憎んでないよ


 初めから夢と分かっていた。辺りは真っ暗闇、スポットライトに照らされるみたく俺と兄貴だけが明るい。……いや、照らされているのは俺だけ。兄貴は俺から離れた位置で、ただただじっとテレビを見ている。古い、小さな黒い箱。あれはおそらくブラウン管だ。 体育座りで、じっと見ている。
 兄貴の顔はテレビ画面の青白い光に照らされている。せっかくの綺麗な肌色が、今だけはまるで病人のようだ。兄貴の口元は不自然だった。瞳は見開き気味だというのに、笑っている。柔く笑っている。嬉しそうでも楽しそうでも、ない、ないのに笑っている。俺は空恐ろしさを感じた。兄貴は、少しもこちらを見ない。
「兄貴、」
 呼びかけ。そして無視。俺の寒気はひどくなる。鬱陶しい程構ってきては優しく笑っているのが兄貴だ、それが俺の知っている兄貴。無視なんかされたことがない。何でかなんて知りもしないけど、兄貴は、あのお人好しは、こんなどうしようもない弟でも何故か愛してくれている。だからこんなの、兄貴じゃない。だけど兄貴だ。ここは夢の中。
「あに、き」
 もう一度、のどを震わせて。今度は問いを付け加える。
「なに見てんの?」
 見りゃ分かるだろと自分でも思った。なにって、テレビに決まっている。だけど返ってきた回答は、__俺の予想とは、まるで違っていた。
「記憶」
 記憶?
 一言。兄貴は事も無げに言う。俺の頭は混乱する、記憶? どういうこと? あのテレビに、映ってるんだろうか。
 理由は分からない、膝が震えてる。叩くように掴んで、握って、爪を立て、抑え込む。震えが止まるのを待ってから、俺は兄貴に歩み寄った。ゆっくりと、慎重に。鼓動が聞こえないように。兄貴は依然俺を見ない。見ない。一定の間隔でチャンネルを変える。ぶつっぶつっぶつっ、途切れる。俺はつばを飲み込んで、それから兄貴が見ている画面を、覗き込んで、__見てしまった。
 見なければよかった。
 「ひっ、」悲鳴が喉仏で詰まる。そこに映っていたのは“戦場”。兄貴が見てきたであろうもの。俺が知っているはずもないもの。なのに、やけに鮮明だった。本当の兄貴の“記憶”のように。人の顔が消し飛んだ、胴体が蜂の巣になった、首が飛んだ、腕が飛んだ、脚が千切れて皆笑っている、誰かの目玉、転がって、踏んだ、仲間だろうか耳を食べている、傍らで妊婦が死んでいる、赤ん坊の腹が割かれている、へその緒は、ああスープの中だ、小腸が目の前に垂れて、落ちて、首に巻き付いて、何だよこれ俺見たことないよ、ねぇ、何だよ、ここ夢の中だろ、なんでこんなに鮮やかなんだよ、「おえぇ、うぇ、げほっ」、ねぇ、ねぇ兄貴何か言って、こっち向いて、何か言ってよ、ねぇなんで笑ってるの、笑ってるの、兄貴、何で笑ってるんだよ。
「孝二」
「あ、__なに、兄貴」
「これがな、俺が見てきた風景」
 兄貴は突然に、饒舌に語りだす。懐かしいなぁいつだったっけな、あぁあれは仲の良かった、スティーブだ、四肢が飛んじゃってるな、俺が頭蓋割ったんだよ、もう死にたいっていうからさ、でもその場に銃がなかったんだ、あれは尊敬してた上官で、栗原少佐、頭抉られちゃったよ、知ってるか機関銃って本当に止まらないんだ、誤作動だった止まらなかった、止めたかったけど遅かった、目の前で吹き飛んじゃった、あぁ、友樹だ久しぶり、見てろよこの後腹に穴空くから、可哀想にな顔がぐちゃぐちゃになるのだけは嫌だと言っていたのに、見つかった時は野良犬に顔も何も食われちゃってたよ、みんな懐かしい久々だなぁ、久々だ、みんな死んじまった。
「なん、で、なんでこんなもの、」
「なぁ孝二、全部お前のせいだよ」
 え?
 兄貴は、静かに電源を落とす。兄貴は立ち上がって、俺を見た。
「お前が少しでも気付いてくれたら、助けてくれたら、救ってくれたら、……俺は、軍人になんかならなかったのに」
「それ、は、」
「孝二、」
 ヒキョウモノ。
 何の感情もこもってない声。
 俺は兄貴から逃げるように後ずさる、兄貴は近付く。俺は怖くなって屈みこむ、兄貴は、兄貴は見下ろしている。見下している。あのビターチョコレートの目で。
「待っ、て、待って兄貴、俺は、」
「卑怯者。卑怯者。卑怯者。卑怯者。 お前はぜーんぶ、俺に押し付けた」
「違う、__違うんだそんなつもりじゃ、そんな、つもりじゃ、ごめんなさい、違うんですごめんなさい、」
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい許してください。泣きじゃくりながら俺は気付いて。これは、夢なんかじゃない。夢であって夢じゃない。夢の中だけど、現実だ。妄想でも幻想でもない。全部、事実だ。全て真実。 兄貴は、俺を憎んでる。
 兄貴やめて。 そんな目で見ないで。
 何でもするから許して、と。叫んだ俺の髪に手を置く。いつも通りの優しさで、兄貴は俺の頭を撫でた。俺は小刻みに震えながら、恐る恐る、顔を上げる。俺の瞳を捉えると、兄貴は……ふわりと微笑んだ。
「じゃあ、殺してよ」


目が覚めても、きっと貴方はそう言う。

とある悪夢の話。

2011/07/20:ソヨゴ
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