「なぁ美澤」
「なんですかハニー」
「俺は、本当にいると思う?」
 喫茶店。俺はいつ彼にキスしようかとぼんやり考えていたが、不可思議な問いにお預けを喰らった。
「……どういう意味」
「俺はお前に見えているけど、本当にここにいると思う?」
 そもそも、ここってどこだ。
「“実在と知覚”?」
「ご名答」
 また七面倒くさいことをと内心俺は呆れてしまって、けれども恋人からの質問に答えない訳にもいかず、かといって出来の悪い俺に天才のお眼鏡にかなう回答が思いつくはずもなかった。 頭のいい恋人は、厄介。
「んなこと言われましてもね……」
「確証はないと思わないか? 俺が存在しているか、否か」
「いやまぁ、そりゃあそうだけども」
 俺にとっての哲学とは“それを言っちゃあおしまい”な学問。答えのないものを延々と考えあぐねる我慢強さが俺にあるワケねーじゃんよ。しかしながら、世界に嫌われた我が恋人は、こういうことを考えるのが割かし好きなようだった。現に今も、楽しそうに笑っている。悪戯っぽい笑み。全く、小悪魔だ。
「お前はどこにもいない人を愛してるのかもしれないぜ。お前が今見ている俺は本当はどこにもいないのかも。現実的な話にすれば、そう、例えば幻覚だとか。お前が見てるのは夢かもしれない」
「でも現実かもしれねーじゃん」
「そもそも現実ってなんだろうな? 俺らが今いる世界って何?」
「知らねーって」
 くっそ、頭がぐるぐるしてきた。俺が肘をつき頭を掻くと柳は冷めた微笑を浮かべて、それは霧のように朧げでそれでも確かに艶やかで、あぁ、久しぶりだなと思った。緩いカーブを描く唇、齧り取ったら甘そうだ、柔く細められた瞳にはゆらゆらと翡翠が映る、それは液体であるようにも全く虚像であるようにも思え、どちらにせよ飲み込まれ、溶かされてしまうように思えて、殺したいと思うと同時に殺されたいと願ってる俺には例えようもない甘美な誘い。乗るわけにはいかないけれど。この世のモノでないような美しさを持つこの恋人は“本当はいないかもしれない”。分かってしまうような気がして、それが俺には怖かった。
「__なぁ、美澤。お前も知っているだろ」
「……何を」
 逸らしたはずの俺の視線は、再び彼に舞い戻る。彼はぺろり、唇を舐めた。
「俺らが今いる世界の仕組み」
「……は、」
「俺らはどこに居るんだと思う?」
「__喫茶店」
「それは誰が決めた?」
「え?」
「それは誰が決めたんだ?」
「誰って、」
「俺らはいなかった。ある日どこかから生まれた」
「どこから?」
「それは頭の中」
「頭、」
「思考回路」
「……言葉」
「そして文字となった瞬間に俺は何かの存在となった」
「存在」
「俺らが喫茶店にいると決めたのは一体誰だ?」
「分かんねえ、」
「それは『喫茶店』の三文字をキーボードで叩いた人だ」
「お前さっきから何言ってんの、」
「それは俺らを作った人だよ」
「なぁ柳、」
「俺らの身なりも声も言葉も、」
「待てよ、」
「人生も仕草も性格も、」
「待て、」
「思い出も、」
「やめろ」
「感情も、」
「やめろよ、」
「俺という存在も、お前という存在も、」
「__嫌、だ、俺はそんな話は、」
「俺がお前を好きなったことも」
「やめろ聞きたくない!!」

「そいつが勝手に作ったんだ」

 ねぇ美澤、俺らはいないよ。
 柳は寂しげに笑った。  と、誰かが今キーボードで打った。
テスト後のリハビリもかねて、一発書き(打ち?)。ちょっとホラー風味。 もしかしたら私達も、彼らと同じなのかもね。

2011/07/07:ソヨゴ
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