少年は不機嫌な顔で通学路を歩いていた。そのすぐ後ろで、執事とおぼしき青年が何やら訴えかけている。彼にはそれが疎ましいらしい。朝から十回目ほどの台詞を、苛立ちまじりに投げつける。
「だから、僕は車で行きたくないの。」
「しかし久遠様。貴方ほどの身分の方が庶民のように歩いて行くなど、」
「身分も何も、ちょっとお金持ちの家なだけじゃん。」
 あとついてくんのやめてよ、穂積クン。 面倒そうに少年は言う。
「学校くらい一人で行けるよ。何、僕をバカにしてるの?」
「まさか!ただ万が一のことがあってはいけないと、」
 長身の青年は赤い長髪をゆらりと揺らした。その執事服から察するに、少年は、かなりの名家の子であるようだ。青年は先程から懲りずにつきまとっている。冷たくあしらわれているが、別に苦でもないらしい。Mだろうか。
「では久遠様、せめてお鞄だけでも私めに持たせてください。」
「だーかーらぁ、自分で持てるって。」
 __と、言ってみたものの。少年は疲れを感じ始めていた。彼は身体がひどく弱い。17才だというのに身長は150cm前後、体重もぎりぎり30kg代。病弱ですぐに寝込んでしまう。赤毛の青年の心配はあながち間違ってはいない。教科書がぎっしり詰まった重たい鞄は、少年の細い身体には相当な負担であった。しかし彼のプライドは甘えることを許さない。それは過保護な親に甘えたくない思春期の意地に似ていた。
「これくらい平気だから。あともうすぐで学校でしょ?」
「もうすぐ……ではありますが、あと500mほど」
「なら平気、これくらい持てるよ。」
 500m、かぁ。ちょっとしんどいな。 心の中の呟きはもちろん外には漏れださない。少年は気合いを入れて、もう一度鞄を担ぎ直した。__の、だが。 「あれ、久遠?今日は車じゃねーの?」
 前方に人影。仲々に長身な彼は振り向いて目を丸くした。黒髪のくせっ毛が跳ねる。彼が担いでいる鞄は少年のそれと同じであったが、中身はまるですかすかで、文字通りの『ぺったんこ』だった。
「許人!君こそどうしたの、いつも遅刻してくるくせに。」
 どういう風の吹き回し。 久遠は実に嬉しそうに黒髪の彼に駆け寄った。許人は独特の、柔らかさのある口調で答える。
「気まぐれー。つか、目ぇ覚めた。昨日昼まで寝てたから。」
「半日寝ないと起きれないの?まぁ丁度いいんじゃない、今日は始業式だしさ。」
 久遠は随分楽しそうで。反面、許人は表情を変えない。元々感情表現が豊かな方ではないらしい。寝起きのすこぶる悪い彼は、久遠の鞄に目を止めた。不思議そうに首を傾げる。
「久遠の鞄ちょー重そう。久遠、そんなの担げんの?」
「え?べ、別に平気だよ」
「うっそだぁ。久遠貧弱じゃん。」
 はい、交換。
 久遠の肩から鞄が外れる。許人は鞄を取り上げると、自分の鞄を投げ渡した。昼食のパンの重みしかない彼の鞄を押し付けられて、久遠は戸惑いを表情に浮かべる。
「い、いいよ自分で持てるよ、」
「俺の方が体力あるもーん。ほら、行こうよ久遠。」
 久遠の言葉を適当に流すと許人はぷらぷら歩き出した。久遠は慌てて後を追う。背後から、穂積が大きく声をあげた。 久遠様、お鞄なら、私が。
「構わないよ!二人で行くから。君は帰ってて大丈夫。」
 久遠は振り返って叫ぶ。穂積はしばらくの間不服そうな顔をしていたが、やがて諦めたように首を振り元来た道を引き返して行った。ちょっと悪いことしたかなぁ。久遠はかすかに心を痛める。
「同じクラスだといーね、久遠。」
「へ?あ、うん。そうだといいな。」
 呼びかけられて現実に戻る。久遠は横に立つ許人を見上げた。その身長差は25cm、1mの4分の1。首が痛くなるような落差だ。だからなのか、許人は久遠を見ない。前を向いたまま話しかける。
「担任誰かな」
「去年と一緒がいいなぁ、僕。」
「蔵未センセがいいってこと?」
「そう、すごくお世話になったし。」
 久遠は去年に思いを馳せる。彼は去年体調を崩し、丸々一年学校を休んだ。結果留年という形になり様々な人に迷惑をかけたが、特に担任の蔵未孝一には、色々世話をしてもらったのだ。彼は毎週休日になると病院を訪ねてくれた。先生って忙しいのに、と久遠は彼に感謝する。 そういえば蔵未先生、時々凉谷先生と一緒に来てくれてたような。二人って付き合ってんだっけ。そんな噂を聞いた気がする。
