エイキュウsnowing


「ねぇおにーさん。」
「お?どしたよ。」
 オレンジにナイフを通す。顔を見ないで答えると、真白は隣まで寄ってきた。
「あ、みかん。一個ちょーだい」
「オレンジだっつの。あのなぁ何度も言ってっけど、みかんとオレンジってのは明確に違う食べ物でだな、」
「わーたってうっせーなぁ。どっちだっていーじゃん、似てるし。」
 くっそう分かってない。色々語って説き伏せたかったが言ってもうざがられそうなのでやめる。真白にうざがられると何故だか心がちくちくします。親心?
「あーうん、ハイ……じゃあいいよ今日の所は。」
「___あのさぁ、おにーさん。」
 声のトーンが少し暗い。違和を感じて横を向く。見たことのないその表情。
 何だ?
「真白……どうかしたのか、」
「昨日色々考えたの。大佐の言ってたこととか、僕の気持ちとか、久遠のこと、色々。」
 聞きたい事は色々あって、でもどれも重要じゃない。すごく嫌な予感がする。止めなきゃいけないような気がした。
「決めたんだぁ、僕。だから僕行ってくる。もうここには、帰ってこねぇよ。」
「真白!!」
 ナイフを手放し、その手で真白の肩を掴む。ダメだ、今放したら、コイツは一生帰ってこない。コイツは一生行ってしまう。 どこへ?
 どこでもない所へ。
 真白は俺の手を払い、手が届かぬよう後ずさった。なおも手を伸ばした俺に、彼は穏やかに言い渡す。
「バイバイ、おにーさん。____バイバイ、アーニー。」
 一瞬、動きが止まる。そのスキに彼は消えてしまった。掴むことすらできなかった手で思い切り壁を殴りつける。痛みは、さして問題じゃなかった。
「………ちくしょう。」
 その名を呼んでくれるのは、お前だけだったのに。


 来るような気はしてたんだ。だから彼が現れたときも、俺は別に驚かなかった。ただ表情を見た瞬間、何かが違うような気がして。
「___真白?」
 立ち上がり、彼に近寄る。それはいつもの取り繕った、俺を嫌ってる「真白」じゃなくて。 昔のままの、「許人」だった。
「久遠。」
 呼び方も。「栞田」じゃない。どうしたのなんて問いながら、その実俺はもう分かってた。
 そうか。今日がその日なんだね、許人。
「………殺しにきたよ、久遠。」
 泣きそうな声。その声に俺は微笑んでみせる。
「平気なの?」
「うん…もう、決めたから。」
 昨日の夜、そう決めた。彼はそう言ってチェーンソーを握る。 久遠のこと、殺すって決めた。
 ありがとう。応えると、許人は少し気まずそうな顔をした。 一つだけ、謝らなきゃいけねぇんだ。
「何を?」
 俯く。唇を噛む。彼はしばらくそうしていたが、やがて俺をしっかりと見つめた。 もう、揺るぎそうにもない瞳。
「久遠殺したら、____僕も死ぬ。」
 あぁ、やっぱり。
 一度決めたらきっと変えない。それは分かっているけれど、それでも問わずにはいられなかった。
「君は……生きては、くれないの?」
「久遠が嫌がるの知ってる、けど………もう決めたから。」
「……そっか。」
 深く深く、濃いブルー。その色はきっと、他の色には染まってくれない。
 仕様がない。
「分かった。じゃあ、一緒だね。」
 こくりと小さく頷きがあった。辛いことを強いるのだから、俺だって耐えないとね。 君には生きてほしかったけれど。
 チェーンソーが持ち上がる。動いてない刃が首筋に食い込む。少し怖いけど、大丈夫。俺は痛みを感じない。あとは彼が、スイッチを押すだけ。
「これからはずっと一緒だね、許人。」
「うん。ずっと一緒。」
「それなら……また会う為の約束は、もう必要ないんじゃない?」
 はっとしたように、彼は目を丸くする。 そっか、そーだよね。
「もう“俺”でいーんだね」
「そうだよ許人。“僕”も元通り。」
 さぁ、殺って。
 返すべきものはもう返した。これからはずっと一緒だ。天国があるのかないのか僕には分からないけれど____君がいるなら、それでいい。一緒にいれたら地獄でもいい。
 うん、と彼はまた頷く。親指がスイッチにかかった。 僕は、黙って目を閉じる。

