お前はもうどこにもいない。そんなこと分かってるのに。笑顔も声も温もりも、薄れていくのに忘れられない。焦がれる痛みも、乞う苦しみも、あの時から何も変わらない。鮮明なままに、鮮やかなまでに。いつまでも俺は囚われたまま。死が訪れるその時まで、俺は苦しみ続けるのだろうか。いつになったら消えてくれるんだ。__なんて、無理な話だろうな。俺が生きている限りは、お前は、消えてくれないんだろ。
 俺には、お前しかいなかったんだ。

センボウsmoking

「……また、夢」
 目が覚めた。部屋はまだ暗い。恐らく朝の五時頃だろうと俺はぼんやり推測する。集合は朝七時、少し、早く起きすぎた__目覚めたくない夢に、限って。
 夢の中にはマリアがいた。
 “いつものような”悪夢ではなかった。幸せな夢だった。確か8年前の五月……二人で過ごした、二回目の誕生日。まるで可愛げのないヤツなくせにその日は妙にかわいくて、……つんけんしていて、甘え下手な恋人。こんなにも愛おしいのに、もうどこにもいない人。目覚めてみれば消えている、さっきまで、触れていたのに。
「マリア」
 名を呼んだ瞬間に、こみ上げてきて、息が詰まった。それが一体何なのかなんて。きっと形容しようとしたなら幾文字かで済んでしまう、だけどそんなものじゃない、そんな簡単なものじゃないんだ。一言で片付けられる想いなら俺はこんなに苦しんだりは、何もかも終わらせてほしいと、願ったりなんてしていない。愛している。どうしようもなく。喪って7年経ってそれでもまだ忘れられない。忘れてしまいたいとも思う、けれど同時に忘れたくはない、もし忘れてしまったら、今度こそ俺は本当に、……愛してる、愛している、マリア、ただ会いたいだけなんだ、もう一度、触れて、なんて、叶わぬ願いと知っている、馬鹿げてる、死んだ人間に、もう二度と会うことはないんだ、なぁ、逃げ出してもいいのだろうか、もう逃げたいよ、もう、……どこへ行けばいいんだろう? 逃げ道はあるのかな、あるんだとしても、分からないんだ、探し方が、まるでさっぱり。ただ一つ分かっているのは、「死んでしまえたら」ラクだって……それだけ。
 小さく、乾いた笑いが漏れた。
 分かっている。多分狂ってる。俺はどこかが壊れてる。だってこんなのおかしいだろ?もう7年だ、7年間だよ、確かに記憶は薄れていくのに、想いだけ、薄れてくれない。人は忘れていくはずなんだ。時は全てを風化させる、物も想いも、人も記憶も。なのに何故あの時のまま、想いだけ、掠れもしない。
 もし、ただ単に純粋な、熱病のような愛であったら、俺はとっくに忘れ去っていた。もっと病的で後ろめたい、どこか歪んだ感情が、紛れ込んでいたはずなんだ。そうでなければこんなことには、……一人になると、いけない。他の誰かが傍にいたなら俺は束の間忘れられる。沢霧といる時、小豆屋といる時、俺は確かに楽しくて、満たされていて、幸せで……でも一人になればあっという間。全て零れてなくしてしまう。また俺は、空虚になる。愛してる。愛している、どこに手を伸ばしてももうお前には届かないのに。ただただ、押し潰されていくだけ。どうすればいいんだろうか。
 死んでしまいたい。ずっとそう考えている。けれど死ぬ訳にはいかない、こんなヤツでも、俺なんかでも、死んだら悲しむヤツがいて、それは皆俺の大切な人で、だから悲しませる訳には、__特に、あいつは。自分を責めてしまうだろうから。
「ごめんな、章吾」
 こんなことになるのなら、救ったりしなければよかった? 今さら何を思ったところでどうすることもできやしない、それは分かっているけれど。俺はお前を“救ってしまった”し、何だかんだ義理堅いお前に恩を忘れるなんて無茶だろう。いくら「見捨ててくれ」と言ってもお前はそうはしないのだから。巻き込んでしまうだなんて、少しも考えてなかったよ。恩? そんなのくだらない、俺以外の誰かにも当然できたことだった。俺は命を救っただけ、援護するよう仕向けられたのが俺ではなくて他の誰かなら、それで終わってただけのはずだろ。なぁそんな恩忘れちまえよ、恩返しなんてくだんねぇ、むしろ、俺は、お前にさ、何度も助けられたのに、__知ってるよ。お前にとっちゃ、助けたうちにも入んねーんだろ。
 もう、十分だ。もういいよ章吾。だからもう諦めてくれよ、いい、見捨ててほしいよ、お前まで一緒になって苦しんでたら意味がないだろ。……分かってくれるようなヤツなら、お互いにもっと楽だったよな。
 諦めたくない、とあいつは言った。だから俺を殺せないんだと。死んでもいいとは言えないと。生きてくれ、そう何度も言われた、まだ投げ出さないでくれ、生きてくれ、生きて、生きて幸せになってくれ。分かりきっているはずなのに。なぁ章吾、そんなの無理だよ。マリアなしで幸せになんて。なれるワケがないんだ、なぁ、分かってんだろ、分かってくれよ。もう諦めてしまうしかないのに。心が、ついていってない。
 八方塞がりだ。
 生きていくのはもう無理で、かといって死ぬ訳にもいかない。満たされる道なんてない、狂ってしまえば救われるだろうか? でもそれは、死ぬことと同じだ。
 毎日、毎日、無理矢理に生きている。いつまで続けられるのだろう、続くんだろう、どうするべきだ? どうすればいいんだよマリア、俺は、どこに行けばいいんだ。
「……許してくれ」
 不意に言葉が零れ出る。 許してくれ、一体何を?
 それがどうしても分からなかった。


