夜中、妙に目が冴えてしまって僕はベッドの上から天井を見ていた。灯りがこうこうと部屋を照らす。さっき点けたんだ。
 僕はこういう夜のことを本当によく知っていて、こんな日はもう眠れない、だからいい、起きていよう。けど朝まであと五時間近くも、何をして過ごせばいいんだ。
 ふぅ、わずかに嘆息。 バカだなぁ、なんで起きちゃったかな。
 本でも読んで待っていようか。そんな風に考えていたら……妙な電波が頭に届いた。
 電波、と、言ったって。大したものじゃない。僕はこれまたよく知っていた。 生まれた時から。 ずっと前から。
「___千弘?」
 ドアの方を向き、呼びかける。ぴたりと空気が止まる気配。やっぱり、いた。 僕の妹。
「何してんだよ、こんな夜中に。」
「にいにこそ。まだ起きてたんだ?」
 見え透いたウソつきやがって。僕は内心で毒づいた。 分かってたくせに。察してたくせに。僕らは、双子なんだから。
「……何でまだ外にいんだよ。」
 訝しんで、起き上がる。そのまま立ち上がり歩を進めれば、ドアノブに手をかけた途端に、やめてという拒絶が聞こえて。
 どういうこと。尋ねる。 聞かないでよ。答え。
「………廊下、寒くないの」
「寒いよ?」
「じゃあ入れよ」
「ごめん、いや。」
 あっそ。少々、不機嫌になる。 いきなり尋ねてきておいて、中には、入りたくない。
「何の用だよ。」
「___なんだろう。」
声が一瞬遠ざかった。服が擦れる音が聞こえて、ああ、壁にもたれてるんだって気付く。足下に近いような位置で千弘はまた言葉を紡いだ。
「にいに、今年もいっぱいもらってきたね。」
「は? 何を。」
「チョコレート、だよ。すごい沢山。」
「あぁ……まぁね。」
 僕、モテるから。言いつつ僕もしゃがみ込んだ。千弘と同じように、壁に背を預ける。ドア一枚で背中合わせ。
 体温が伝わる気がした。もちろんそんなの幻想だけど。でも伝わってもおかしくなかった。僕らは分け合っている、全て、遺伝子レベルで共有している。
 僕らそれぞれの想いを。
「うっわ、自分で言うの?」
「言っちゃ駄目?事実でしょ。」
「そうだけど、____そう。そうだね。」
 その声の意味は、何となく、掴めるようで掴めなくて。おかしい。遠い。離れられるはずないのに。
「御影ちゃんからチョコ貰った?」
「もちろん。僕の恋人なんだし。」
 返しつつ、回想する。照れるような顔、紅い頬、杏の瞳、長い髪。
「そっか……美味しかった?」
「美味しかったよ。アイツ料理上手いから。」
 それに。 好きな人、だから。
「好きな人が作ってくれたら、どんなものでも美味しいでしょ。」
「………うん。だろうね。だと思う。」
「……なぁ、千弘。さっきから一体、」
「ねぇ、和弘。」
 名前、で、呼ばれた。久々に。 あの日以来に。
 どうして?