「俺も蔵未センセイ好き、でもうざい。」
「それは君が悪いんだろ。毎回毎回怒んなきゃならない先生の身にもなってみなよ。」
「そりゃそーだけどさ。」
 真白許人は遅刻魔だ。定刻通りに来たことなど去年一年あったかどうか。そんな訳で彼も出席日数が足りず、二人仲良く留年となった。だけど、と久遠は思う。もしかしたらわざとなのかな。僕が一人にならないように、わざと留年してくれたのかな。彼は掴めないところがあるから本当にただの遅刻かもしれない。けれど、何だかそうではないように久遠は感じていた。幼なじみで親友で、だからこそのテレパシー。本当は、わざとなのかなぁ。
「毎日毎日遅刻してよく飽きないよね。」
「だって起きれねーんだもん」
「言い訳になってないってば。」
 事実がどうであれ、これは彼に聞くべきではない。聞きにくいことでもないけど、と久遠は前から思っていた。どっちでも構わないならば、わざわざ聞くようなことじゃない。彼の不器用な、素っ気ない優しさを、わざわざほじくり返してまで明るみに出さなくてもいい。彼はそういう人だから。
 軽口を叩いて学校へ向かう。200mほど歩いたところで、彼らは一人の少女を見かけた。バス停に佇む彼女に声をかける。 本当は、時間が結構危ういのだけど。
「泉ちゃん。」
「ああ、久遠様。いつもニイサマがご迷惑を。」
 久遠に呼びかけられて、彼女は品良く会釈した。 そのふわりとした赤毛から察するに彼女は穂積の妹らしい。言われてみれば、彼女の人形じみた顔には兄の面影がないこともなかった。服装は近所のお嬢様学校のもの。彼女は久遠から許人へ目を移し、ほんの少しだけ、頬を赤くした。
「ま、真白くん。おはよう。」
「やっほー泉。……あれ、泉さぁ、何かいつもと違くねぇ?」
 何が?と久遠。 分かんねえけどと許人は返す。
「え__何、でしょうか。」
「ちょっとよく見して。」
 許人は鞄を置いて泉の顔へとその背を屈める。泉はいささか恥ずかしいようで、おずおずと俯いた。しばらく泉を見つめると、唐突に彼は鼻を鳴らして。すん、と、何かを嗅ぐように。
「あー分かった、匂いが違ぇ。」
「匂い、ですか。」
「いつもは林檎の匂いがすんのに、今日はオレンジの匂いがする。」
 許人は姿勢を戻して言った。泉は合点がいったようで、控えめに髪に手をのせる。
「シャンプーを、変えてみたのです。新学期ですから。」
「ふぅん。林檎も好きだけど、俺オレンジの方が好き。」
 恐らく彼が言ったのは実際の果物の話。女心は分からない男だ。けれどもそれは分かっていながら、泉の心は密かに弾む。そういう人だと知っている、それでも嬉しいものは嬉しい。 だって、好きな人だから。
「女の子相手なんだから『香り』とか言えばいいのに。」
「何で?」
「分かんないならいいよ。」
 細かい気遣い、気配りなんて、彼に求めても仕方がない。それができないところも含めて彼の魅力であるのだから。彼は飾らない。いつも気ままだ。自由で気ままで、奔放で、だからこその優しさがある。不器用であったかい彼。久遠はそんな彼が好きだ。もちろん、許人も。久遠のことが大好きだけれど。
「って、ちょっと。」
 その時。通学路に立つ三人の耳に、神木出高校のチャイムが届いて。泉の学校の始業時間はまだ先であるから問題はないが、二人はこのままだと遅刻。さて、どうするか。
「しゃーねーなぁ。」
 ぼそっと小声で呟くと、許人は久遠を小脇に抱えた。前触れもなく、そして素早く。久遠は驚いて暴れたがさして効果もないようで、許人は平気な顔だ。彼もそれなりに細かったが力や筋肉はあるらしい。久遠がいくらじたばたしても、許人は微動だにしない。
「ちょっ降ろしてよ恥ずかしいよ!!」
「これが一番はえーんだもん。じゃあね、泉。」
 ばいばいと手を振ると、彼は一瞬で“消え去った”。テレポーテーション、俗に言う瞬間移動。普通に暮らしていたならばまず目にしないその光景を泉は難なく飲み込んで。たおやかに、首を傾ける。
「__最初から、そうすればよかったのでは。」


