ハンバーガーでも食いに行くか、ということになった。誘ってきたのは和弘だ。

カゾクのカタチ

「ジャンクフードか、久々だ。」
「そうなの?僕は結構食べに行くけど。」
俺はそもそも、あの体に悪そうな味があまり好きではない。けれどもありがちなことに時々食べたくなることがある。和弘は、その丁度いいタイミングで誘ってきた。やっぱり分かるんだろうか、親友ってのは……何となく。
「何食おう」
「僕はセット頼むけど?」
「俺は……俺もそうするか。」
12時。腹も減っている。
「んじゃあさっさと行こうぜ____お?」 ふと目を前方に向けると、向こう岸のバス停に、見慣れた人物が立っていた。目印代わりのツインテール。何よりその顔は、
「うげ、千弘。」
隣を歩く親友に、瓜二つだ。
「まぁ……大分遠いから、気付かれねぇと思うけど……」
「休日だし、どっか遊びにでも行くんでしょ。バス来るまで待ってから行こう。」
和弘はそう言って足を止めた。 そんなに気付かれたくねぇか。
「慎重すぎねえ?」
「でも虎だっていやでしょ?絡まれんの。」
素直に頷く。こんな街中で例の妄想を語られた日にゃあ……考えただけでぞっとする。
千弘は背伸びをし、少しだけ身を乗り出して、バスが来るであろう方角を見つめている。かなりの時間待っているらしい。その方角から、大きなトラックがやって来た。
千弘はがっかりした様子でため息をつき、姿勢を戻す。トラックが迫ってきた。
「………あれ?」
何か“勘”が働いて、俺は俺らと線対称の位置に目を向けた。同じくらいの年齢の少年が通り過ぎて行く。彼は紺色のコートを着ていて、フードを被っているせいで顔が見えない。着ているコートは、質の良い高そうなものだった。その歩き方、何より雰囲気。引っかかる。
「__あ、アイツ!」
「え?」
和弘が俺を振り返った、その瞬間。
少年は千弘を突き飛ばした。

ウソだろ、と和弘が掠れた声で呟く。トラックが近い。和弘は小さく息を呑むと、次の瞬間にはもう駆け出していた。
信じられない速さだ。どんどんスピードが増している。不安になるほどの速さ、そう、手の届かないところまで行ってしまいそうな速さ。そういえばアイツ、陸上部のエースなんだよな……でも、アイツの足を持ってしてもこの距離は____危ない。
俺は少年の姿を探した。歩道橋の上でその影を見つける。
「ふざけたことしやがって………!」
俺は歩道橋へと全力で駆けて行った。

「きゃっ!」
ずしゃっ。道路に思い切り突き飛ばされる。体を強く打ち付けてしまった。
「いった…」
ゆっくりと上体を起こす。その時、思い出した。 トラック。
「あ………」
体が震えて動かない。立てない。トラックはまだ、私に気付いてないらしい。
トラックの音が大きくなる。私は運転席を見上げた。クラクションが、鳴る。
もうダメ。
「千弘っ!!」