 静寂。

 暗闇、無音。長く続いた。もう死んだのかなぁ、僕。そう思って目を開ける。でも何も変わってない、目を閉じる前と、同じ光景。………何故?
「……許、人?」
 見上げる。肩が震えてる。僕が違和感に、___落ちた涙に気付くと同時に、彼はチェーンソーを投げ捨てた。
 僕は呆然と彼を見つめる。彼は零れる涙を荒っぽく、何も何度も乱暴にぬぐった。
「やっぱやだ、いやだ、久遠のこと殺したくない、ごめんね久遠、死んじゃやだ、死んじゃやだよ、生きててほしいよ、ごめん、決めたのに、ごめんね久遠、ごめん、ごめん………」
 ぼろぼろと泣く彼を見て、僕は小さく嘆息した。両方の手首を掴み、笑顔で彼を覗き込む。
「いいんだよ、許人。殺したくないなら殺さなくていい。君が望むなら、僕は生きるよ。」
「でも、でもっ、久遠は苦しいんだ、」
「うん。」
「死にたいんだ、」
「………うん。」
「俺しか殺してあげれない、俺、しか、だから俺が、俺が、殺してあげなきゃダメなのに、ごめん、わがままだ、俺わがままだ、ごめん、でも、ごめん……死んじゃやだ………」
 ぬぐえない涙はそのまま落ちて、絨毯を濡らしていく。 謝らないで。そう言って、僕は彼の頭を撫でた。背伸びしなきゃ届かないけど。
「僕は君が幸せなら、それだけで十分なんだよ。君が僕に生きててほしいなら僕は喜んでそれを選ぶ。無理して、傷ついて、その方がずっと悲しい。君には笑っててほしいよ、許人。」
 時々、僕に会いにきて。ずっと一緒じゃなくてもいいんだ、君に会えるならそれでいい。君の笑顔が見れればいい。その為なら僕は永遠にだって生きてやる。君が悲しまずにすむなら、僕は別にそれでいいんだ。
 しゃくり上げながら彼は尋ねる。 本当?本当に、辛くない?
「うん、辛くない。 君に会えるなら辛くない。」
 だから泣かないで、許人。
 ささやかな願い。彼はそれを叶えようとして、しゃくり上げる声を抑えた。徐々に呼吸が落ち着いていく。 ようやく、彼は笑ってくれた。
「分かった、会いに来る。絶対毎日会いに来る。」
「本当?絶対だよ。」
「うん、約束。」
 指切りしよう。彼は右手の小指を立てた。僕はそれに自分のを絡めて、決まりきった約束を歌う。
「そろそろ誰か来ちゃうかも。俺、もう帰るね。」
「うん……じゃあね、許人。」
 うん、またね。にっこり笑って、許人は僕から離れた。 明日もまた、会いに来る。
 やっと幸せになれるんだ、僕ら。 待ってるよ。そう答えて手を振った。
 ドアが開くのも気付かずに。


「久遠の手、冷たいね。」
「許人はあったかいや。」
「手の冷たい人はね、心があったかいんだって。手があったかい人は、逆に心が冷たいんだって。」
「うそだぁ。許人は優しいもん。」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
「じゃあ、久遠のおかげだね。」
「え?」
「久遠があったかいから。俺も、あっためてもらえたんだ。」