「孝一、いつまでここにいんのよ。」
 もうすぐチャイム鳴っちゃうよ。 マリアは傍らに立つ青年を軽く睨んでそう言った。水色のボブカットが風に吹かれてさらりとなびく。呼びかけられた青年は、振り返ってカップを振った。
「このコーヒー飲み切ったらな。お前のコーヒー美味いんだもん。」
「それインスタントですけどね」
「お前がいれてくれたから美味いの。」
「……またそーいうこと、恥ずかしげもなく。」
 呆れたように取り繕いつつ、その頬は色づいている。青年がその様子を見逃すはずもなく、彼はソーサーにカップを置いた。マリアが座るベッドへとさりげなく近付いて行く。 何、照れてんの?
「照れてなんか、__っきゃ!」
 彼女が意地を張るのと同時に彼は彼女を押し倒した。何するの、と刺々しい声を出す彼女の、すべすべした白い頬を、白魚のような指で撫でる。その指は男のものとは思えないほど細くて華奢だ。彼の手は並みの女のものよりずっと美しく、下手すると、マリアのそれより細いかもしれない。
「うそつけ、頬が赤いですけど?」
「うっさ……悪かったわね顔にでるのよ」
「そんなところもかわいいからいいけど。」
 アンタって羞恥心ないの? 恋人のかわいくない発言に、孝一はおどけて返す。 さぁ?どっかに忘れてきたかもな。
「正直な意見なんだしさ。」
「知ってるっつの、だから恥ずかしいんでしょ!いわゆる口説き文句なら私だって受け流せるって……」
 実際は『いわゆる口説き文句』でも受け流せないタチなのだろうが、そこら辺の強がりにはまぁ目をつぶることにしよう。マリアの半ばすねた顔を見て、孝一は嬉しそうだった。 この整った顔の青年は、素直でない恋人が、たまらなく愛おしいらしい。
「あ、チャイム。」
 鐘の音が保健室に響く。ほら担任、行かなくていいの。 ほっとしたような彼女の声音に孝一は意地悪く返す。
「ダッシュで行きゃ間に合う。あと少しだけ。」
「だめだって早く行かなきゃ。」
「じゃ、キスだけさせろよ。」
 孝一の微笑みにマリアは一瞬動きを止めて。やがて諦めの吐息を吐いて、好きにしなよと目を閉じる。孝一はそっと頬を挟んだ。そうして静かに、唇を、__

「あ、間違えちった。」

 突然の声に縮み上がる。驚いて戸口を見れば、学生服の少年が二人。
「あ、う、ごっごめんなさい先生、」
「ごめーん邪魔しちったー。ごゆっくりぃ。」
 焦る久遠とは対照的に許人は悪びれもせず、おざなりな敬礼をして。言い残してまた消える。しばらくぱちくりとまばたきしていた二人だったが、やがて孝一が、みるみるうちに表情を変えた。戸口へ向かい戸を開ける。廊下に向かって、彼は叫んだ。
「真白おおおおおお!!てめーわざとやっただろ!!!」
 逃がしてたまるか。吐き捨てるように言って、背広を羽織り全力で駆け出す。ベッドに取り残された彼女は、ゆっくりと半身を起こした。彼の背中を見送ってそのまま深いため息をつく。誰がついたものよりも、深く深く、長いため息。
「もう、__私どうすればいいのよ。」

ピースフルに行きましょう


耐え切れず学パロ書いちゃった。楽しいっす。三人称きついっす。

2011/04/05:ソヨゴ
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