あぁ、いたいた。

巫山戯たグレー

 やっと見つけたよ。まさかテストで毎回赤点ギリギリだった男がこんないい大学にいるなんて、ちょっとだけ予想外すぎたな。どうやって入ったのかな? 彼の性格から推測するに、卑怯なことはしそうにないけど……ふふ、いつもの鉛筆転がしかもね。本当運と顔だけはいいんだから。心根の方はと言えば、僕に負けず劣らずだけど。彼は女神に好かれてるんだね。世界そのものが彼の味方かぁ、うーん、強敵すぎるなぁ。まぁ敵だなんて言っておきながら僕は彼が大好きなんだけど。彼は僕が大嫌いだから、やっぱり敵になっちゃうのかな。
 それにしても、なんて素晴らしい運命だろう! 再会が叶うだなんて、僕もまだまだ神様に見捨てられてはいないようだね。彼は僕のこと覚えてるかな? 忘れたくても忘れられないか。僕の存在が彼にとって最高に忌々しいといいなぁどうだろう、それくらいきっと許されるよね? だって彼は僕からの好意をまるで独り占めしてるんだからさ。彼の憎悪を独り占め! 嫌悪を、侮蔑を、独り占め! 何だかとっても素敵だね、今すぐにでも吐きたい気分だ。
 隣にいるのは恋人さんかな? 面食いなのは変わってないんだ、ものすごい美人さん。__いや、美人だなんて簡単な言葉で片付けていい存在じゃないか。辞書に載っている言葉ではあの子を形容できないだろう。といっても僕は生憎辞書に載っている言葉しか知らない。形容するのは、諦めようかな。ほんの少しだけ残念だなぁ、君にも僕の感動を味わってほしかったのに。あの子は女神様から彼へのとっておきのプレゼントなのかな、それとも、彼が取ってきちゃったのか。何となく後者な気がする。 彼は、案外強欲だもの。
 さてなんて声をかけようか。「久しぶり」? 「元気にしてた」? 「やぁどうも五年ぶりだね」? それもしっくりこないなぁ。彼と僕との再会だ、ありきたりでは、つまらない。ドラマチックにしないとね。ひねったことでも言ってみようか、__いや、出しゃばるべきじゃないね。演出は僕の管轄じゃない。
 愉しくしてくれるのは、彼だ。


「なに膨れてんだよー、柳」
「別に?」
 言葉とは裏腹に俺はそっぽを向いている。視界の端に彼の手が見えた。ごつごつしてはいるけれど、指の長い、綺麗な手。本来俺のスペースであるはずの領域にまで彼は腕を伸ばしていて、__ソファーの背もたれ、わずかな幅。彼の筋肉質な腕。
「お前って急に不機嫌になるよな」
 呆れたようなっ調子で彼は、コーラを手に取りストローを加える。ずこーっ、と間抜けな音が響いた。ついでに言っとくとこのコーラは俺のだ。
「だってさ、……理由くらい分かれよ」
 理由。もちろんコーラではない。ソファーに乗っている腕でもない。今日待ち合わせに遅れたことでも何回か足を踏まれたことでもジャンクフードは嫌いと言ったのに今ハンバーガーショップにいることでもない。そんな些細なことではないんだ。
 そう、
「ちぇ、せっかく髪型変えたのに」
 俺に黙って髪を切ったことだ。
「って分かるかぁそんなもん!!」
「人の独白を勝手に覗くな!」
「何か聞こえてきちゃったんだよ! 分かりませんそれは分かりません、いくら彼氏でも分かりませんよ」
 膨れ面のまま振り返ると、美澤は短くなった髪の毛をくいくいと引っ張っていた。短くなったと言ったって、男にしては長いままだけど。長髪とは、言い難い。あの尻尾みたいなヤツがない、束ねられた、金色の房が。その金も少し色が薄い。本人に言わせたところ、「色濃いと暑苦しいから」だそうで。
「いいじゃん、イメチェンですよイメチェン。似合わない?」
「似合うけどさぁ……かっこいいけどさぁ……」
「かっこいいならそれでよくない!? なんだよー、何が不満なの」
 またふいと顔を逸らした俺と、俺の頬をつっつく美澤。傍から見たらどう、__ってどうも何もないよなぁ。普通の友達には見えないよなぁ。美澤なんて腕回しちゃってるし。肝が冷えるやめてくれよ、そんな納涼はまっぴらごめんだ。普通にクーラーで冷やされたいです。
 横目で美澤を盗み見る。前髪は眉を隠す程度、後ろ髪はうなじにかかるくらい。横の髪は耳にかけている、段がきっちり付けられていて、洒落た髪型だ、……似合ってる。悔しいけれど様になる。でも、納得がいかないんだ。かっこいいけど、嫌なんだ。
「似合う似合わない、じゃなくてさ」
「んー? じゃあ何だよ」
「俺は、__お前の髪の毛を、いじるのが好きだったんだよ」
 束ねられたくすんだ金色。その房をいじるのが、俺はすごく好きだったんだ。引っ張ったり、撫でてみたり、指で梳いてみたりするのが。抱きついたりキスしたり、したいけど、でも恥ずかしいから。控えめだが確かな感覚。傍にいて触れていることが、ちゃんと実感できる感触。
「だから一言欲しかったというか。ないと覚悟していればいいけど、あると思ってたものがないと、さ」
 簡単に言うと寂しいんだよ。
 すねたままポテトに手を伸ばす。細いポテトを指でつまんでちびちび噛み進めていると、まるで何の前触れもなく美澤は俺に抱きついてきて。当然のことながら、慌てる。
「なっお前いきなり何して、」
「何その理由、何その理由! 何! お前かわいいんだけど!」
 息が詰まる。力が強すぎる。密着してくる恋人の身体はいつも通り体温が高くて、暑苦しいのに温かくて、死ぬほど恥ずかしいというのにどうにも安心してしまった。心地いいのが、居心地悪い。離れろと言ってやりたいけれど、……ちくしょう。嬉しい。
「公共の場だぞ」
「いーじゃん別に! 俺ら以外なんてどーでも」
 甘えるのが恥ずかしいならと、美澤は蕩けた調子で続けた。 俺が代わりに、甘えてあげます。
「……しょーもないやつ」
「そうだね、お前の彼氏だけどな」
 一体これはどうしたものか。馬鹿馬鹿しいくらい幸せだ。俺も、お前も、どうしようもない。愛してる、誰が何と言おうと。他の誰かなど必要ないほど。この世に二人きりでいいよ、美澤。俺のコーラを飲んだっていいし待ち合わせに遅れたっていいし勝手に髪切っちゃってもいいよ。そばにいてくれ。隣に、いてくれ。それ以外もう何も要らない。 本当に、甘ったるい事実。
 だけど。
「もうマジで愛してるぜ柳」
「あーはいはい知ってる知ってる」
「片手間!?」
 いつまでもこの幸せがぬくぬく続くはずがない。その事に、俺は何となく気がついていた。いつか、守らなければいけない日が来る。かけがえのないこの幸せを、この手で、守るべき時が。__そして。
 その日は既にもうそこにあった。