 彼はガラスに額を押し付け、ぼんやりと外を見下ろした。俺は窓にもたれかかって、煙草を取り出し、火を付ける。 つい手で風を避けてしまってこれも癖かと苦笑した。外じゃねーから、無駄だってのに。
「煙草とかやめてくんない」
「は?」
「肺に悪いじゃん。ふ、く、りゅ、う、えん」
 厭味ったらしい丁寧な発音。俺はチッと舌打ちして、やめるかボケと返しておいた。蔵未孝二、戦友の弟。いちいち態度の悪いヤツ。全く可愛げのない野郎だがあいつにとってはかわいい、らしい。そういやアイツの恋人もかわいげはなかったらしいし、なんだ、これはあいつの趣味か? 小豆屋をかわいがってる辺り例外はありそうだけど。
「で? いつ謝るんだよ」
「……今日のつもり」
「つもりってなに」
「いや、だって……言いにくいじゃん」
 自業自得だろうがよ、と俺はあきれ果ててしまった。言いだしにくい気持ちは分かるが、落とし前ぐらい付けてもらわんと。アイツがどれだけ苦しんできたのか、__あの日少しは思い知ったろ。
 意地っ張りってのは面倒だ。“強情”と言い換えてしまえば、それは兄も同じことだけど。結局のところ似たもの同士。__弟の方は素直になれず、兄の方は正直になれない。二人とももっと本音が言えりゃあこんなにこじれもしなかったろうに……好きなら好きと言えばいいんだし、傷付いたなら傷付いたと、言わなければ伝わらない。どれほどの傷なのかなんて結局、本人にしか分からないんだ。
 そう、思ってもみるけど。
「こればっかりは、性分だからな……」
 生まれもった性格ばかりは、こうすれば、ああすればなんて、簡単な言葉じゃ治らない。こいつが意地っ張りなのも、アイツが耐えてしまうのも、持って産まれた性分じゃあもうどうしようもないだろう。相性が悪かったのか、上手くいかない兄弟だ。全く、もどかしいヤツら。
 かぶりを振って天井を見上げる。煙草の煙がゆらゆらとライトに吸い込まれていく。それをぼんやりと眺めていたら、彼が唐突に口を開いた。
「__アンタはいいよな、沢霧さん」
「あぁ?」
 咄嗟のことだったからつい喧嘩腰で返しちまったが、どうやらいつもの厭味とは少々勝手が違うらしい。いつもとは大分違う態度に俺は若干戸惑った。俺の様子は気にも留めずない、彼は外を見やったまま、ぽつぽつと、口を開いて。
「アンタはいいよな、っつってんの。俺とは違うじゃん、何もかも、癪だけど、本当癪だけど、アンタは兄貴の親友なんだろ。俺とは違うよ、__俺は、苦しめてばっかりだ。」
 苦しめて、ばっかり。
 彼の言葉を反芻した。苦しめて、苦しめて、__俺だって同じようなもんだ。
「……一緒だよ」
「、え?」
「俺だって、お前と変わんない。」
 分かっている、知っている、なのに諦め切れなくて。俺がアイツにしてやれることはもう一つしかないくせに。決心ができないどころか、生きてくれ、なんて、残酷な、__追いつめてしまっている。何一つ返せないまま、アイツがギリギリ潰されていくのをただ傍から、見ているだけ、救おうと伸ばしたはずの手が逆に彼を突き刺している。 もう、諦めてしまうべきなのに。
 恩返しなんてどの口が。
「俺は、何も返せてねぇよ__追いつめてばっかりだ、結局、俺はアイツに何も、……なーんにも、してやれてねぇ」
 ごめん。ごめんな、孝一。もし俺が居なかったならお前はとっくに逃げてたのかな、その方が、楽だったよな、ごめんな、俺の所為だよな。分かってんだよ孝一、俺はクズだけど、でも分かってんだ、頭では分かってんだよ、でも……なんでか認められねぇんだ。認めたくねぇよ、もう、お前が、×ぬよりほかないなんて。俺はそんな運命は、見たくない、見たくないんだ孝一。俺はこんなガキっぽいエゴでお前のことを追いつめている。本当お前の言う通り、__クズだよ、俺は。最低だ。
