読む前に。こちらの短編を読んでいただけると嬉しいです。→午前二時。
 目覚ましに平手打ちをかます。鳴り止んだベルに一息ついて、僕は布団から這い出した。素肌と布団が擦れる感覚。僕は夏、上を脱いで寝ている。
 眠い。
 今日は何曜日だったっけ、か……確か今日は僕の大好きな数学がない時間割のはず、そんでもって僕の嫌いな現国が二時間あるはず、さらに言えば僕が苦手な英語も一時間あったはず。うーん、気が重い。行きたくない。とりあえず起き上がってみれば外は見事に晴れ上がっていて、僕の気分はまた沈む。晴れは好きだけど、快晴は嫌い。何だか押し付けがましい気がして。

応答願う、テレパシーにて

 ヘアバンドで髪を上げたまま、僕は歯を磨いていた。顔を洗うのは歯磨きのあとだ。額を出しているのって本当朝だけな気がするな。……寝ぼけ眼で鏡を見てたら、よく似た影が映り込んで。
「おはよーにいに」
「はよ」
 コップに水を汲み口をすすいで、彼女の姿に目を移す。千弘の髪は酷い有様だ。メデューサというか貞子というか、お前化け物か何かなの? 毎朝のことだと言うのにちっとも感動が薄れないので、恐らく千弘のくせっ毛は相当酷いんだと思う。現代アートみたいだよ……ポンピドゥーセンターに飾られるんですかお前。
「相変わらずひでぇな、それ」
「うっさいし、にいには黙ってて」
 千弘は不機嫌な様子で応える。いつでもご機嫌絶好調、ハイテンションな僕の片割れは、朝だけかなり機嫌が悪い。女子によくある低血圧。僕? 僕はそうでもないよ、寝起きは相当悪いんだけどね。
「にいにはさらさらストレートだもん」
「まぁ髪で困ったことないけど」
「ちょー厭味、マジムカツクんですけど」
 なんでそんなに自信家な訳。ぶつくさ文句を言いながら彼女は自身の髪を梳く。色々不平を言っているくせに彼女の髪は割と素直で、一度ブラシを通してしまえば逆らうことなく真っ直ぐになった。長過ぎる黒髪は二つのヘアゴムで束ねられ、ツインテールが出来上がる。この頃になると千弘の機嫌も通常運転に戻ってる、朝飯を食えば完璧だ。
「そーいやにいに、プレゼントあるから」
「は? いきなりなに」
 一足先に顔を洗う。冷水で鳥肌が立った。タオルで顔を拭きながら僕は変わらぬ気怠さを感じる。気分はさっぱりしたんだけども、どうにも頭が覚めてない。 千弘は呆れ顔で続ける。
「ちょっとぉ、ガチで忘れてんの? じゃー私へのプレゼントは?」
「んなもんねぇよ、ってかなんで?」
「今日ウチら誕生日じゃん」
「はぁ? ウッソマジで、」
 そーいやそうだったかもしんない、と僕は思い巡らす。昨日寝る直前に、カレンダー見て確認した、気が……あぁやっぱ寝ぼけてるんだな、そうだよ今日は、6月3日だ。
 かの名高い不条理作家、フランツ=カフカの命日が、僕ら兄妹の誕生日だ。兄妹と言ったって僕らは一卵性双生児、先に産まれたも何もない、たった数秒の差ではあるけど。個人的な感想を言えば、兄でよかったなぁとは思う、__だってなんかかっこ悪くない? 三人姉弟の末っ子って。
「えーもう、プレゼント買って損した」
「悪かったな、帰りになんか買ってくるよ……で? 俺に何くれんの」
「それは見てのお楽しみー。大したもんでもないけどさ。」
 ふぅん。一つ相槌を打って、ヘアバンドを外し首を振る。とりわけ素直な僕の髪は滞りなくもとに戻った。今まで何の感慨もなくこの髪質と共にいたけど、なるほど女子にしてみれば、結構羨ましいのだろうか。くせっ毛はくせっ毛でかわいいと思うんだけどね。
「二人ともー、ご飯できたわよー!」
 と、そこに、母親の声。僕らは揃って返事をした。