 銃声が空気を切り裂く。許人は立ち止まり、ゆっくりとその左胸を見つめた。赤が、滲み出す。
 倒れてく彼を受け止める。屈みこんで仰向けにすれば、その左胸は血に濡れていた。赤が白を侵蝕する。許人は血を吐き出して、それでも僕に笑ってみせた。
「久……遠、」
「許人っ!! やだ、何、何コレ、ねぇ、」
「久遠……俺、生きて、ちゃ………だめみたい。」
 悪いこと、したから。いっぱい人を殺したから。 白い肌が青くなってく。 だから、生きてちゃだめだって。
「何言ってるのねぇ、やだよ、死んじゃやだ、死なないでしょ?君は死なない、死ぬはずないよ、だって、だってそうでしょ、約束したじゃん、明日も会うって約束したじゃん。」
 ごめんね、と、彼は言う。僕はやめてと言い返した。 謝らないで、お願い。
 学生服が染められていく、その赤は広く、濃くなって、許人の息が荒くなってって、僕はどうしたら、ねぇ、誰か来て、誰か助けて、止めらんない、赤が、止まんないよ、ねぇ、誰か助けてよ、助けてよ、誰か、
「しょーがない、よ…久遠。俺、……悪いこと……しちゃった、」
「でもっ、でもそれは僕の、僕の為でしょ、」
 もし、もし人を殺したから、だからその罰で君が死ぬなら、君が死ぬなら、死ぬなら、死ぬなら、____それじゃ僕のせいじゃないか。
 僕が死にたいと願ったせいで、君は悩んで、傷ついて、あげくこんな、こんなの、こんな……僕のせいだ。僕が、僕がいたせいだ。僕が君に出会わなければ、きっと君はまだ生きられたんだ。
「や、やだ死なないで、死なないで、僕のせい、で、ごめんなさい、僕のせいだ、僕のせいだ、僕のせいで君が、君がぁっ、う、」
 涙が溢れる。透き通った液体はぽたぽたと彼の頬に落ちた。 寂しそうに、彼は言う。
「泣か…ないで……久遠、」
「うぁ、う、僕の、僕のせい、で、」
「違う、よ……俺が、勝手にやったんだ。」
 許人の手が僕の頬に触れた。涙をぬぐうように、親指がぎこちなく動く。不器用に。
「ねぇ久遠、大好き、だよ……だから泣かないで、泣いちゃやだ……泣いたらやだよ…………」
「僕が君に出会わなければ、君は、君は生きて、僕は君を救うどころか、殺し、て、僕は、僕は、」
「……俺、は、久遠のおかげで………久遠、俺は、救われたよ。」
 違う。僕は何もできなかったんだ。君を、君だけを救いたかった。カミサマなんて馬鹿馬鹿しい、僕は君一人救えずに、君は、君は僕のせいで死ぬ、僕のせいで不幸になる。
「久遠、が…教えてくれたんだ…あったかい、とか、嬉しい、とか……久遠が救ってくれたんだよ」
「許人、」
「久遠に出会ってなかったら……俺は、きっと何も知らずに………優しいものを何一つ知らずに、凍えたままで、死んでいたんだ。」
 許人の手が弱くなる。僕は咄嗟にその手を掴んで、自分の頬に押し当てた。 大丈夫、まだ生きてる。
「久遠のせい、じゃ、ない……そんな、こと…言わないで……俺は、俺はね、久遠………久遠に出会えて、よかったよ。」
「待って、____待って許人、嫌だ、」
「久遠に、会えてよかった………久遠のおかげで幸せだった……僕は、誰より幸せだった。」
「やだ、やだ待って、いかないで、一人にしないで、許人っ!!」
 許人は僕を見て、優しい優しい微笑みを浮かべた。唇が、ゆっくりと動く。
「いつ、も…一緒に、いるよ、………そばにいる、だから…泣かないで……」
「行っちゃやだ、っ、僕まだ何もできてない、君に、ねぇ、君に何も、行っちゃやだ、いやだよ、いやだよ許人、行っちゃやだ、待って、待って、」