「……そうでもないと、思うけど」
「…………はぁ?」
 何、お前熱でもあんの。 割と本気で聞いてしまった。彼はムキになったようで真っ赤になって怒鳴り返す。 うるせぇよ、キャラじゃねぇんだろ。
「分かってるっつのそれくらい、__でも、だってそう思うんだよ。アンタは、色々してやってんじゃん」
「……何を?」
 自嘲じみた笑いが浮かぶ。俺の表情を見て、ほんの少し目を細めてから、__孝二は、強い語調で答えた。
「だって、兄貴楽しそうなんだよ。」
「、は」
「アンタといると、楽しそうなんだよ」
 兄譲りのブラウンはいつになく実直で。そこには嘘も皮肉もなくて。俺はきょとんとしてしまう。厭味ったらしく、皮肉屋な、いけ好かない野郎はどこ行った? 別人のような、__アイツにも似た。
「アンタといる時の兄貴はさ、他の誰といる時より、ずっと、ずっと楽しそうなんだよ。あんな風に笑ってるとこ俺は他に見たことがねぇよ、__マリアさんといるとき以外、見たことがなかったんだよ。俺には、無理だもん。あんな風に笑ってほしくても、俺には、笑わせてやれねぇし。アンタはできるじゃん。アンタは、アンタは兄貴の親友だから、そういうことができるんじゃんよ。」
 それでも、“何も返せてねぇ”か?
 しっかりと、俺の目を見たまま。孝二ははっきりと言い切った。それは疑問系ではあったが、ほとんど断定と同じようなもの……ったぁく、急に素直になるなよ。
「……ありがとな」
 ふっと笑って礼を言えば、今度は彼が目を丸くした。 なに、お礼とか気持ち悪い。 引いたような言葉だが、何故だか腹は立たなかった。そーか、コイツはこういうヤツか。
 意地っ張りな弟くんは、ひねくれ者なようでいて、案外まっすぐしているらしい。さすがは蔵未の弟というか、__やぁっぱ、兄弟なんだなぁ。
 真っ直ぐすぎるあいつと一緒。結局、“イヤなヤツ”になれない。
「俺が礼言っちゃいけねーの?」
「別に、いけなかないけど」
「だったらいいだろいくら言っても。嬉しかったんだよ、癪だけど」
 がんばれよ、と一言言って、俺はまた煙草に目を向ける。 何もできないと言ったけど、お前は、これからできるようになるよ。お前は、弟なんだから。アイツの家族なんだから。きっと救ってやれるはずだよ。お前がただアイツのことを、一言好きだと言うだけで、アイツの心はどれほど軽くなってくれるだろうか。追いつめていたと思うなら、その分救えるはずなんだ。お前はアイツの大事な家族。お前にとっての孝一が、大事な兄貴であるように。
「……あ、のさ」
「あ? んだよ」
「えっと、その……あー、のさ、」
 そろそろ立ち去ってしまおうと思い背を向けた瞬間に、背後から呼び止められて。振り向けば彼は挙動不審だ。訝しむ俺を見て、彼は焦ったようになる。そのまましばらく放っておいたら__やっと彼は、口を開いた。
「あ、の、……さ、さんきゅー。」
「へ?」
「は、励まされたから」
 そう言って俯く姿は、なるほど、ちょっといじらしい。アイツが「かわいい弟」と言う意味も、少しは分かるような気がした。
 けれど。
 返す言葉は一つしかあるまい。
「なに、お礼とか気持ち悪い」
「大体予想はついてたよ!!」

とりあえずうp、恐らく研修旅行から帰ってきたら手直しします。

2011/05/30:ソヨゴ
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