「__髪留め?」
「そ!」
 満面の笑みの妹を思わず殴り飛ばしたくなった。手の平にあるのはヘアピン、それも、水色のキャンディの飾りが先端についたもの。 あのさぁ、僕男なんだけど?
「ふざけてんの?」
「大真面目! ちゃんとにいにでも付けられそうなの、選んできたんだからさぁ」
 ピンクのもあったんだよ、と千弘は拗ねた顔をする。くっそガチで言ってんのコイツ……嬉しくない訳じゃないけどさ、男に贈る物じゃなくない?
「いやでも、キャンディの飾りはどうなの」
「だってお揃いにしたかったんだもん! ほら、見てみて。私のヘアゴム」
 千弘の指さす通りに見れば、なるほど確かにキャンディの飾り。千弘のヘアゴムについているのはオレンジに黄色のドット。ちなみに僕のは白のドット。  お揃いとか益々ねぇよ、僕らいくつだと思ってんだよ……14歳にもなって、兄妹でお揃いは痛い。しかもキャンディ柄とか痛い、くそ痛い、マジ痛い。しかしそれが言いだせなかった。いつものように自覚済みで僕のことからかってんならしかるべき対応もとるけど、だってコイツガチなんだもん。悪意がないと、切り捨てずらい。僕は善意が少し苦手だ。押し付けがましいような気がして。
「__ありがと。大事に、する」
 ため息まじりに返してから、僕はヘアピンを前髪に付けた。似合わないのは重々承知。ただ、思い出しちゃったんだ。今年のバレンタイン、その翌朝に、千弘が僕に言ったこと。
 僕は千弘の思いには当然応えられなかった。僕が愛している人は、たった一人、御影だけ。他の人なんている訳ないしこの先もずっと現れない。そんなこと、千弘はとうに知っていた。僕らは双子なのだから。
 似ているようで、似てないようで。それでもやっぱり似ている僕ら。顔は瓜二つ、キャラは違うけど、根っこの部分の性格は嫌になるくらい似ていたり。僕らはいつでも“お揃い”だ。だからせめて、それだけは、__僕の大事な妹だから。
 いつもは言えないことだから。
「……ちーちゃん」
 昔なじみの呼び方で呼べば、彼女は目を丸くして。 何、いきなり。どーしたのかずくん。
「欲しい物、ある? 買ってくるからさ」
「え? い、要らないよ別に。何、いつもとちがくない? いきなり態度変えちゃって」
 正直戸惑うんだけど。少し刺々しい言葉は素の彼女のものだった。普段は僕と同じように、取り繕っている彼女。いつでもご機嫌絶好調、そんな彼女は、偽者だ。無表情で無感情、そんな僕が偽者なように。やっぱり、似てる。疎ましいほど。そして同時に、心地いいほど。
「……千弘はさ、」
「へ?」
「今でも、好き?__僕のこと」
 一瞬、彼女が息を呑む。数秒経って小声の返答。 うん、好きだよ。今でも。
「そう簡単に断ち切れないし」
 今さら応えてくれるって、そういう訳でもないんでしょ? 彼女は泣きそうな笑顔を見せた。 知ってるよかずくん、かずくんは御影ちゃんが好き。そんなの知ってるよ、昔から、今さらどうしてそんなこと言うの?
「諦め切れなく、なりそう、だよ」
 呟いた声は、ひどく切ない。身を切られそうになりながら僕は彼女を抱き寄せる、__あぁ、また泣かせちゃったな。
「ちーちゃんは、……僕の妹だから。」
 僕の大切な妹だから。この世でたった一人だけの、代わりのいない妹だから。こんなことしか言えないけど、でも君は確かに僕のかけがえのない人なんだよ。それだけは、分かってほしいよ。僕はいつまでも君の兄だから。双子の僕らは繋がっている、いつでも僕らは、どんな時でも。ねぇ恋人には慣れっこないけど、この繋がりは唯一じゃ、ないかな。他の誰にも分からない感覚を僕らは共有してるんだ。それはテレパシー? なんなのかなんて知りはしないけど、だけど、僕らにしか通じない。僕らだけが、持っている。
「……ごめん。こんな日にもこんなことしか、」
「ううん。__嬉しいよ、ありがとう」
 僕から顔を離した彼女は、柔らかく微笑んだ。頬には涙の痕がある、けれど、それは見ないふり。彼女が気丈に振る舞うのなら、僕はそれに応えるまでだ。
「へへ、ぎゅってされちゃった。にいにに抱きしめられたの初めて」
「そう、だっけ……そうだったかもね」
 彼女の指が、髪留めに触れた。僕がまばたきを二回したあと、彼女は少し、瞳を細めて。
「今日だけで、いいからさ……その髪留め付けててよ」
「……うん」
「今日だけ、お揃い」
「__分かったよ」
 そしたら、何もいらないよ。彼女はそんなことを言って。そっか助かった、金欠だからさ。そんな風に茶化して返せば、“千弘”はやっと、笑ってくれた。
和弘、千弘、誕生日おめでとう。

2011/06/03:ソヨゴ
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