見る人を選ぶ内容です。美澤の過去話。
「またサボるつもり、真日君。」
 公民の授業から逃げて保健室に向かう途中、センセイに声をかけられた。俺は振り返って応える。
「麻本センセイ。 チクる?」
「いちいちチクってたらやってらんないわ。」
 サボりの常習犯でしょ、キミは。呆れたように彼女は言う。
「何時間サボる気」
「んー、二時間。」
「大胆ね……」
 言うと、センセイは柔く口元を緩めた。 それより、さ、真日君。今日の放課後、空いてる?
 またか、とこっそり思う。かと言ってそれを表に出しても、何にもならない。
「空いてるよ、___静奈センセイ。」
 あえて誘い込むように言えば、相変わらず巧いわねと返事。 つまんないなぁ、これだから年上は。
 センセイはゆっくりと近付いてきて壁に俺を押し付けた。センセイ、ここ廊下。やめないだろうと思いつつ一応忠告してみたが、案の定唇が合わさる。受け入れながら考えた。 俺は何でこの人と、こんなこと、してるんだろう。
 好きな訳がない。 相手はどうだか、知らないけど。


 見事に昼間で休みやがって。昼食を食べに教室に戻ると、同級生にそう言われた。軽く笑って席につく。俺のいない間に机は取り囲まれていて、またいつものメンバーだ。
「だってたりぃじゃん授業とか」
「たりぃからってサボんなよなー」
「お前まともに受けてる教科とかあんの?」
「物理は出てんよ物理は、あと、体育」
「二教科とかマジか」
「よく進級できたよな」
 中身のない声の応酬。からかうような色に心の中で言い返す。 静奈センセイの授業は、受けるまでもないから。
 答えてもろくなことにはならない。俺は冗談を返してパンを頬張った。
「あっそういやさぁ真日、」
「ん?」
 彼の顔を見てみれば、にやりと笑みを浮かべていて。 聞きたかったことがあんだよ。
「お前さ、噂立ってんだぜ。 先生と付き合ってるって。」
 瞬間、背筋が凍る。 動揺を悟られないよう、俺は平静を保って聞き返した。
「へぇ、誰と?」
「保健室の水野先生」
「………は?」
 何、それ。
 なぁんだ、と安心すると同時に、間の抜けたような疑問が湧く。何をどうしたらそんな噂が?
「いやお前、毎日保健室入り浸ってんじゃん?の割におとがめねぇし、怪しいってんで噂立ってんの。保健室で、あれこれしてんじゃねぇかって。」
 妄想たくましいなオイ。俺は少々呆れてしまった。とはいえ、中学生男子なんて大概がこんなもので、そういう噂を立てることで間接的に夢を見るのだろう。近しい友人がそうなら、俺だって。 「そんなステキなことホイホイ起こると思います?つか保健室とかどんだけテンプレ」
「あ、やっぱデマなんだ?そりゃそうだよな、もしガチだったらぶん殴ってたわ。」
 だって俺、水野先生ファンだし。唐揚げを口に放り込んで咀嚼しつつ彼は言う。 口閉じろっつの。
 麦茶を飲みつつ、素朴な疑問。どっかのイケメンならまだしもどうして俺にそんな噂が?クラスのお調子者程度の役割で過ごしてきたつもりなんだけど……告られたのだって、センセイ入れて四人程度だ。
「大体なんで俺なワケ。俺がそんなイイ目に遭えると思う?」
「そこは俺も納得いかない。どうしてもお前に人気があんだよ。」
「はぁ?人気ぃ?」
 さっきから初耳ばかりだ。認識、改めようかなぁ。
 彼は不満げに言葉を続ける。 お前のこと好きなヤツ、結構いんだぜ。
「まぁ噂でしかねぇけど」
「だったら信用できねーじゃん」
「でも噂が立つって時点でさぁ」
「……確かに。」
 他のヤツならまだ分かるけど何故よりによってお前なの。 そんなこと、目の前で言われましてもねぇ。
「サボり魔だしだらしねぇしルーズだしズボラだし、」
「ねぇソレだらしないだけでよくない?多種多様な言い方で罵ることないでしょうよ」
「ついでにお前いい加減じゃんとてつもなくいい加減じゃん」
 何一つ反論できない。おっしゃる通りで、ごもっとも。
 だって必死になんかなれない。それほどの価値なんて、俺が知る限りどこにも無いから。大事なものなんてない。もし唐突に、例えば明日、全て失ったとしても、____果たして俺は悲しめるだろうか。感じるものが、煩わしさだけだとしたら。
 俺はどれだけ薄いのだろうか。
「……オイ真日黙るなよ」
「え?あぁごめんごめん、ぼーっとしてた。」
 何だよ、言い過ぎたかと思って焦った。彼はほっとしたように笑う。 別に好きに言っていいよ。お前の言葉なんて、何の価値もない。
「___あ、あの。」
 と、突然。
 隣の席の元原がか細く小さな声を出した。 どうしたの、尋ねてみれば、彼女は俯いたまま紡ぎ出す。
「わ、私分かるよ、………真日君が、人気ある理由。」
「え、マジで?」
 少なからず驚く。元原と話したことなんてない。いや、2、3回はあるかもだけど……つまり俺と元原はほとんど関わり合いがないんだ。予想外。ノーマーク。
 うん、と元原は頷く。
「ま、真日君は、その、確かに少しだらしないけど……授業中とか、誰かが先生にいじめられるとさりげなく庇ったりとか、………独りぼっちで掃除してると、当番じゃないのに手伝ってくれたり……体育のとき、とか、かっこいいし…………だから、その、よく分かる。」
 およ、嬉しい。
 ありがとう。礼を言う。彼女はぶんぶん首を振った。そのまま、黙り込んでしまう。
 うーんこれは……俺のこと、好きなんだって思っていいの?


