「邪魔するぞ。」
 突然の来訪者。声の発生源に目を向けた俺は、その瞬間に凍り付いた。 コップが手から滑り落ちる。
「___は?誰?」
 えっ、俺?

腑抜けた記憶

「えっ誰っつーか俺っつーか俺ですか?俺ですよね顔一緒だものえっ待ってどういうことちょっ、」
「何を慌てているんだ“俺”らしくもない。というか、お前本当に未来の“俺”か?」
 白い軍服姿の彼はそう言って顔をしかめた。フッといきなりしゃがみ込み顔を覗かれる。戸惑いつつ身を引くと彼はさらにいぶかしげに言った。
「顔はそっくりそのままだな……時代を間違えた、訳ではないようだな?悠が成長してこうなったとかじゃなく、“俺”だな?」
「お、おそらくは。」
「何を怯えているんだ、相手は自分自身だろう? 大体ぬくぬくとコーヒーなんかの見やがって、お前は一体何をしている。」
「いやあのそれはむしろこっちのセリフなんだが、何しにきたんですか、マジ何しにきたんですか、つかどうやって来たんですか昔の俺チートすぎだろ。」
 タイムスリップ?とか?まさか、そんな力持ってた覚えはないんだが。
 深くは考えないことにした。どうせ番外編だ、何が起こっても不思議はないだろう、それにしたって焦るんだけど。
「ハッ。ほんのわずかの時間でも、どうやら人は変わるらしい。」
「まぁ変わったと言えば変わったんだろうが………」
「ところで、どうして普通に暮らしているんだ?」
 テロはどうした。 至極当たり前の問いが気まずい。
「いや……その……あのだな……」
「“俺”でもどもることがあるとは知らなかったよ。で?早く質問に答えてくれないか?はっきりしない態度は嫌いなんだが。」
「そんなことを言われてもな_____」
 言いづれぇよ。
「___どうせ経験することだ、俺が言わなくてもいいだろう。」
「……まぁいい、そういうことにしといてやる。」
 にしても。
 ぐるり、彼は立ち上がり部屋の中を見回す。
「ココ………ミサワの部屋じゃないか。」
「え?あぁ、うん。」
 思い切りコーヒーを零してしまったことを思い出しつつ軽く頷く。昔の俺は何気なしに、何でもないことのように俺に言い放った。
「何だ、今日ヤるのか?」
「ぶっほ、」
 げっほ、おえっ、ぐっは、げほっ。飲みかけたコーヒーが今度は気管に詰まった。咳き込む俺を見て彼は眉をひそめる。
「何むせているんだ?」
「いや、いきなり何言い出すのかと、」
「お前こそ。セフレだろう?家にいるってことは今日ヤる予定なんじゃないのか?」
「い、いやセフレじゃなくて俺達こいび______」
 ってちょっと待った!!
 昔は確かにセフレだったんだった俺ら、いつの間にか成り行きに従ううちにそのこいび、こっ、かれっ、かっ、………大事な人になっていったけど、この時点ではただの友達兼セックスフレンド、恋人なんて言った日には、どんな目で見られることか…………
「今___恋人って言おうとしたか?」
「へっ!?あっいやそんな訳が、」
「嘘を吐くのが幼稚園児並みに下手になったな。何があったんだよ、腑抜けやがって。」
 ですよね。口には出さずにそう呟く。 自覚はあるんだよ自覚は、時々恥ずかしくなるくらい。
 何を落ち込んでいるんだか。  昔の俺は何度目かのため息をつくと、見下すように俺を睨みつけた。相手は自分なのに背筋が凍る。昔の俺嫌すぎる、早くどっか行ってくんないかな。
「何?俺とミサワが恋人? どういうことだ、男同士じゃないか。」
「そうなんだけど……色々あったんだよ。本当、色々。」
 予言しとくとな。 今までの仕返しもかねて俺はぽつぽつ独り言を言う。 美澤はすでにお前にとって、いなくちゃならない存在なんだよ。
