「へぇ、万葉集ねぇ。」
「違う、小倉百人一首だ。」
呆れ気味に訂正する。もうこれで何度めだろうか。

しかえし。

「あー悪ぃ悪ぃ、ついごっちゃになっちゃってさ」
ミサワは悪びれもせずに応えた。その軽い調子で彼は続ける。
「万葉集か懐かしいな、」
「百人一首」
「中学でやったなぁ万葉集」
「百人一首だって」
「万葉集って選者誰?」
「だから百人一首だっつのわざとやってるだろ!! ちなみに、大伴家持とされてるな。」
百人一首? 万葉集。
「バカ、百人一首は藤原定家だろ。」
「そうだっけ?」
「………まぁ、忘れるのも無理はないか。」
習ったのはもう十年近くも前の話だ。自分自身、覚えていたことに驚いている。
「で、何で今さら百人一首。」
「いや、悠がな。」
悠は中学三年生だ。丁度古典の授業の一環として、百人一首をやっている。
「ほー。プリントかなんか作ってあげんの?」
「そのつもりでいる。久々にちょっと勉強したいし。」
ミサワは軽く顔をしかめた。
「冬休みなんだから、勉強なんてしなくていいじゃん」
「だけど何か……ノートとか作りたくなってきて。」
「うぇっ、さっすが天才。」
少しムッとする。 講義キレイにまとめるのとか、楽しいじゃないか。
ミサワはすねたように、こたつの上に顎を乗せた。
「それ以前に俺講義聞いてねーもん」
「言い訳にならない」
ミサワの腕が伸びて、こたつの上のみかんを取る。 俺にもくれ。言うと、ミサワは半分ほどもいで向こう岸から手渡した。
「あめー。随分熟してんな、このみかん。」
「あぁ。ちょっと甘すぎるな。」
手の甲で口を拭って、ノートの上に目を移す。水色のペンでラインを引き、上の方に作者、と記す。と、小さな点が気になった。手で払ったが取れない。どうやら、紙自体の汚れのようだ。
「なー柳、好きな歌とかあった?」
「ん?」
「百人一首の中で、さ。」
好きな歌、か。俺はペンを置き顔を上げた。 好きな歌、好きな歌。
「___ちょっと待て考える。」
「へっ?んな真面目に考えなくても、」
「いいんだ。俺、百人一首好きなんだよ。」
お前が先に答えてくれ。唇に指を置きつつ頼むと、ミサワは軽くため息をついた。
「俺ぇ? 選者も覚えてない男が歌なんて覚えてるわけ……あーでも、一個だけ。」
「何だ?誰のヤツ?」
「作者なんて覚えてねーよ。 ほらあれ、天つ風。」
あぁ、あれか。僧正遍昭。
「天つ風、雲の通い路吹き閉じよ。 乙女の姿、しばし留めん。」
「随分ロマンチックなの選んだな。」
天上に吹く風よ、雲の通い路を吹き閉じてくれ。今ここで舞っている天女が、天へ帰ってしまわぬように。
「何か夢があるだろ?この歌。」
それに___俺には今その気持ちが、嫌って程よく分かるんでね。
にぃ、とミサワは意味ありげに笑う。
「どういうことだ?」
「分かんなきゃいーよ、別に。 んで?お前は決まった?」
「え? あぁ、うん。」
釈然としない。モヤモヤしつつも口を開く。
「藤原義孝の歌。覚えてるか?」
「藤原義孝ぁ?___あ、」
覚えていたらしい。何故かは知らないが、少しだけ嬉しくなる。
「君がため、惜しからざりし命さえ_____っ?」
ぐい。
衿の辺りを掴まれて、引き寄せられた。唇が塞がれる。数秒間キスをした後、ミサワはやっと手を放した。
「_____長くもがなと、思いけるかな。」
「………何で、言わせてくれないんだ?」
いきなりのキスには少なからず戸惑った。ミサワの顔が真剣なのも、気になる。
「だってこれ、病気で死んじまったヤツの歌だろ?」
「あぁ。21だったか、俺らと一才しか変わらないな。」
君のためになら惜しくないと思っていた命であったが、君に出会った今となっては、長くあれと思ってしまうことだ。
「それがどうかしたのか?」
「その歌さぁ……違う訳があんだよ。」
どうせ自分は、長くは生きれないのだから、いつ死んでもいいと思っていた。けれども君に出会ってしまった。今となっては、もっと長く生きたいと願ってしまうようになったよ。 それは叶わぬ願いなのに。
「嫌なんだよ……お前が言うと、お前がいっちまいそうで。」
だから、お前は言うな。
寂しそうな声音で、ミサワは静かに、俺に命じた。
「………分かった、言わない。」
「____サンキュ。せっかく風に頼んだのに、行かれちまったらたまんなくてさ。」
ん?
「風?」
「そーだよ。帰る道を閉ざしちゃってくれ____ってさ。」
「は?……あ、」
あ。さっきの。
顔が赤くなるのを察して慌てて俯く。 な、なんつー恥ずかしいことを、コイツはっ!
「へへ、意味分かったー?」
「分かりすぎるわ!!」
「おっ照れてんの?顔上げろよ、見せてみなって。」
下からジト目で睨む。ミサワはさらにへらへらと笑う。
「お前……恥ずかしくないのか?」
「ぜーんぜん!だて本音だし。」
くっそ、ムカつく。そのにやけ面を殴り飛ばしたい。けれどもさすがに恋人の顔面は……それにそんなの、俺らしくない。
だったら。
「おいミサワ、」
「んー?どうかしましたぁ?」
今度は俺から身を乗り出して、キスをする。きょとんとしているミサワの耳元に口を寄せる。
「陸奥の、しのぶもぢずり____誰ゆえに。」
乱れそめにし、我ならなくに。
「____この野郎。」
「やられっぱなしは性に合わなくてな。 それに、お前が先にしてきたことだぞ。俺のせいじゃないからな?」


そう。全部お前のせいだ。

もう一つの訳、ってのは私の朧げな記憶を頼りに書いたものなんで当てにしないでね。妄想かも。

2010/12/11:ソヨゴ
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