「ボロウ、」
 聞こえないことを知っていて、口に出す。聞こえてしまっては困るんだ。君は俺の背後にそびえる、この家のベッドールームで、一人寝息を立てていてくれ。 俺はコンクリートに寄りかかる。見上げた空は夜明けを予感させ、しかしいまだ暗い藍色をしていた。月は、あまり意味をなしていない。暗い夜だ。
 俺は俯いて手元を見つめる。安物の拳銃は、硝煙の匂いを漂わせていた。右手が血に濡れている。俺は柔く目を閉じて、感覚を、噛み締める。引き金を引いた瞬間を。銃弾がめり込む瞬間を。感じるはずもないその痛みを。汗と誰かの血液が手の平で混ざり始める。 気分が悪い。
 俺は右側に視線を投げた。転がる男は三、四人、血だまりが池になり始めている。ゆっくりと、ゆっくりと、液面が地面を侵蝕していく、俺は、それをぼんやりと、ただ憂鬱にぼんやりと眺めた。三、四人の人生。幕を下ろしたのはこの俺だ。この安物の拳銃と、俺だ。俺が殺した。
「なぁ、……ボロウ」
 俺は再び口に出す。語りかけるようでいて、自己満足でしかない呟き。
「君は、……知らなくて、いいよ」
 この反動も、この感触も。この空虚もこの喪失も。この諦めもこの痛みも。君は、知らなくていいんだ。知らなくていいんだ。俺が君を守るから。醜いなりに、守ってみるから。
 なぁボロウ、君は、本気で俺のこと信じてるのかな。人殺しなんてしないって、本気でそんなこと考えてるのかな。だとしたらなんて愚かなんだろう、クーデターが、狩られる獲物が、人を殺すこともなく生きていける訳ないじゃないか。そんなことできるのは、君だけ。君は幸せなんだよボロウ。
 君は殺める感覚を知らない。それがこの上なく尊くて幸せなことだということに、君は気付いちゃいないんだろう。おめでたい頭してるよね君は、本当に、本当に、……だけど君はそのままでいいんだ。こんな思いする必要はないよ。俺はいくらでも人を殺すよ。君のために。俺のために。君の傍にいたいから。
 頬に飛んだ血をぐいと拭った。ボロウ、俺は騙してるのかな。君のことを騙してるのかな。俺はこれから家に戻ってシャワーを浴びて服を洗って、また何事もなかったかのように朝起きて君に笑顔を見せる。知らないでいて。知らないでいて。どうか、俺を見ないでいて。こんな俺なんて知らないでいてくれ。
「……愛してる」
 見ないでくれ見ないでくれ見ないでくれ見ないでくれ俺は俺じゃないんだ本当は見ないでくれ見ないでくれ見ないでくれごめん、ごめん、俺は君が思う俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない許して俺は君のために、俺のために、人を殺す。また今日も、きっと明日も。 許して。
「許して、……」
 嗚咽を飲み込んで、涙は隠して。俺は月から顔を背けた。助けてくれ、とは、言わない。誰も助けてくれないことを俺はもう知っているから。気付かないでいてください、偽りの俺でいい、そのまま、愛し続けてください。俺はただ傍にいたいだけなんだ。君の横に、君の隣に。

 唯一無二の、“相棒”として。
鬱屈。

2011/いつだっけ忘れた:ソヨゴ
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