「____あれ?」
しばらくの間、私は目をとしていた。だけど何も起こらない。自らの心臓の鼓動と、他の誰かの息づかいが聞こえてきて、私はそっと目を開けた。
私は歩道に倒れていた。そして私に抱きつくみたいに、にいいにが、倒れていて。 息が荒い。
「に……にいに。」
「はぁっ、はっ、はぁっ……間に合ったっ…………!」
ごろ、と横に転がって、にいには歩道に大の字になった。トラックが窓を開け、怒鳴りちらして、去って行く。
「な、何で……どうやって……」
「50mとかっ……きっつ………」
「そんな遠くにいたのに、何で」
「陸上部のエースなめんなっ……俺はトップスピードに乗るまで時間かかる方なんだよ。」
口調が昔に戻っている。私は身を起こした。にいにも体を起こして、私の目を見る。
「くそっ、誰だよあの野郎。」
「知らないよ!顔も見たことない。」
その時、頭上から声が降ってきた。 輪払さん?
「和弘!!俺あの野郎追っかけっからそこにいろ!!」
「でも、」
「いいから!! 俺が行かねぇと、ダメだ。」
にいには何かを察したらしい。 輪払さんは、心苦しそうに私を見た。
「大丈夫か、千弘。」
「へ、平気、です……かすり傷程度だから。」
「そうか……よかった。じゃあな和弘、俺行ってくっから!」
言い残し、輪払さんは走り去って行った。少年はどこへ消えたのだろう。
車はビュンビュンと、私たちの横を通り過ぎて行く。歩道橋に貼り付いた案内板がきらめいて、まぶしい。私は目を逸らした。
にいにの息は、整い始めてるけどまだ荒い。肺の動きに合わせてカーディガンが揺れる。
私今、生きてる、よね。 にいにと同じように、息、してるよね?
「____にいに。」
「はぁ、あ?何?」
「さっき、すごくかっこよかったよ。」
だから何だよ。にいには、いぶかしげに私を見る。
辺りが妙に静かに感じた。車の音は絶え間なく、木々のざわめきも聞こえているのに。鼓動の圧力を感じる。
「本当、死ぬかと思った。」
「俺もだっつの馬鹿野郎!! 気をつけろよ。」
「足速くてさ、本当、かっこよかったよ_____何か、正義のヒーローみたい。」
何馬鹿なこと言ってんだ。にいには一瞬、顔をしかめた。けどすぐに気がついて、つらそうに目を細めて。
「……千弘。」
「ふっ、ふぁっ、ぁ、うぁぁ」
にいにの腕が伸びてきて、私を静かに抱き寄せる。大きくはない兄の手が、私の背中を、あやすみたくさすった。
「こ、怖かった、怖かった、」
「___だよな。怖かったよな。」
「し、死んじゃう、死ぬ、死ぬって、思った、怖かった、怖かったよぉ………」
普段は冗談で「にいに」だなんて呼んでいるけど、私たちは双子だ。生まれた順番など、ほんの数秒の差で決まったのだ。兄妹という感覚はひどく薄い。兄であり妹であるその前に、私たちは半身で、映し身で、けれどもやっぱり和弘は____私のお兄ちゃんだった。
「怖いよな、そりゃそうだよ……いきなり突き飛ばされて、死にかけて、怖くないはず、ないよな。」
「お兄ちゃん、怖い、怖い、」
「よしよし。大丈夫だから………千弘はちゃんと生きてるから。」
和弘は細い。けれども、すがりつく私は安心していた。周りの景色が怖かった。死にかけた私を取り囲んでおきながら、何の変化もない、世界が。冷たく見下ろされている。安らかにざわめく街路樹が、小鳥の声が、明るい日差しが、ひどく冷たい。恐ろしい。この人達は平気なんだ、私が死んでも何も変わらないんだ、死んだ死なないはどうでもいいんだ。その冷たさが心を貫く。
「っ、千弘、ちょっと苦しい」
「だって、だって、かずくん」
「その呼び方やめろよ……ちーちゃん。」
まあいっか、今日は。和弘はため息をついた。 私は長い間、兄に縋って泣いていた、


「おい、止まれ。」
紺色のコートの少年に、背後から声をかける。 少年は立ち止まると、楽しそうにフードを取った。
「___あはっ、残念だなぁ。フードまで被ったのにどうして分かっちゃったんですかぁ?」
ターンのように振り返る。予想通りの人物が、口元を歪めてそこにいた。
「さっすがお兄様、やっぱり敵わないです。」
「………礼音、どういうつもりだ。」
無事だったからいいものの、もし千弘が死んでたら俺は……ここでお前を殺してるぞ。
睨みつけながら問いつめる。礼音はその笑みを皮肉なものへとすり替えた。
「いーえ。死なないように計算してましたから。」
「は?」
「所木和弘さん、彼は50mを4秒85で走ります。すごい足ですよねー尊敬しちゃうなぁ!ってそんなことはどうでもいいんですけど、あのトラックの速度を考えればちゃんと間に合う計算だったんです。」
「けど……もし和弘が途中で転んだら?トラックがスピードを上げたら?」
その時はその時。残念でした、はいオシマイ。
礼音は人なつこく笑う。
「てめぇ……自分が何言ってんのか分かってんのか?」
「分かってますよぅそれくらい。ボクは別に所木千弘さんが死のうが生きようがどーでもいいですもん、死んだところで何の損もない。むしろそれで和弘さんが立ち直れなくなったらボクには好都合です、貴方の親友を、傷付けられたってことになる。」
「____っざけんじゃねぇ!!」
礼音の胸倉を掴む。わずかに俺より背の低い彼は、翳った瞳で俺を見上げた。
「てめぇ人の命を何だと思って、」
「うるさいなぁ……熱くならないで下さいよ。」
バチッ
強烈な痛みを感じた。手を離し、うずくまる。この感じ____電流?
「次は最大出力でいきますよ、お兄様。」
面倒そうに礼音は言う。その右手には、バチバチと火花を散らすスタンガンがあって。
「クールにいきましょうよぉ、クールに。暴力はよくないです。あ、ちなみにこれ、そっちの道の業務用なんで……悪くすると死んじゃいますよぅ。」
腕のしびれが引いていくのを感じながら、俺は薄暗い感情に浸った。そっちがあくまでそう言うのなら。
こっちだってそのつもりで行く。