「何も、返せなくてごめん………久遠、久遠、は、生きててね………生きて、ちゃんと幸せになって…………俺はすっごく幸せだったよ、だから、だから……泣いちゃやだ。笑って。」
 ぐっと、僕の涙をふいて。彼はか細い声で言う。 ありがとう。
「大好き」
 瞼がすぅっと閉じていく。その深い青が見えなくなる。力をなくして滑り落ちる手。 掴めなかった。
「も、と……ひと………」
 首ががくりと横を向く。腕の中の彼を抱き寄せた。
 鼓動はない。
「う、ぁ……うぁぁ………うあぁっ、ぁ、う………」
 きつく、きつく。彼を思い切り抱きしめる。何の返事もない、反応も、当たり前だ____もういない。許人は、死んだ。
 僕の腕の中で。
「っく、う…ぁ………うああああああああっ!!!」
 一つ叫ぶと、止めようもないほど涙が溢れて、どうしようもなくて、なんで、何で君が死ぬ、死にたかったのは僕だろ許人、君は生きたかったはずだ、生きたかったはず、死にたくなかったはず、何で、なんで、何でだよどうして君が、君が、許人、どうして君が、
「栞田様、」
「話しかけるなっ!!」
 ドアに立つ軍人の一人が僕にそう声をかけた。顔を上げて睨みつける。 コイツらだ、コイツらが殺した。
「誰、ねぇ誰が撃ったの、ねぇ、ねぇってば、」
「カミサマ、」
「答えろよ!!」
 呼吸が苦しい。腕の中の彼の身体はどんどん冷たくなっていく。
「誰が殺したの、ねぇ、誰が、僕の、僕の大事な友達をっ、ねぇ、どれだけ奪えば気がすむの、返してよ、許人のこと返してよ、一つぐらい返してよ、好き勝手崇めて、祈って、こんなにも色んなモノ奪って、あげく許人まで、ねぇ、返してよ、返してよ、生き返らせてよ、死んじゃったんだよ、僕の大事な友達がお前らのせいで死んじゃったんだよ、」
 身を離し、彼の顔を見る。穏やかな死に顔。彼は最期まで笑っててくれた。僕が、それを望んだから。
「お前らなんかどうでもいい、僕が、僕が助けたかったのは、救いたかったのは彼一人、ただ唯一許人だけ、なのに、なのに死んじゃった、許人は死んだ、何でだよ、僕達やっと、やっと幸せに、救われると思ったのに、思ったのに、何で____」
 明日も来るって言ったのに、約束したのに、うそつき、何で死んじゃうの、なんで、行かないで、行かないで、死ぬのは僕だったはずでしょ許人、君が死ぬなんて、そんな、うそだ、
 この世は不条理だ。そんなこと分かってた。それでも、それでも信じてたんだ。許人だけは救われるって、幸せになるって、信じてた。でも君は死んだ。死んだ。死んだ。僕一人残して死んだ。
「殺してよ、ねぇ、撃ったヤツ殺して、僕の目の前で撃ち殺して、じゃなきゃおかしいでしょ、殺してよ、引きずり出して早く殺せよ!!!」
 怒鳴りちらす。彼らは戸惑うばかりだった。ごめん、ごめんね許人、僕は____君なしじゃ笑ったりできない。君がいないのに笑ったりできない。
「死んじゃえ、死んじまえ、お前らみんな死んじゃえばいいんだ、許人のこと救わなかったヤツはみんな死んじゃえばいいんだ、僕もだ、僕も死んじゃえばいい、みんな死んでしまえばいい、死んじゃえ、何で生きてんの、許人が死んだのに何で生きてんの、」
 崩れてしまえ。壊れてしまえ。こんな世界狂ってしまえ。分かってる、君は喜ばない。こんなこと言っても君はただ悲しむだけだ。分かってる……そんなこと分かってんだよ。でも。
 二回、三回。荒く息をつく。嵐が去ってそれでも居座るその感情だけ吐き出した。



「みんな死んじゃえばいいんだ。」
バイバイ、真白くん。

2010/02/28:ソヨゴ
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