美しい森の中を、僕は一人で歩いている。樹々は空に届きそうに高くて、濃い緑の葉を繁らせていた。隙間から覗く夜闇の青は透き通ってる。 静かな、世界。

In the blue.

 何故僕は歩いているのか。何故行き先を知っているのか。そんなことはどうでもいい、きっとここは、夢の中だ。
 どこからか川のせせらぎが聞こえる。草が僕に踏みしめられて、湿った小さな音を立てる。柔らかな草を踏みつぶし、夜の匂いに冷やされながら。しばらく歩いてるうちに、森の景色が変わり始めた。ぽつん、ぽつんと、大きなキノコが生えている。人が座れそうな大きさの。クリーム色のその笠は、赤くて丸い水玉模様。
 少し開けた場所に出た。そこは広場のようになっていて、一面キノコが生えている。といっても、隙間も無いほどって訳じゃない。結構まばらだ。広場を取り囲むように、厳粛に、樹々たちが立ち並んでいる。
「………おや?」
 そこで僕は人影を見つけた。女の子だ。僕と同い年くらい。キノコにちょこんと腰掛けて、足をぶらぶらさせている。片手を上げて挨拶すると、彼女は僕を手招いた。
「はじめまして。こんなところで何をしてるの?」
「あら。貴方、私を追って来たんじゃないの?」
「追う?どうして。 僕は君を知らないよ。」
 そうね。それはそうね。 少女は赤い頭巾に手をやる。構わず僕は挨拶を続けた。
「ねぇ君、名前は?」
「名前なんてないわ。」
「え、ないの?」
「それじゃあ貴方に名前はあるの?」
「もちろん、あるよ。僕の名前は__」
「待って。」
 言う必要はないわ。 少女は僕の唇に、人差し指を押し当てた。 私、知っているもの。
 僕は少なからず戸惑って。少女の指は甘い。口に含みたくなるのを耐えて、感触の誘惑に耐えて。分かっているのかいないのか少女はまるで表情を変えない。読めない人。仕方なく、僕は口を開く。 「知ってる?」
「ええ、知っているわ。貴方のことはよく知ってる。」
 だから、言わなくても、いい。
 今会ったばかりの彼女は、髪をいじりながら答えた。茶色のおさげはつやつやしてる。キャラメルで作られたよう、いい香りがしてきそう。僕がぼーっと見てると、少女は指の動きを止めた。
「ねぇ、貴方。頼み事をしてもいいかしら。」
「構わないよ。どんな頼み?」
 問いかける。彼女は淡々と、実に淡々と、返す。
「助けてくれない? 私、追われているの。」
「え、誰に?」
「猟師よ。」
「どうして。」
 猟師が追うのは獣だろう。 僕は首を傾げた。 おかしいじゃないか。君は、人間だよ。
「そうね。でも、食べちゃったから。」
「食べちゃった?何をだい?」
 僕が尋ねると彼女は、傍らのバスケットから苺を一つ取り出した。へたを取って、かじりつく。また一つ出して、かじりつく。白い歯、唇、果肉、果汁。潤すように。ぐちゅりと潰れて薄桃色。真っ赤な汁が口の端を垂れる。彼女は舌で、それを舐めとった。
「食べちゃったの。 おばあさまを。」
 とても美味しかったわ。
 猟師はね、仲がよかったの。私の哀れなばあさまと。私が殺したなんて知ったら、きっと生かしておかないわ。  君は殺されるべきじゃないかな。 そんな言葉が頭に浮かんだ。けれどさすがにひどいだろう。それに僕は、彼女が助かる術を知ってる。夢の中では必然しか起きない。僕は何もかも知っているはずだ。彼女の逃げるべき道を。
 程なく僕は閃いた。彼女につかつか近寄って、こっそりと耳打ちをする。 ねぇ、君。
「優しい狼を捕まえておいで。彼のせいにしてしまえばいい。 そしたら君は、生きられるだろうよ。」
 あら、と彼女は目を丸くする。 貴方、案外酷いのね。
「贄は獣と決まっているよ、赤ずきん。太古の昔から。僕らはそうやって生きてきたんだ。」
「ありがとう。お礼にいいこと教えてあげる。 貴方の愛しい、妹の居場所。貴方を救い出す少女。貴方を閉じ込める少女。」
 お菓子の家は、必要ないわね?
 彼女は悪戯っぽく笑った。


 湖の淵に彼女はいた。 愛しい愛しい、僕の妹。
「__ただいま、グレーテル。」
 彼女のそばへ歩み寄る。彼女は僕の頬に触れ、柔らかく、微笑んだ。
「お帰りなさい、ヘンゼル。 もうどこへも行かないでね。」
 彼女の指は冷たい。その笑みは暖かい。僕は少しだけ迷ったあと、同じように微笑んでみせた。
「やなこった。」
 彼女の体を思い切り、突き飛ばす。 魔女は湖の底に沈んだ。

ダークファンタジーもどき。昔の短編。ちょっと手直ししたけど色々ひどい。
雰囲気的には気に入っております。

2011/04/04:ソヨゴ
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