 昼食が終わった。グループのヤツらがはしゃぎ出す。その様子を横目で見ながら俺は弁当箱をしまった。そろそろ騒ぎに加わろうか、そう考えて腰を上げると、立ち上がった瞬間に後ろから肩を叩かれた。振り向く。 元原だ。
「およ、何か用?」
「えと……さ、さっき、言えなかったことがあって。」
 他の人もいたから、言わない方がいいかなって。もじもじとしゃべる彼女に対し、ちょっとかわいいななんて思った。俺は何気なく彼女に聞いた。
「えっなになに、気になる気になる。」
「あの……真日君ってさ。」
 ためらい。そして、唇が動く。

「時々____すごく冷めたカオしてる。」

 失礼、だったかな。 申し訳なさそうな声。
「いや、別に……あっちゃあ、バレてました?」
「その、うん……実は。見てました。」
 だから、かこいいなぁって。頭いいんだなぁって、思って。
 そんな言葉を聞きながら、冷えた肝を常温に戻す。あぁ、気をつけないとなぁ……彼女の言葉は冷や水そのもの。
 たまたま好意的に受け取られただけ。そういうほつれから、どんどん秘密は漏れていく。これくらいはバレてもいいよ、でももし、センセイとのことがバレたら。元原、君はどう思うのかな。俺はろくでもないヤツだけど。聡い君には、もったいないけど。
「頭悪ぃぞー俺。一学期の成績見てみ?元原だったら卒倒すんぜ」
「勉強がどう、とかは分からないけど……勉強ができるのと、頭がいいのとでは、全然、違うでしょ。」
「んー……俺は、要領いいだけだよ。」
 誤摩化すような笑みで返す。 それは、賢いってことだよ。彼女は初めて笑顔を見せた。それなりにかわいかった。
 付けたし。卒業式の日に、俺は彼女に告白された。高二まで付き合ったけど、入試準備の時に、うやむやで別れてしまった。


 静奈センセイの家を出ると、辺りはすっかり夜更けになってて。このまま帰ったところで両親ともに家にはいまい。どうせなら……少し、寄り道していこう。



 一人で帰る夜道ほど心細いものはない。仕事帰りの心と身体に冬の寒さは滲みてきて、空洞が広がっていく。満たされないのはいつものこと。家に帰っても、どうせ部屋は真っ暗だ。
「___いたっ」
 くぼみにつまづく。見れば、ヒールが折れていた。最悪……これ、結構したのに。
「あーもう……」
 靴を脱いで歩いた。ストッキングに夜の冷気がぐんぐん入り込んできて。歩道は夜露で湿ってる。 あぁ、ついてない。
 私、何やってんのかな。
 ひとたび思うと止まらない。毎日上司に頭下げて、同僚に地味な嫌がらせされて、やりたくもない仕事して。恋愛だって長らくしてない。いつも、空っぽだ。
 何してるのかな、私。
「こんなんじゃダメね……」
 早く帰ろう。それでもう、寝てしまおうか。朝シャワーでいいだろう。メイクだけは、落とさないとね。
 ひた、ひた。歩道は冷たい。街はひどく明るくて、いきずぎる人々は、私には何も関係なかった。車が音を立てて走り去る。時々うるさいバイクの音。 がやがやとした人混みの中でも、何でこんなに、寂しいんだろう。
「お姉さん。」
 ふっと。呼び止めるような声がした。きょろきょろ辺りを見回せば、からかうみたく声が振る。 ここ、ここ。
「___誰?」
 路地裏に彼はいた。壁にもたれかかって、私を見て笑っている。背が高い………180近くあるだろうか。
 学ランを着ているから学生だってことが分かる。高校生かと思ったけれど、着ているのは中学の制服。近所の公立校のものだ。
 黒髪の彼は、それなりに整った顔立ちだった。見蕩れるとまではいかないけれど少し、どきっとするような。大人になるのが楽しみな顔。その髪は短いけれど、服装検査には引っかかりそう。ピアスとかはしていない。中はカラーTシャツで、真面目な生徒じゃないことは分かった。
「お姉さん、ヒトリ?」
 見れば分かるでしょ。言いかけて口をつぐんだ。 違う、そうじゃない。彼が言ったのは、
「ええ……“独り”よ。」
「そう。」
 答えると彼は薄く笑った。 空っぽ、なんでしょ。
「寂しいんだ?」
「そうね……寂しい。」
「___お姉さん。」

 俺で良ければ、埋めてあげるよ。

 誘うような、囁くような。危うい色気。 策略通りに陥落する。
「いくら欲しいの」
 近付いて頬に手を伸ばす。触れた私の手を取ると、彼は唇を押し当てた。 温い。歩道とは違う、湿った感触。
「ヤった後でお姉さんが決めて」
「自信家だね。」
「そーかな?」
 楽しげに笑う声。まだ、少し幼い。 騙されてるんだとしても……このまま帰るよりはマシ。
「そろそろ行こっか、お姉さん。」
 黙って頷く。どこへ行く?どこでもいい。 無責任な返事。
 今夜だけ、ならば溺れてはいけない。彼だってそれは望んでない。今日だけ、そう、今夜だけ。
 埋めてもらおうか。

夜を泳ぐ、

中学生時代の美澤。これ本編で書いてよかったのかな。

2011/02/21:ソヨゴ
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