「フッハハハ、馬鹿馬鹿しい。そんな存在を作らない為に俺は壁を作ったんだろ?」
「俺ごときが作った壁だぞ。うぬぼれんな、そんなもんすぐ崩れる。」
 そう、いとも簡単に。 崩れて落ちて、いつの間にか。
「俺ごとき………か。」
 随分謙虚になったものだな。彼は机の上に座った。 行儀悪いぞと口を出せば、お前は女か、と返ってくる。何でだよ。
「気味の悪いことだ。俺とミサワが恋人なんてな。大体何故ミサワなんだ?あんな軽薄な男なんかに____」
「おい、」
 ティースプーンを目元に当てる。一瞬だ、少し拍子抜けしたらしい彼に迫って口を開く。身の程知らずは黙ってろ。
「言ったろ?美澤は俺の恋人だ、部弱するなら許さない、たとえ相手が『俺』でもな。」
「___腕はなまっていないらしいな、」
 ぴた。冷えた感覚。バタフライナイフが首筋に当てられている。
「安心したよ。」
「………あっそ。」
ティースプーンを目元から退ければ、彼もまた、そのナイフを首筋から引いた。
「随分アイツが好きなようだな?」
「……あぁ、大好きだよ。誰よりも。何よりも。どんな存在よりも。 アイツになら何されてもいいしアイツにならなにしてやってもいい、殺されてもいい、恨まない。愛してる。」
 本人がいたら確実に言えなかったことだ。でも、この“分からず屋”には腹が立つ。腑抜けていようが何だろうが今の俺は美澤が好きだ、愛してる。ほだされたんだろうがもうそんなことはどうでもよくて、壁だってどうでもよくて、捨てられるなら死ねばいいだけ。傍にいれるなら寄りかかるだけ。そばに居たいから引き止めるだけ、束縛も、独占も、俺に取っては心地いい。本当はこの時から、俺は誰かに閉じ込めてほしかったんだ。
「いずれアイツが捕まえてくれるよ。逃がさないでいてくれる。お前は強がんないで捕われてればいい、アイツは、離れていったりしない。」
「____甘い考え方だな?シンナーでも吸ったか、脳が溶けてるんじゃないのか? お前は生まれてから今まで何を感じてきたんだよ。」
 疎外感。分かっている、知っている、今でも怖いくらいに感じてる。それでも、俺は………もう独りじゃないんだ。
「甘くて結構。せいぜいお前は意地を張ってろ。」
 からかうように笑えば、彼は不満げに瞳を細めてきびすを返した。ゆっくりと部屋から出て行く。見送りの言葉もかけず、立ち去る彼を眺め続けた。姿が、暗い廊下に消える。
「柳ー、ケーキ切ってきたー………って、柳?」
 反対方向から美澤が俺に声をかける。 振り返れば、彼は焦ったように俺に駆け寄っていた。
「どした?コーヒー零れてる、」
「いや、ちょっと昔を“思い出して”。」
 雑巾貸してくれ、拭くから。一言言って立ち上がれば、後ろから抱き締められた。惑う俺に美澤は、耳元で問いかける。
「何かあったか? 咽せたんだろ?」
「___大したことじゃあないんだ。 ただ、俺は昔から、美澤のことが好きだったんだなって。」
「、へ?」
「それだけ。」
 訳分かんねえよ、嬉しいけど。美澤はすねるように口を尖らせた。心配するな、大丈夫。俺は答えて、美澤の腕から逃れ出る。
「あ、雑巾はいいよ俺拭くし」
 抜き去りざまに頭を撫でる。美澤は静かにドアを開くと、先程俺が去っていった、あの暗い廊下を歩いていった。きっと先にある、洗面所に行くのだろう。
 先程俺が、俺自身に言ったこと。面と向かっては言えるはずない、でも、少し伝えたくなって。
「____美澤。」
愛してる。
声は出さずに、こっそりと。 後ろ姿に投げつけた。

一発書き。

2010/01/30:ソヨゴ


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