「和弘は、私があげても____美味しいと思ってくれる?」

「……え?」
「私もあなたの、好きな人、かな。」
 いつもだったら。そう、いつも通りだったなら、馬鹿じゃないのと罵って、んなワケねえだろ、そう、言った。そう言えた。泣き出しそうじゃなかったら。
 千弘が、泣いてなかったら。
「わ、私ね、変なの、変、なんだ、何か、もう、なんだろ、ごめん……気持ち悪いね。」
 嫌だよね、変だよね。気持ち悪いよね。ごめん、ごめんね。 強がるように。拒むように。縋るように。溢れるように。
 僕は呆然とそれらを聞いていた。信じられなかったけど、前からあった、ほんの微かな違和感は_____これ、だったんだ。気付けなかった。
 なんて。気付けるものじゃないのに。
「妹、なのに、本当、馬鹿、馬鹿みたい、ね、うん、あは、分かってる、分かってるよ、ちゃ、んと、分かってる、私変だよ、お兄ちゃんなのに、しかも双子で、ほとんど一緒で、全然ちがくて、でもおんなじで、それなのに、なんで、なんで_____好きに、なったり、して。」
 ごめんね、和弘。 好きになっちゃった。
 千弘はしゃくりあげていた。ドアの向こう、届かない。僕は体育座りのままで、ゆっくり俯き途方に暮れた。そんなの………僕は、どうすれば。
 ほら、何か言えよ。千弘が泣いてんぞ。お前の大事な妹が、すぐそこで、部屋の外側で。ドア開けて、早く抱き締めてやれよ。そんなこともできねえの?できるかよ、出来る訳ない、だって、だって僕は、僕は、_____御影を、愛してる。
 そんなこととうに分かってて、だから千弘は泣いてるんだろ。僕らは双子なんだよ、だから分かってしまうんだ、僕の想いが嘘じゃないこと。心の底から愛してること。それでも好きになっちゃったから、だから千弘は泣いてるんだよ。僕には何もできないんだ。慰めも、拒絶も、意味がない。僕らは通じているのだから。
 同じ卵子の中にいた。気の遠くなる確率で、僕らは一緒に生まれてきた。その結びつきは越えられない。 たとえ、愛してしまったとしても。
「僕は……僕にとっては、ちーちゃんはすごく大事な人だ。」
「うん……うん、…分かってる。」
「だって僕らは血を分けている。体を構成してるもの全て、僕らは同じなんだよ千弘。君は僕のようなもの、決定的に違うけど、そうだろ?」
「……うん。そう、だね。そうだよ、かずくん。」
 覇気のない声。僕は必死に言葉を探す。この想いも、届けばいいのに。
「だから、だから……僕は、………千弘のことを愛したりはできない。」
 この世でたった一人の妹。大事な大事な僕の片割れ。けどその強い繋がりは、きっと、どの想いでも越えられないんだ。君は僕の妹で、それが最上の繋がりで、それ以外は……見つからない。  僕が愛しているのは、この世で一番愛しているのは____ごめんね。御影だけなんだよ。
「……き、いて、………かず、く……ん、」
「……うん。」
「わた、し、私ね、すごくね、馬鹿で、馬鹿なこと考えて、ほら私、髪、長いでしょ?だからね、下ろしたら、御影ちゃんに見えるかなとか、思ったり、して、馬鹿みたいでしょ、ねぇ、笑ってよ、馬鹿みたいでしょ?笑ってよ、馬鹿だって言ってよ。」
 笑ったりできないよ。僕は静かに天井を仰いで。 笑えるかよ。そんなの。どこが馬鹿なんだよ。
「ごめんね千弘。僕は……ひどくわがままなんだ。」
「…しっ……て、る………」
「君も御影も___手放せない。僕はどっちも大好きで、だからどっちも傷付けたくない。 ごめんね、僕はわがままだ。」
 チョコレート、作ってくれたの?また俯いて僕は尋ねた。 作ってくれたなら、食べてみたい。
「つくっ……た、よ…でも……日にち、変わっちゃった、」
「いいよ。それでいいよ、千弘。」
 ドアと床の隙間から、ラッピングされた箱が出てきた。ありがとう、開けていい? 頷きの気配がする。僕は、丁寧に包みを開いた。
「………ブラウニー?僕の好物じゃん。」
「……うん。」
「____美味しい。美味しいよ、千弘。」
 すごく、美味しい。呟きながら僕は、泣きそうになるのを必死で堪えた。今、泣いたら。意味がない。誰よりつらい僕の妹を、もっと苦しめることになる。だから泣かない。僕は、お兄ちゃんだろ。
 ブラウニーはとても甘くて、僕の大好きな味だった。僕は、本当は知っていたんだ。毎晩、千弘が作っていたのを。何個も何個も練習して、その度捨ててを繰り返してた。知ってたんだ、そんなこと。それでも何も出来なかったんだ。
 「ごめんね、……好きになってごめん、和弘。 私のせいで苦しいよね。」
「そんなこと、」
「やめてよ。分かっちゃうんだよ。 “妹”だもん、分かっちゃうんだよ。」
 いいんだ。和弘が、「美味しい」って言ってくれたから。だからいいんだ。 もう、いいんだよ。
「ありがとう……お兄ちゃん。」
 立ち上がる気配がした。僕はそのまま動けなくて、千弘が遠ざかるのが分かる。皮肉なことに、心の距離は元に戻って、また接するように近くなってて。耐えきれなくて僕は泣き出した。みっともない声をあげて。聞こえないことを願ったけれど、どうせ聞こえていたのだろう。最後まで僕は最悪だ。
「ごめん、……ごめんね、…ちひ、ろぉ………ごめん…………」
 こんなヤツでごめんね千弘。僕は、お兄ちゃん失格だ。


 せっかく君が、“妹”でいてくれたのに。

午前二時。


所木双子、ちょっと暗い話。

2011/02/15:ソヨゴ
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