「じゃあねお兄様、また今度。」
背を向ける。気分がいい。 馬鹿なお兄様、だいっきらい。せいせいする。
数歩ほど歩いたところで右手を掴まれた。 ったくまだ分かんないの?しつこいな。
「お兄様、次は容赦しないと言っ____っ!?」
不穏な音が体内で響く。気を失いそうな痛み。崩れ落ちて悲鳴を上げた。
手首が、折られてる。
スタンガンが落下して転がった。お兄様はそれを、思い切り蹴り飛ばす。
「お前さぁ……なんか勘違いしてない?」
「うっ、あ、うああああ、ああ、」
「俺はそんなにお人好しじゃない。大嫌いなヤツに優しくできるほど甘ったれじゃない。嫌いなヤツは嫌いだ、特に、お前みたいな人間は。」
声が、口調が、急激に冷めていく。 ボクはお兄様を見上げて凍り付いた。その目。
お父様にそっくり。
「お前やっぱり藤宮の人間だな。人の命も道具にしか使わないのか。大嫌いだよ俺はお前が、藤宮が、父さんが。死んじゃえばいいよお前なんか、殺してやろうか?でも面倒くさいからやっぱいいや一人で勝手に死んでろよ。何を勘違いしてんの?お前に俺が容赦するとでも思った?そんなワケないだろ少しは考えろよ、お前は俺の親友を傷付けかけたんだぞ、俺の親友の妹を、殺しかけたんだ。それだけでも半殺しにしてやりたいのに随分馬鹿にされたものだな。」
体が震える。言われてることは別に、怖くない。何だかんだ彼が自分を殺さないことは分かってる。怖いのはそうじゃない、そこじゃない。
お父様に似ている。 あまりに、似すぎている。
あんなに嫌悪しているのに、それでも血は争えないのか。ボクはお父様が嫌いじゃない、けれどお父様のような人間は怖い。その怖い人間に、お兄様は、そっくりだ。
「なぁ礼音、俺はお前のことは心底どうでもいいんだ、いけ好かないから消えてくれるとありがたいけどどんなことはどうでもよくて、俺は邪魔なものは切り捨てるぞ。お前は俺が生きる上でとっても目障り、何でかってお前は俺の大事な人を傷付けようとするからだ。次俺の大事な人を傷付けようとしたら俺はお前を見捨てるぞ。潰す。消す。切り捨てる。永遠にサヨナラだ、バイバイ俺の弟さん。」
連鎖のように思い出す。切り捨てる?見捨てる? ボクのことを?