「初めまして」
 声をかけた。目が合った。その瞬間にぶっかけられた。べたべたするなぁ、何だろうこれ。コーラかな? 服が汚れちゃった。
「ひどい“歓迎”の仕方だなぁ」
「誰、お前」
「嘘吐きだね。分かってるから“歓迎”したんだろ?」
 満面の笑みで愛想を浮かべる。彼の瞳がまた尖った。削られたブラウン、銃弾のようだ。貫かれて鼓動が止まる。あぁ、素敵な視線だなぁ。惚れ惚れするほどぞっとする。なんてね、僕はとっくのとうに彼に惚れてしまっているけど。女に困らないその顔を、蹴り倒して、踏みつけたいほどに。
「今さら何しにきたんだ、害虫」
「いまだにそんな呼び方すんの? ひどいなぁ、美澤くん」
「俺の名前を口に出すな」
 反吐が出る、と彼は応えた。全くもう君ってば、相変わらずむかつく野郎だ。
「デート中?」
「見りゃわかんだろ」
「冗談やめてよ真日くん。デート中だってのに、君の目は人を殺しそうだよ」
 ぴくり、彼の目元が引きつる。僕は僕の発言が少なからず彼の気分を概したことに満足し、彼から嫌悪を向けられた事実に身震いするほど歓喜した。あー、うざってぇ男だなぁ。
「怒るなよ、悲しいじゃないか。せっかく再会できたんだからもっと仲良くおしゃべりしようよ」
「お前と何話せって? お前の殺害方法についてか」
「ふふ、殺してくれるんだ?」
「冗談。一人で死ね」
 吐き出された最後の二文字の何と美しかったことか! 冷たい、凍傷になりそうだ。炎が凍ったような激しさ、美しいな君は、そうじゃない? 焼き殺す温度のアイス。尊い、貴い、僕に逆らう存在。いつか潰してやるからな。
「君は、彼氏さんだよね?」
 僕は彼の隣にいる美しい“何か”に話しかけた。“何か”は翡翠の瞳を揺らして口を開こうとしたのだけれど、その前に彼が制してしまって。 柳、コイツに関わるな。
「へぇ、本当に大事なんだその子」
「黙れ。去れ。さっさと消えろ」
 氷が溶ける気配はない。諦めて僕はため息をついた。まぁ、いい。所在は分かったんだから。またいつだって会いに来れるさ。
「じゃあお言葉に甘えようかな。じゃあね真日くん、また今度」
「二度と俺に関わるんじゃねぇ。お前は、俺の世界には必要ない」
 
 世界から失せろ、長谷屋清文。

「失せろ、かぁ。検討してみるよ」
 採用はしないけど。台詞を投げて背を向ける。『俺の世界には必要ない』、か__ねぇ真日くん。




 その世界、俺が壊してやるよ。
長谷屋清文。灰色の髪をした青年。
彼と美澤の因縁に関してはまた後日。

2011/08/21:ソヨゴ
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