前は___
「___ベル。」
「へ?」 「……いや、何でもない。」  何を言っているのだろうと蔵未は少し後悔した。そんなこと、言ったところで………大体マリアが飼っていたのはメスの猫だったじゃないか、名前に使える訳もない。こんな時にまで思い出すなんて。
 そんな蔵未の様子をまばたきしながら真白は見ていた。その吸い込むような濃い青色が映していたのは蔵未ではなく、彼の向こうにある感情。身を切るような悲しさ。凍えるような切なさ。
 同情でもなく、憐れみでもなく。 彼は蔵未に近寄った。顔を覗き込み、声をかける。
「大佐ぁ。」
「あ?って近ぇよ、」
「寂しいの?」
 え?
 蔵未は戸惑って返した。真白はそのブルーの瞳に、今度は蔵未自身を映す。
「だって、苦しそーなんだもん。」
 邪気など欠片もない言葉。慰めたい訳でもなく無論追いつめるつもりもない。ただ単純に、気にかかるだけ。辛そうなのが“嫌”なだけ。
 透明。
 その水は光を反射し、様々に色を変えていく。純白は染まりまた戻る。蔵未は真白の、ある種の無垢を____その穢れなさの正体を、少しだけ掴めた気がした。彼に悪意はない、そこに黒はない。真っ白で透明で純粋な殺意、優しさ。それら全てを彼は内包しており、それら全てが彼に溶け込んでいる。彼を善悪で測ることそれ自体が無意味なのだと、蔵未はこの時ようやく悟った。
「____お前、まるで猫みてぇだな。」
「はぁ?いきなり何。」
「しかも野良猫。気まぐれで、懐かなくて、なのに時たまそばに来る____変なヤツ。」
 躊躇なく人の命を奪う彼はそれでいて、人の“痛み”に敏感で。実に自然に、彼は傷口に触れる。心の傷に。思い出したくない記憶に。なのにその手は、痛くない。彼に触れられたとしても、その傷は痛まない。むしろ癒えていくような………錯覚だとは、思うけど。
「何それ、意味分かんない。 大佐って訳分かんねぇ。」
 真白は不機嫌そうに応えた。 お前にゃ言われたくねぇよ、クソガキ。蔵未も軽く返して、彼の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ガキ扱い」
「だってガキだろ」
「僕17だよ」
「精神年齢の話」
 ひでー。抑揚のない声。 真白は猫を目線まで掲げて、鼻をつき合わせ彼に尋ねた。
「なぁ猫、ベルってどう?」
「にゃにゃあ」
「気に入った?」
 何コイツ、猫としゃべれんの? 一体何者なんだろうかと蔵未は半ば呆然とする。けれども何か、すごいと言うより……同じレベルといった感じだ。
 なるほどコイツは猫だったのか。 蔵未はずれた結論を出した。
 ベルはというと。名前を大層気に入ったようで、嬉しそうに真白を舐めている。 やだ、やだってば。真白は嫌がってベルを遠ざけた。
「やめろって言ってんのに」
「にゃー」
「………もう舐めない?」
 いぶかしげに問う真白。ベルは小さく頷いた。その後の展開を予想して蔵未は吹き出しそうになる。真白は黙って、肘を曲げた。
 ぺちっ。
 ベルは両手で真白を叩いた。柔らかい肉球が真白の頬をぺしぺし叩く。ぺちぺちぺちぺち、ぺっちぺっち。ベルは楽しげに真白を叩いた。
「う、あう、ベルやだやめろ」
「みにゃっにゃー」
 完全に遊ばれている。予想以上の展開に蔵未は声を上げて笑った。 笑ってないで助けてよ。真白は目の前の彼に言う。
「いいじゃねぇか叩かせてやれよ。」
「だって、う、あう、くすぐった、あう、やだ、やだうざいこれ」
 ぺちぺちすんな。真白は再び腕を伸ばした。ベルがばたばたと足を振る。 真白は蔵未の顔を見上げた。
「ねぇ大佐コイツ言うこと聞かない」
「そりゃあなぁ、お前相手じゃな。」
「それどーいう意味。」
 ベルのばか殺すよ。向き直って、すねたように。 ったくコイツぁ本当にガキだな。
「そう簡単に殺すとか言わない。 そろそろ日が暮れんぞ、早く帰ったらどうなんだ?」
「うげマジで。 おにーさんが心配するね。」
 じゃーねー大佐。歌うように言うと真白は二、三歩引き下がった。じゃあなと片手を上げた蔵未に、真白は少しだけ___ほんの少しだけ、寂しそうに問う。
「大佐。大佐の大切な人は……もう、死んじゃったの?」
「………あぁ。死んじまった。」
 そっか。真白は小さく返す。 そっか、それは、寂しーね。
「その人のとこ、行きてぇの?」
「すごく。けど____死んだところで、俺ぁ天国は行けねぇよ。」
 そう。天国など行けない。天国などない。 マリアは、もう“いない”。
「僕も…天国は行けねぇなぁ。」
「死ぬ予定でもあんのか?」
「分かんねーけど。でも、久遠はきっと行けるよね。天国。」
 僕が殺したら、きっと行けるよね。 独り言みたく呟いて、彼はベルを抱き締めた。
「それなら、いっかぁ……久遠が行けるならいいや。」
 僕は別に、地獄でもいいや。ひどく穏やかに。 理由は何も分からないが、蔵未は少し恐ろしくなった。
 死、の。足音。
「大佐も地獄行きでしょ?だったらあっちで会おうよ大佐、知り合いいたら楽しーじゃん。僕あっちで待ってるからさ。」
「___薄気味悪ぃ、やめろ。変なこと言うもんじゃねぇぜ。」
 それもそーだね。真白は言う。 明るい話題でもないし。
「それじゃね、大佐。また近いうちに会いに来るー」
「来ねぇでいい、クソガキ。___またな。」
 さりげない、約束。繋ぎ止めておくように。

Special Thanks 唱祈さん。頂いた妄想(?)を、使わせていただきました。
「ヨゲンシャ」は、「預言者」と書きます。予言じゃないよ。

2011/02/18:ソヨゴ
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