過去話です。
 お風呂上がりに、髪を拭きつつ寝室を覗いてみると、レンドはつなぎ姿のままでベッドに横になっていた。よほど疲れていたんだろうか、寝息を立ててすやすやと寝ている。彼の性格を考えてみれば豪快にいびきを立てていたっていいものだとは思うのだけど、そういえば私はこやつのいびきを今まで聞いたことがない。いつも、割と大人しく寝ている。
 足音を忍ばせ近付いて、ベッドに頬杖をつき、腕を組む。私は彼の寝顔を長め、ちょっとした物思いに耽った。寝方仕草所作etc、彼の振る舞いはキャラに似合わず、どこか、気高い品性があって、それは拳銃に弾を込める時さえ彼の手つきを優雅に見せる。ティーカップを置く瞬間、果物をつまみ取る瞬間、ペンをもつ手、猫を撫でる手、組んだ足、服の着方、諸々。どこを切り取っても、“品がいい”。
「……もしかして、さぁ」
 彼の眠りを妨げないよう、私は小さく、小さく呟く。
「あんたって、……いいとこの子、だった?」
 知識も思考も話し方も、後からだって身につけられるけど、残念ながら所作ばっかりは環境の賜物で、だから、私の所作は粗雑だ。だけどレンドはどうだろう。何を意識する訳でもなく彼は完璧な所作を見せつける。それは教育を受けていたからで、そういう環境に身を置いたからで、つまり彼は“育ちがいい”ってことだ。跡取りかどうかは分からないけど、恐らくは由緒正しい家柄。様付けで名を呼ばれてた人。
 なのに、どうして。
「__クーデターなんかやってんの、あんた」
 何の苦もなく暮らしていたはず。何不自由なく生きていけたはず。けれど貴方はここにいて、私と一緒に迫害されてる。私はさ、それこそさ、環境とやらでここにいるんだよ。最初っから孤児だったんだもん。だから私は初めから、「カミサマなんて嘘だ」って知ってた。0からスタートしたんだもんここにいるのは当たり前。でも、……貴方は、違うんでしょう? 貴方はきっとカミサマを『神様』だって信じてたんだ。それが間違いだと気付いて、持ってるもの全部手放して、ここへ来て、0に来て、__
 それって、どれほどの覚悟なんだろう。
 だって、どん底へ落ちるようなもんだよ。社会の底辺、世界の底辺、そこにたたき落とされるようなもの。0へとたたき落とされてそれでも貴方はこんなにも、優しい。どうして、……壊れて当然じゃ、ないの?
 私と違って、家族もいたはず。どんな風に別れたのだろうか。幸福な、穏やかな、平和な別れじゃ、なかったよね。みんな神様が欲しくて必死。信じたくて、救われたくて、必死。なのに「カミサマは嘘だ」って、そんなもんいないんだって声高に叫んだら……どうなるかなんて目に見えている。みんな、認めたくないんだもん。聞きたくないんだ、現実、なんて。
「……レンド」
 少し大きめの声で、名を呼ぶ。レンドは小さく呻いたけれど、起きるまでにはいたらなかった。私は、ふうとため息をつく。そうして彼の寝顔を見つめる。半月型にカーブした瞼とすっと通った鼻筋と、唇と、睫毛と、眉と、__それぞれを幾秒か眺めて、私は彼の顔立ちがよく整ってることに気付いた。案外、綺麗な顔してんだね。
「私、……あんたのこと、なーんも知らないや」
 出会って何年になるんだっけ。九年か、十年か、それくらい。私貴方のこと何も知らない。ちょっとでいいから知りたいよ、できれば沢山、知りたいんだけど、貴方は許してくれない気がする。すぐ傍にいるのにこんなに遠い。ねぇ、本当に空みたいだね。こんなに綺麗に見えているのに。  不意に、怖くなる。ぞっとする。触れられなくなった気がした。もしもレンドが空だったなら到底私の手では届かない、触れられない、彼に触れられない、恐ろしい幻想を振り払いたくて手を伸ばす、触れる直前で、惑う、怖い、たとえばこのまま手を伸ばして貴方に触れるはずの指先が“空”を掴んで、すり抜けたら、この思い込みが、現実、だったら、
 だけど。
「__え?」
 そんなの、やっぱり幻想。
「……え、ちょ、レンド?」
「あれ、割と意外な反応」
 こんなのただの挨拶じゃん。 レンドはそう言ってからから笑った。一瞬、これ以上ないほどに近く近付いた彼の瞳は、今じゃすっかり遠ざかり彼はベッドから降りている。
「風呂上がったなら言えっつの! 人の寝顔じろじろ見やがって」
「あ、あんた起きてた?」
「いや? 今目ぇ覚めたの」  俺も風呂入ってくるね、と、彼はつなぎの上を脱ぎながらさっさと風呂場へ去ってしまった。一人取り残された私は、しばらくの間放心し、そして、ゆっくりと、唇に手を置き、……呟く。

「……キスされた」

 実は初めてである。
友情未満の。


ファーストキス(仮)

2012/02/02:ソヨゴ
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