「礼音、何をやっている。使えないヤツは切り捨てるぞ。」
「き、切り捨てる? 切り捨てる、って、お父様、」
「お前は俺の人生を彩る小道具に過ぎない。『俺の息子』という立ち位置のただの道具だ。だから使えなければ見捨てる。必要なければ切り捨てる。丁度いいことに代わりはもう一人いるからな、むしろ 彼奴の方が俺の息子にはふさわしいのだから、お前が居なくても問題はない。精々俺に見捨てられんようあがくんだな、小道具に情などないぞ。」

「う……うぁ……うぁぁ……」
「何泣いてんだよ?俺にどう思われたって興味ないだろ、お前は。」
「き、切り、切り捨てる、って、そんなもの、なの、家族って、使える使えないだけの、そんな、」
「は?」
怖かった。使えなくなったら捨てられるのだ。見放される。家族ってそんなものなのか、父親と息子って、そんな程度のものなのか。使える使えないとか、利害とか損得とか、そんなもので計る関係じゃないと思ってたのに、家族ってそういうものじゃないはずなのに、お父様は見捨てると言った。ボクが使えなくなったら捨てると言った。物でしかないならボクの価値って何?お兄様の代わりなの?ボクはボクじゃないの?自分の血を継いだ跡継ぎなら誰でもいいの?
「家族って、見放さない物なんじゃないの、使えないヤツでも、出来が悪くても、迷惑ばかりかけられてても、家族ってそういう物なんじゃないの?損得とか利害で繋がってる訳じゃないでしょ、そうじゃないでしょ、なのに、なのに切り捨てるの?使えなかったら切り捨てるの?」
涙が出てきた。この人の前で泣いたってしょうがないのに。この人は、ボクが嫌いなんだ。
当たり前だ。嫌われるように接したのだから。
「____父さんに何か言われたの、お前も。」
「っ、お前、は、」
「ああ。」
「小道具に過ぎない、って、使えなかったら切り捨てる、って、」
あの男の言いそうなことだな。 お兄様は呆れたようにため息をついた。
「何、切り捨てられるのが怖くて最初から嫌われるようにしてたのお前。それとも逆?試してたの?ひどいことしても捨てられないか、って、試してたの?」
うなずくしかなかった。 お見通し、かぁ。
「………好かれたいなら好かれようとしろよ。んな態度取られても分かるワケないだろ、俺は頭悪ぃんだし、もっと言えばお人好しじゃねぇんだから。」
「っ、だって、ボクは藤宮の人間で、だからお兄様は最初から、ボクのこと、よくは思ってなかったでしょう?」
「___まぁな。」
「好かれようと努力して、好かれなかったら、と、思ったら、怖くてなにも、だって、ボクお父様に育てられたから、きっとすごく嫌なヤツで、優しい貴方が好いてくれはずないって、思ったから、けど、他に誰もいないんです、ボクと普通の家族みたいに関わってくれる人、他には誰もいないんです。」
結局はお兄様も、ボクのことなんか何とも思っていない。嫌われるようなことばかりしたのだから当然だけど、だけど、やっぱり切り捨てられるんだ、ボクは。家族だなんて関係ないんだ。
「大事な人を傷付けられたら誰だってムカツくだろうが。大事な人なら大事な人ほど、傷付けたヤツを殺したくなるだろ。それだけのことだ。いつまでも黙っちゃいねぇぞって、ただそれだけのこと。」
切り捨てるって言葉は、まずかったかもな。 お兄様はそう言って、しゃがみ込んだ。
「今まで顔も見たことなかったのに家族と思えなんて、無理だっつーの。けど今から家族になるんじゃんダメなのかよ。こんなことしないで、普通に弟らしくすればいいだろ。」
「だってボク、すごく、ヤなヤツで、」
「言っとくけど和弘の性格は最悪だからな。時々なんで俺親友なんだろって思う。でもよ、性格が悪かろうがよかろうが大事な人は大事に思うもんなんだよ、人間ってのは。大事な人を大事に思えるなら誰もお前を切り捨てたりしねぇよ。大事に思えるなら、だぞ。」
「あ、あの、お兄様。」
顔を上げたボクに、お兄様は何だよと応えた。 ボクは恐る恐る、口を開く。
「道具とか、使えるとかじゃ、なくて…………家族と思って、くれますか。」
「今はそうは思えねぇ。けど、これから家族になりたいってんなら、____俺で良ければ、ご勝手に。」
お兄様は、照れくさそうにそっぽを向いた。 俺は帰るぞ、と、立ち上がり、背を向ける。
ボクはその背中を見ながら、やっぱり、と思いなおした。

やっぱり、お人好しじゃあないですか……お兄様。

仲直り、かな。

2010/12/18:ソヨゴ
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