「柳さん、ここにはよく来るんですか?」
「たまにな。何だか、落ち着くだろう。」
 休日の昼だというのに、美術館内にはまるで人気がなかった。静まり返ってる。ベンチに腰掛けているのは、僕と柳さんの二人だけだ。
「和弘君こそよく来るのか?」
「それなりに。ここ、好きなんです。」
 薄暗い館内は、普段から人が通らない。顔も知らぬ人々が残した絵画、彫刻達。それらに囲まれて過ごす時間は、僕にとっては、結構貴重だったりする。
「にしてもここは……いつ来ても人が居ないな。」
「そうですね。だから好きなんですけど。」
「俺もだよ。浸りたくなる。」
 澄んだ声で彼は応えた。深くて広い館内に響く。 照明は、少しだけ黄色い。
 隣に座る彼を見て僕はこっそり考えた。美しいモノを集めたこの場所で、柳さんに出くわしたってのは………少し、出来過ぎじゃないだろうか。
 美しい人。
 こうして話してる今ですら、気を抜くと背筋が凍る。目が離せない。もしこのまま見入ってしまえば、僕は吸い込まれてしまうかもしれない。いやすでに魅かれているのか……吸い寄せられる、深い瞳に。
 彼の瞳の色素は薄い。それなのに底が見えず、深遠で、見つめられると動けなくなる。そしておそらくは____その瞳をもぎ取ったところで、たちまち濁ってしまうのだろう。この瞳は、彼にしか許されてない。透き通りすぎた翡翠の瞳。
 肌が陶器のように白い。きっとひどく冷たいのだろう。異国を感じる鼻の高さと桜桃のような唇の色。瞳を縁取る長い睫毛はまるで植え付けられたかのようで。ひどく繊細なその黒は触れたら崩れてしまいそうだ。いいやそもそも、触れることすら出来ない気がする。この人が“ここにいる”という現実が、僕には少し信じられない。実在しているはずがないだろ?美しすぎる、生きているには。だから僕らは恐ろしくなる。僕はいつしか知らないうちに、違う世界に迷いこんだのか?この世ではない別のところに?だってそうだろう、こんな美しい人が、この世に居るはずないのだから。虚像にすぎぬに違いない、幻に、触れられるはずがない、形を持ってるはずがない。だから彼に恐怖する。じゃあ、僕には何故彼が見えてる?だとしたら彼は____僕が見ている“これ”はなに?
 時々、だけど。考えることがある。この人に見蕩れてしまって、虜になってしまったとして………それは幸せなことなんじゃないか。きっと“僕”は消えてしまうけど、それでも、それは一つの幸せの形で。実現はしない甘美な誘惑。分かってる、彼は人間だ。この世に生きる存在だ。信じられないけどそれは真実。
 虜になってしまいたい。吸い込まれたい。取り込まれたい。その圧倒的な美しさに飲み込まれてしまったなら僕の自我は消え去るだろう。僕は僕じゃなくなって、何でもない存在に変わる。でも、何故だろう、そうなりたいと………思わせる力がこの人にはあるんだ。魅き込まれて、溶かされて、それでもいいと思ってしまう。強い引力。
「……和弘君。」
「っえ? あ、はい。」
 やば、見入ってた。正気に戻って応えると、柳さんは僕に微笑んで。 また、時が止まる。
「さっきからどうしたんだ?心ここにあらずだったぞ。」
「いえ、あの……その。」
貴方にずっと見蕩れてました。_____なんて、どの口で。
「………ちょっとぼーっとしてました。」
「そうか?ならいいんだが………そうだ和弘君、この後ヒマか?ヒマならお茶でもしにいこう。」
 おごるよ、と彼は立ち上がる。そんな、申し訳ないですよ。同じく立ち上がり後を追う俺に、柳さんは笑って返した。 遠慮をするなよ、似合わない。
「コーヒーでも飲みにいこう。 それとも、迷惑か?」
「そんな訳ないです!」
「はは、ならよかった。」
 どこへ行こうか。彼は独り言のように呟く。その横顔を眺めながら僕は密かに決心した。
 カフェでは、コーヒーだけ見ていよう。

美術館にて


別に恋愛感情はなくて、ただ好きなだけなはずなの……柳の見た目について長々書きたくなったので。
柳の美しさは一言でいえば、“この人のモノになりたい”、って感じですかね。捧げたくなる美しさ。

2011/02/10:ソヨゴ
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